足利歴史探訪
世界遺産 富岡製糸場を訪ねる

                                                     2023.5.19

  Hiroが参加している「経堂歴史勉強会」のバス旅行、新型コロナ感染で暫く中止していたが、4年振りに行われ、足利市の足利氏ゆかりの地を訪ねて来ました。
 小田急線・経堂駅近くのユリノキ公園を、8時20分に勉強会の常任講師である、大東文化大の宮瀧教授と大東文化大の学生を含めて12名を乗せバスは出発、初台から首都高速道に入り、中央環状線、川口線、東北自動車道、北関東自動車道を走行し、足利ICで下り、樺崎八幡宮に向かう。

 足利市は、室町幕府を開いた足利氏の故郷として知られており、市内には足利氏ゆかりの地や、日本最古の学校である足利学校など数多くの歴史・文化遺産が点在する。豊かな自然環境と併せて「東の小京都」とも呼ばれている。産業では繊維業が地場産業として古くから根付いているが、近年はアルミや機械金属、プラスチック工業などを主にした総合的な商工業が盛んである。

「樺崎八幡宮・樺崎寺跡」
 足利義兼は、文治5年(1189)、奥州合戦の戦勝祈願のため、理真上人を開山として、この地に樺崎寺を創建した。樺崎八幡宮は、正治元年(1199)に当地で入寂した義兼を、子の義氏が八幡神とともに合祀したことに由来する。
 以降、樺崎寺は足利氏の氏寺である鑁阿寺の奥の院、そして一族の廟所として崇敬を集めるが、明治初めの神仏分離令により廃寺となり、境内にあった八幡宮のみが残っている。
 樺崎寺跡には浄土庭園・塔跡・供養塔跡・御廟跡などがある。

樺 崎 八 幡 宮 ・ 樺 崎 寺 跡
「足利氏御廟跡」
 発掘調査で、南北20.4m、東西6.5mの大きさの基壇が確認された。この基壇の上に五輪塔10基が並べられ、瓦葺の覆屋がたてられていた。10基の五輪塔は足利氏歴代の供養塔で、明治の神仏分離令により菅田町の光得寺に移され保存されている。


 樺崎寺跡を出て、五輪塔が保存されている光得寺へ。

「光得寺」
 開創は承久二年(1220)と伝えられ、足利氏三代・足利義氏が父・足利義兼公を開山とし樺崎寺寺院群のひとつとして創建された古刹である。
 境内の覆屋内に安置される光得寺五輪塔群は、元は足利氏の廟所である樺崎寺境内に祀られていたもので、平成16年度に保存修理が実施され、覆い屋内に南北2列(後列に10基、前列に9基)で並置されている。大形のものは主に凝灰岩製、中形のものには安山岩性の部材が混在している。これらの部材の組み合わせは、樺崎寺から移設された際の組み合わせを忠実に再現している。

菅 田 山 光 得 寺
 五輪塔は、五大にかたどった5種の部分からなる塔をいう。五大とは、物質の構成要素である地、水、火、風、空のことであり、輪とはすべての徳を具備するという意味をもつ。したがって五輪とは、地輪、水輪、火輪、風輪、空輪の総称である。それぞれ方、円、三角、半月、宝珠形につくられ、日本では平安時代のなかばごろから死者への供養塔あるいは墓標として用いられた。


 光得寺を出て、市中心部へ。足利学校近くの、当地出身の相田みつおさんゆかりの「めん割烹なか川」で昼食。その後、「足利の大日さま」として親しまれている鑁阿寺へ。

「鑁阿寺」
 鎌倉時代初期、建久7年(1197)源姓足利氏2代目の足利義兼が発心得度し、邸宅内に持仏堂を建てたのが始まりとされる。義兼死後、その子義氏が建立した本堂は、寛喜元年(1229)に落雷により、焼失したが、足利貞氏が禅宗様式を取り入れ改修した。
 約4万平方メートルに及ぶ敷地は、元々は足利氏の館であり、現在でも、四方に門を設け、土塁と堀がめぐらされており、平安時代後期の武士の館の面影が残されている。
 境内には、国宝の本堂のほかにも、鐘楼、一切経堂が国の重要文化財、東門、西門、楼門、多宝塔、御霊屋などがある。

鑁  阿  寺

 鑁阿寺をお参りした後、日本最古の学校「足利学校」へ。

「足利学校」
 足利学校の創建については、奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説などがあるが、歴史が明らかになるのは、室町時代の永享11年(1439)関東管領・上杉憲実が、現在国宝に指定されている書籍を寄進し、鎌倉円覚寺から僧・快元を招いて初代の庠主(校長)とし、足利学校の経営にあたらせるなどして学校を再興してから。
 学徒は全国から集まり、主に僧侶や、寺院に僧侶の名目を借りた武将の子弟であり、当時、中国から伝えられた儒教を中心に勉強していた。
 天文18年(1549)にはイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルにより「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介され、学徒三千といわれるほどになった。

足  利  学  校
学校門:日本で唯一「学校」の扁額が架けられている門。寛文8年(1668)創建。
杏壇門:寛文8年(1668)の創建。孔子廟の入り口の門
孔子廟(大成殿):孔子を祀る建物。寛文8年(1668)造営。
方丈・庫裡:平成2年復原。現代の学校の校舎にあたる場所。
孔子座像:天文4年(1535)に造られた、日本で最も古い孔子座像。
足利学校遺蹟図書館:大正4年(1915)に建築。
          


 足利学校見学で今回の足利探訪を終わり帰路に着く。足利ICから北関東自動車道に入り東北自動車道、首都高速道を通り、幡ヶ谷ICから環七通りに入り、経堂に戻り、解散となった。

おわり   



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