「旧寛永寺本坊表門(黒門)」
黒門は、寛永期に寛永寺本坊の表門として寛永2年(1625)に、現在の東京国立博物館正門の位置に建てられた。江戸期には、数々の火災を免れただけでなく、慶応4年の戊辰戦争(上野戦争)では、本坊の他多くの伽藍が焼失した中で戦火を免れ、さらには関東大震災や東京大空襲らもくぐり抜けてきた。なお、門扉には上野戦争時の弾痕が残されていて、当時の戦闘の激しさがうかがえる。
「開山堂(両大師)」
開山堂は、東叡山の開山である慈眼大師・天海大僧正をお祀りしているお堂で、天海僧正が尊崇していた慈惠大師・良源大僧正もお祀りしているところから、一般に両大師≠ニ呼ばれ、庶民に信仰されてきた。
ちなみに多くの神社や寺院で見かけるおみくじの考案者はこの慈惠大師といわれる。大師が観音菩薩に祈念して偈文を授かった観音久地が起源という。
開山堂の初建は正保元年(1644)だが、現在のお堂は平成五年に再建されたものである。
開山堂の前から東京国立博物館前を通り過ぎたところに、旧因州池田屋敷表門がある。そして、この先の交差点の角に、京成線の旧博物館動物園駅の出入り口が残されている。
「旧因州池田屋敷表門」
この門は、もと因州(現在の鳥取県の一部)池田家江戸屋敷の表門で丸の内大名小路(現在の丸の内3丁目)に建てられていたが、明治25年、芝高輪台町の常宮御殿の表門として移建された。
のちに東宮御所として使用され、さらに高松宮家に引き継がれ、昭和29年さらにここに移建して修理を加えたものである。
創建年代は明らかではないが、形式と手法からみて、江戸時代末期のものである。屋根は入母屋造、門の左右に向唐破風造の番所を備えており、大名屋敷表門として最も格式が高い。
「旧博物館動物園駅(京成線)」
博物館動物園駅は、昭和8年(1933)の京成本線開通に合わせ、東京帝室博物館・東京科學博物館・恩賜上野動物園や東京音樂學校、東京美術學校などの最寄り駅として開業した。しかし、老朽化や乗降客数の減少が響いたため、平成9年(1997)に営業休止、平成16年(2004)に廃止となった。廃止後も駅舎やホームは現存している。
旧博物館動物園駅の出入り口と道路を挟んだ反対側に、旧東京音楽学校奏楽室があるが、残念ながら、改修中で幕に覆われ、その外観を見ることはできなかった。
「旧東京音楽学校奏楽室」
明治23年(1890)に完成した旧東京音楽学校(現:東京芸術大学音楽学部)の本館中央部にあった講堂兼ホール。ルネッサンス様式を取り入れた建物は日本最古の洋式音楽ホールとして、国の重要文化財に指定されている。館内には、日本最古といわれる、徳川頼貞候から寄贈を受けたパイプオルガンがある。
滝廉太郎、山田耕作、三浦環など、この舞台から多くの音楽家が巣立っていった。
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現在改修中 |
改修前の姿 |
奏楽室の横から、東京都美術館の脇を通り、上野動物園入口の前を通り過ぎると、立派な騎馬像「小松宮彰仁親王像」が建っている。 |