今回の旅行は、かみさんと2人で、阪急交通社トラピックスのツアーに参加した旅で、北欧5か国(フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、アイスランド)の内、アイスランドを除く4ヵ国の主に首都圏とノルウェーのフィヨルド観光の旅です。
一般に北欧という場合、ノルウェー・スウェーデン・デンマークのスカンジナビア3ヶ国とフィンランドにアイスランドを含めた5ヶ国を指していたが、ソ連崩壊後は独立したバルト三国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)も含むようになった。
この内、欧州連合(EU)に参加しているのはデンマークとスウェーデン、フィンランドである。ノルウェーとアイスランドが参加していないのは、漁獲量の制限や、捕鯨への反対が吹き荒れる欧州からの圧力に、漁業国、捕鯨国である両国の国民感情が根強い反発を持っているからでもある。
しかしながら、北欧諸国はシェンゲン協定に加盟しており、国家間において国境検査なしで国境を越えることができる。
ユーロを導入しているのはフィンランドのみである。デンマークのデンマーク・クローネ、ノルウェー・クローネ、スウェーデン・クローナは比較的安定した通貨として知られている。
北欧というと極寒の地というイメージがあるが、実際にはノルウェー沖を流れるメキシコ暖流のため、他の同緯度の国と比べると寒さはおだやかである。
第1日目(8/23 FRI) 成田〜ヘルシンキへ 着後、市内観光
今回は、成田空港に7:50集合と早いので、、早朝6時前に家をでて、京成のスカイライナーで成田空港へ。国際線旅客ターミナル団体カウンターに行き、同行する添乗員さん(井上さん)のところで受付をし、フィンランド航空のカウンターでチェックインをし、荷物を預け、出国審査をして搭乗口へ。今回のツアー参加者は、39名と多人数なので、何かと大変だ。夏休み中ということもあってか、家族連れや若い人たちも参加している。
フィンランド航空AY−0072便(定刻9:50発 A350−900)は、10時間のフライトで、定刻の13:50に、小雨のぱらつくヘルシンキ・ヴァンター国際空港に到着。ここで入国審査と通関を終え、迎えに来てくれていたバスでヘルシンキ市内観光へ向う。
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フィンランド航空 AY−0072便(成田にて) |
ヘルシンキ・ヴァンター国際空港に着陸 |
フィンランドの首都ヘルシンキは、フィンランド湾に面した小さな半島に位置し、「バルト海の乙女」や「北欧の白い都市」などと呼ばれる。ヘルシンキはスウェーデン国王によって、1550年に対岸都市(現エストニアの首都タリン)との貿易拠点として建設され、1812年にロシアの自治大公国だったフィンランドの首都となった。
複雑な海岸線が生み出す水辺の風景が美しく、街の30%以上を緑地や公園が占める。町の中には、19世紀初頭のネオ・クラシック様式や20世紀のモダンな建築物が立ち並び、整然とした街並みが広がっている。
バスはまず、市の北西にあるシベリウス公園へ。ここは、ヨットハーバーに面した緑豊かな公園で、園内には、フィンランドが生んだ大音楽家ジャン シベリウスを記念して制作された、女流現代彫刻家エイラ ヒルトゥネンによるシベリウスの肖像彫刻とステンレスパイプのモニュメントがある。
ヘルシンキ シベリウス公園 |
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ステンレスパイプのモニュメント |
シベリウスの肖像彫刻 |
ジャン・シベリウスは、後期ロマン派から近代にかけて活躍したフィンランドの作曲家、ヴァイオリニストで、フィンランドの最も偉大な作曲家であると広く認められている。
ヘルシンキ音楽院でバイオリンと作曲を学んだのち、ベルリンとウィーンで勉学を続けて,1892年フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に基づく交響詩『クレルボ』によって、フィンランドの民族主義的ロマン主義の道を開いた。以後、『カレワラによる4つの伝説』をはじめ祖国の歴史や神話を主題とする作品を次々に発表。交響詩『フィンランディア』 (1899) 、付随音楽『クオレマ』 (1903) などは、雄大さと哀愁をたたえた佳作である。その後、バイオリン協奏曲や第3から第8までの交響曲では、絶対音楽の領域で均衡のとれた形式を示した。
