2008.5.20〜29


 ・1日目 バルセロナへ
 
・2日目 1日バルセロナ市内観光 
 ・3日目 モンセラート〜タラゴナ〜バレンシア
 ・4日目 バレンシア〜グラナダ
 ・5日目 グラナダ〜コスタ・デル・ソル〜カサレス〜ミハス
 ・6日目 ミハス〜セビーリャ〜コルドバ
 ・7日目 コルドバ〜ラ・マンチャ〜トレド〜マドリッド
 ・8日目 マドリッド、セゴビア
 ・9日目、10日目 マドリッド〜アランフェス〜マドリッド〜帰国
 

1日目(5/20 TUE)   バルセロナへ

 今回の旅行もまた、かみさんと娘と3人で、阪急交通社(trapics)のツアーに参加した旅です。
 
 今回は、成田空港に11:40集合のため、家を出るのもちょっとゆっくりだ。10:08新宿発のNEX17号に乗るため、10時に新宿に着いたところ、台風4号の影響でダイヤが大幅に乱れていて、一本前のNEX15号が発車するところで、それに乗るが、空港第2ビル到着も遅れて、11:40頃になってしまった。第2旅客ターミナル・北団体カウンターに行き、同行する添乗員さん(蓼沼さん)から航空券を受け取り、JALのカウンターでチェックイン。今回のツアー参加者は、21名で、ちょうどよい人数だ。軽く昼食を摂り、出国審査をして搭乗口へ。

 往きはローマ経由でバルセロナに入るのルートだ。日本航空JL−409便ローマ行きB747は、定刻(13:40)より40分ほど遅れて成田空港を離陸、その後は順調に飛行する。約12時間20分のフライトで現地時間5月20日 19:40、雨のローマ・フィウミチーノ国際空港に着陸。
 ここでバルセロナ行きアリタリア航空AZ−078便に乗り継ぐ。MD−80は定刻(21:25)より1時間ほど送れて離陸、23:50バルセロナ・プラット空港に着陸。初めてのスペインに入国する。
 空港からはバスで約50km程離れたリゾート、カレージャのホテル ベルナートUへ。チェックインしシャワーを浴びて寝たのは午前2時を過ぎていた。


第2日目(5/21 WED)   1日バルセロナ市内観光

 今日は一日、バルセロナ市内観光だ。昨日からの雨も上り、8:30にバスでホテルを出発。高速道路C−32号線を、時折左手に地中海を望みながらバルセロナへ向け走り、およそ1時間ほどで市内に入る。

 バルセロナはカタルーニャ州の州都で、スペイン第2の都市であり、スペイン最大の港湾・工業都市である。ガウディ作のサグラダ・ファミリアやグエル公園、カサ・ミラなど、芸術作品が町を彩っている。またカタルーニャ地方が生み出した天才ピカソ、ミロ、ダリの各美術館もあり、個性ある芸術家の作品に直にふれることができる街である。

 市内に入ったところで車窓から変わった形をした建物が見えてくる。砲弾形をしたビルは、ジャン・ヌーべルが設計した、高さ142mのバルセロナ水道局の建物Torre Agbar(アグバル・タワー)である。

                   


 最初の観光は、世界遺産に登録されているサン・パウ病院。銀行家パウ・ジルの遺産をもとに建てられた、ガウディのライバルといわれるドメネク・イ・モンタネールの最後の作品。14万5000uという敷地に48棟の建物が建つ。病棟にはムデハル様式を採用し、「芸術には人を癒す力がある」というドメネクの信念のもと、いたるところにステンドグラスやタイル、彫刻があしらわれている。ドメネクは病院の完成を待たずに亡くなったが、彼の遺志を継いだ息子により、1930年に完成した。

サン・パウ病院。 正面入口 正面入口の前に立つパウ・ジルの像
 正面入口を入ったところの広場 ムデハル様式を採用した病棟


 次いで、グエル公園へ。 バルセロナを代表するブルジョアだったエウセビオ・グエルは、バルセロナ市街を見下ろす山の手に60戸の住宅を建設し、イギリス風の庭園住宅にする計画だったが、買い手がつかず、結局売れたのは住宅を設計したガウディと発注者のグエル伯爵の2軒だけであったという。グエル伯爵の没後に工事は中断し、市の公園として寄付された。ここは「アントニ・ガウディの作品群」の一つとして世界遺産に登録されている。

正面大階段とドーリス式列柱廊 正面大階段の途中にある「トカゲの噴水」
正面大階段の上にあるドーリス式列柱廊  中央広場は「ギリシャ劇場」と名付けられ、人体から断面の形が決められたという有名なタイルのベンチで縁取られている。
 ガウディが一時住んでいた建物で、現在は「ガウディ博物館」として利用されている。  園内には、石を組み合わせて作られた柱廊が沢山ある。


 次はこれもガウディの作であるサグラダ・ファミリア聖堂(聖家族教会)へ。サグラダ・ファミリアは聖母マリアの夫サン・ホセ(ヨセフ)に帰依する「サン・ホセ帰依者協会」の本堂として、1882年に着工。翌年、初代建築家ビリャールの辞任に伴い、その後を引き継ぐことになったのが弱冠31歳のガウディで、以降、ガウディは設計を一から練り直し、1926年に亡くなるまでライフワークとして設計・建築に取り組んだのである。

             

 この聖堂はラテン十字形のバシリカ式の教会で、「生誕の門」、「受難の門」、「栄光の門」という3つの正面をもち、そこには聖書のシーンを描いた彫刻が施されている。3つの門はそれぞれ4本の塔で構成され、それは12使徒を表す。その内側に4人の福音家を象徴する4本の塔、キリストとマリアを象徴するそれぞれの塔、計18本の塔が建てられることになっており、現在は8本の塔が完成している。完成は、もっとも最近の予測では、2256年前後と言われている。
   
