池上七福神めぐり

                                                        2016.1.22

 生涯大学30期文化AクラスOBの有志で行っている「歩きま専科」の2016年第一回目は、お正月でもあり、「池上七福神」めぐりを行った。

 「池上七福神」めぐりは、日蓮宗の大本山、池上本門寺を中心に、静かな住宅街と賑やかな商店街を歩く七福神めぐりだ。


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 10:00、東急池上線池上駅に、7名が集合、気温は低いが晴天に恵まれスタート。池上駅前から踏切を渡り南に進み、桜通りを右に折れると間もなく右手に、布袋尊が祀られる曹禅寺がある。

 まずは、本堂のご本尊と、七福神の一つ布袋尊をお参りし、七福神色紙を買い(500円)、曹禅寺のところの自分で布袋尊のスタンプを押す。

曹 禅 寺(布袋尊)
 曹禅寺は、昭和7年(1932)、矢口町に教会を開設、牛込白銀町にあった盛高院の寺号を継いで昭和14年(1939)創建したといい、現在の堂宇は、戦災後に再建したものである。池上七福神の布袋尊を安置している。

 曹禅寺からは門前の道を北へ池上駅方面に歩き、踏切を渡るとすぐ、池上西商店街を左に折れ、3つ目の角を右に折れ池上通りを越えると右手に、毘沙門天を祀る微妙庵がある。

微 妙 庵(毘沙門天)
 微妙庵の創建年代は不詳だが、本門寺塔頭覚源寺の一堂宇として建立したという。この寺の本尊毘沙門天は、品川沖で拾い上げられたものといい、池上七福神の毘沙門天となっている。

 微妙庵の前の道を進み、国道1号(第二京浜)に面して建つ池上警察署の裏手、20段ほどの細い石段を上ると、木々に覆われ歴史を感じるたたずまいの馬頭観音堂があり、お堂の奥に大黒天が祀られている。

馬 頭 観 音 堂(大黒天)
 馬頭観音堂は1840年(天保11年)に、飼い馬の健康と死後の冥福、交通安全を祈って、地元の馬を見ていた医師や飼い主らによって創建された。池上七福神の大黒天を安置している。

 馬頭観音堂から池上警察署横の道を道なりに暫らく歩くと池上本通りにでる。そこを左折し、池上文化センターの前を通り、稲荷橋を渡り、大坊前交差点を右に折れ突き当りを左に曲がった右手に、弁財天を祀る厳定院がある。

厳 定 院(弁財天)
 厳定院は、正応2年(1289)池上本門寺2世日朗聖人の直弟子、厳定院日尊聖人が開創した。大正9年(1920)には、別院として池上鬼子母神堂を建立している。また境内の弁財天を池上七福神として石造りの弁天宮にお祀りしている。

 厳定院からは左手に本門寺の鬱蒼とした森を見上げながら歩き、本門寺の此経難持坂を背にしてすぐ右手が、福禄寿を祀る本成院である。

本 成 院(福禄寿)
 本成院は、弘安5年(1282)日蓮聖人の直弟子日向聖人の庵室として開創。はじめは池上の北谷の地「とどろき」という所にあり、北之坊または喜多院とよばれた。その後、東谷にあった本成坊が廃寺となり、これと合併、再興された。
 慶長年間(1596-1615)池上本門寺13世日尊聖人の隠棲地として整備されたが、宝永年間(1704-1711)に火災で焼失。享保年間(1716-1736)に現在地に移り再建、本成院と称するようになった。池上七福神の 福禄寿を安置している。

 本成院をお参りした後は、加藤清正の寄進によって造営された96段の此経難持坂を上り池上本門寺へ。

 池上本門寺は、日蓮聖人が弘安5年(1282)、61歳で入滅(臨終)された霊跡である。
 日蓮聖人は、弘安5年、9年間棲みなれた身延山に別れを告げ、病気療養のため常陸の湯に向かわれ、その途中、武蔵国池上(現在の東京都大田区池上)の郷主・池上宗仲公の館で亡くなられた。
 そして大檀越の池上宗仲公が、日蓮聖人御入滅の後、約7万坪の寺域を寄進され、お寺の礎が築かれ「池上本門寺」と呼びならわされている。

総門と此経難持坂 本門寺大堂

 本門寺五重塔の脇から境内を抜けると、寿老人を祀る妙見堂がある。

照栄院妙見堂(寿老人)
 照栄院妙見堂は元禄2年(1689)、本門寺第22世妙悟院日玄聖人の時代に、それまで鎌倉にあった「宝筺(ほうきょう)学室」をこの地に移し、「南谷檀林」という名の僧侶の学校を作った。その時一宇を創立してこの御尊像を安置、檀林の鎮守としたのが妙見堂である。
 明治初年に南谷檀林は廃檀となったが、妙見堂は今に残っている。境内左手の小さなお堂に、池上七福神の樹(寿)老人が祀られている。

 妙見堂の参道である妙見坂(急な石段)を避け、裏手から「あいの坂」を下り(こちらにも石段はあるのだが)、呑川に出たところの左手が恵比須を祀ってある養源寺だ。

養 源 寺(恵比寿)
 養源寺は、松平右京大夫隆政の母、養源院殿妙荘日長大姉の発願により、荏原郡浜竹村(東蒲田付近)にあった本成寺を松平家の所領であったこの地に移転、池上本門寺十八世日輝聖人を迎えて慶安元年(1648)に開山した。
 養源寺は、池上本門寺歴代住職の隠居所となり、八代将軍吉宗が鷹狩りの際には御膳所となっていたという。池上七福神の一つ恵比寿を祀ってある。

 これで七福神を巡り終え、呑川に沿って暫らく歩き、霊山橋を渡り、くず餅屋の多い門前町の雰囲気漂う本門寺通りを池上駅まで歩き、駅近くで食事をして解散する。


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