シベリウス公園を見た後、市の中心部に戻り、日本が世界に誇る音響設計家、豊田泰久氏が大ホールの音響設計を手がけたというヘルシンキ・ミュージックセンター、ガラスと鉄の構造と木を用いた印象的な外観のヘルシンキ中央図書館「Oodi」(オーディ)、ヘルシンキ現代美術館(キアズマ)、ヘルシンキの玄関口となるヘルシンキ中央駅を車窓から見ながらウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)へ。
ヘルシンキ市内 |
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ヘルシンキ・ミュージックセンター 3人の建築家、マルコ・キヴィスト、オラ・ライホ、ミッコ・プルッキネンによって設計された。 |
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フィンランド独立記念日の前夜2018年12月5日にオープンしたヘルシンキ中央図書館「オーディ」 |
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ヘルシンキ現代美術館(キアズマ) フィンランド・ナショナル・ギャラリーのコレクションのうち現代美術作品を収蔵・展示している。騎馬像はマンネルヘイム元帥の騎馬像 |
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ヘルシンキ中央駅 1860年に開業、現在の駅舎は1919年に完成したもので、フィンランド産の花崗岩で造られ、高さ48.5mの時計塔が目を引く。 |
ウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂)は、ヘルシンキに所在する北欧最大のロシア正教会の寺院。至聖生神女の就寝を記憶している。ロシア帝国の建築家アレクセイ・ゴルノスターエフの設計により1862年から1868年にかけて、ヘルシンキ市街を一望できるカタヤノッカ半島の丘陵地に建立された。スラブビザンチン様式を代表する赤いレンガの教会で、13個の黄金色のキューポラがある。ロシア語風にウスペンスキー大聖堂、ウスペンスキ寺院とも呼ばれる。
ヘルシンキ ウスペンスキー大聖堂(生神女就寝大聖堂) |
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教会内部の聖壇はギリシア正教の伝統に従って東側にあり、天井の頂と聖壇の天井は蒼く色彩され、聖画壁と教会堂の3つの壁には、イコン(聖像)が掛けられている。 |
ウスペンスキー大聖堂見学の後、マーケット広場に向かうが、ウスペンスキー大聖堂に隣接して観覧車があり、2つの色の違ったゴンドラがある。それには、サウナの国フィンランドなので、サウナがついている。料金は1持間で約3万円とか。
ヘルシンキ |
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サウナ付きゴンドラのある観覧車 |
サウナ付きゴンドラ |
ヘルシンキのメインストリート・エスプラナーディのすぐ東隣、港に面したマーケット広場前でバスを降り、果物や野菜、魚介類、工芸品などの青空市を見て回っていると、また雨がポツポツやってきた。
マーケット広場から、向かい側に建つヘルシンキ市庁舎横の石畳の路地を歩いて元老院広場に面して建つ大聖堂へ向かう。
ヘルシンキ |
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ヘルシンキ市庁舎 |
大聖堂へ向かう石畳の路地 |
元老院広場はヘルシンキ大聖堂の前に広がり、大晦日にはカウントダウンが行われることでも知られる広場。中央にはロシア皇帝アレクサンドル2世の像が、市内を見守るように建つ。広場から大聖堂への広い階段は、市民の憩いの場となっている。
白亜の外壁と緑色のドームのコントラストが美しい大聖堂。ドイツ人建築家のカール・ルートヴィッヒ・エンゲルが設計し、1852年に竣工した。当初はニコライ教会とよばれていたが、1959年に大聖堂が正式名称に。現在も福音ルター派の総本山として機能している。
大聖堂の屋根には12使徒の真鍮の彫刻がある。これは世界最大の真鍮彫刻の一様のコレクションである。
ヘルシンキ 元老院広場&ヘルシンキ大聖堂 |
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大聖堂の中は、バロック調の教会ような華美な装飾はなく、シンプルな内装。高いドーム天井と白い壁がすっきり感を際立たせている。 |
聖堂内にあるパイプオルガンは、聖堂設計者のエンゲルの後継者であるエルンスト・ロールマンにより1963年に造り変えられたものである。 |
大聖堂を見学後、今夜の宿泊地、ヘルシンキ近郊の ソコス ホテル タピオラ ガーデンへ。
<2日目につづく>
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