生誕の門 受難の門
 聖堂内部−建築と併行して修復作業も行われている。 聖堂内部のステンドグラス
受難の門側より見た聖堂 破砕タイルで飾られた鐘塔
完成したときの聖堂の絵 完成図面
   (聖堂が大きすぎ、全体の姿が撮影できなかった)


 サグラダ・ファミリアを見学した後はカテドラルへ向かう。途中バスの車窓より、バルセロナのメインストリート「グラシア通り」に面して建つカサ・ミラカサ・バトリョを車窓から見る。ともに「アントニ・ガウディの作品群」の一つとして世界遺産に登録されている。


 カサ・ミラ。 「ラ・ペドレラ(石切り場)」とも呼ばれる、実業家ペレ・ミラの依頼を受けて建造されたもので、ガウディ最後の民間建築であり、地中海を表現したもの。  カサ・バトリョ。 実業家バトリョの依頼を受け、ガウディが、1904〜06年に1870年代に建てられた私邸を改築したもので、曲線のみで構成されるユニークな形状は、ガウディのもっとも完成したスタイルともいわれる。


 カテドラル(大聖堂)へ行く途中、グラシア通りの海側の端にあるカタルーニャ広場に寄る。カタルーニャ広場はバルセロナの中心部にある市民の憩いの場であるとともに、交通の要衝・繁華街の中心としての位置を占めている。

正面の建物はスペイン信用銀行  市内の観光スポットを循環する、2階建てオープンカーのツーリストバス。


 カテドラルは、以前ロマネスク様式のカテドラルがあった同じ場所に、1298年から現在のゴシック様式のものへと建て替えられた。約150年をかけて、1448年に完成したという大作。しかし、正面入口のファサードは、1408年の設計図をもとに20世紀初頭につけくわえられたものである。
 堂内両側には礼拝堂が並び、正面の中央祭壇の地下に、バルセロナの守護聖女サンタ・エウラリアが眠っている。ちなみに、カテドラルは司教座聖堂といい、カトリックにおいて(大)司教がいる教会(大聖堂)で、教区ごとに設けられている。

修復作業中のカテドラル カテドラルの裏側


 カテドラルの脇の細い道を入っていくと、左手にフレデリック・マレス美術館があり、入口前のきれいな花壇があるパティオのあたりをぶらっとしてカテドラル前のノバ広場に戻る。

 テトゥアン広場に近いレストラン「TETUAN 9」というレストランで昼食。その後、スペイン広場の近くの、ジョアン・ミロ広場を車窓より見て、スペイン広場のシンボルであるツインタワーの前でバスを下りる。

 ミロ作の「鳥と女」という巨大なオブジェが立っているジョアン・ミロ広場  大きなモニュメントとツインタワーがシンボルのスペイン広場


 広場と反対側、モンジュイックの丘の方を見ると、丘の中腹にカタルーニャ美術館が建っているのが見える。今回の旅では中に入って見ることができないのは残念である。

 カタルーニャ美術館は、1929年の万国博の際にパビリオンとして建設された建物を改装し、1934年にオープン。中世にカタルーニャ地方で発達したロマネスク美術のコレクションはつとに有名である。


 再びバスに乗り、パラレル通りを港のほうに向かって走っていくと、左手に海洋博物館が見えてくる。そして、その先に高さ60mのコロンブスの塔が建っている。

 海洋博物館。 1378年に建設された王立造船場が、1941年に博物館として一般公開されたもので、地中海で使われていた小船、大航海時代の世界地図、航海の器具、船首像のコレクションなど展示されている。  コロンブスの塔。 1888年の万博の際に、コロンブスのアメリカ大陸発見を記念し建てられた、高さ60mの塔


 コロンブスの塔を車窓に見てバスは再び、カテドラルの近くへ戻りる。バスを降り、王の広場へ歩いていく。王の広場を見て、旧市街リベラ地区のピカソ美術館まで歩く。ピカソ美術館があるモンカダ通りは、13世紀ごろに建てられた貴族の館が立ち並び、中世の面影を色濃く残している。

 王の広場は、もともとバルセロナ伯爵の館があったが、後に14〜15世紀バルセロナを支配したアラゴン王宮の中心となった広場で、3方をゴシック建築に囲まれた広場である。王宮に入ってすぐのティネルの間は、1493年、アメリカ大陸発見の旅から戻ったコロンブスがイサベル女王に謁見したとされる歴史的な場所である。広場右側の建物は、1302年に建てられたサンタ・アガタ礼拝堂で、王専用の礼拝場として使われていた。  1963年、モンカダ通りの一画にゴシック様式の館を改装してピカソ美術館が開館。その後、70年、81年、99年に拡張工事が行われ、現在の形となった。主に、ピカソの初期と晩年の作品が展示されており、「初聖体拝受」、「科学と慈愛」、ベラスケスの「ラス・メニナス」に触発されて描いた同名の連作などが有名である。
旧市街、ゴシック地区の町並み。  中世の雰囲気を最も濃くとどめる貴族の館が建ち並ぶモンカダ通り


 ピカソの画を堪能したあとは、バスでカレージャのホテルへ戻る。まだ時間が早いので(18時前)、ビ−チへ行ってみる。5分ほど歩くともう地中海のきれいな砂浜だ。海に入ったり甲羅干しをしたりしている人もいる。

カレージャのビーチ ビーチに乗り上げる遊覧船 カレージャのホテル「ベルナードU」


 しばらく地中海を眺めて、ホテルへ戻り、ホテルのレストランで夕食。


                                               <3日目につづく>


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