甲州 武田信玄ゆかりの史跡めぐり

                                                       2008.4.19〜21

 世田谷区生涯大学の修了記念に、文化Aコースのクラス有志18人で、平泉・花巻・遠野への2泊3日の旅に出掛けた。

第1日目

 8:00東京駅「銀の鈴広場」に集合、8:20発東北新幹線「やまびこ45号」にて一ノ関へ向けて出発。出発早々からおしゃべりで賑やかだ。

 予定通り、10:55一ノ関駅に到着。改札口に、生涯大学文化Aコースの担任講師だった藤島先生が出迎えてくれている。

 藤島先生は、東京大学名誉教授で平泉遺跡調査会代表を務めた藤島亥治郎先生のご子息で、早稲田大学講師、綜芸文化研究所の所長として、平泉文化の研究をライフワークの一つとされておられるのです。

 東京を発つ時は雨は上がっていたが、一ノ関は生憎雨が降っている。我々一行は、待っていてくれた北都交通のバスで、平泉へ向かう。国道4号線の桜並木も満開だ。まずは、中尊寺参道(月見坂)入口の向かい側にある「平泉レストハウス」に入り昼食とする。メニューはあんころ餅、生姜餅、雑煮にきのこめしの付いた中尊寺門前料理「餅膳」、なかなか美味しい!

国道4号線沿いの桜(平泉付近) 中尊寺 月見坂入口


 食後は、レストハウスに併設されている「平泉文化史館」を藤島先生の案内で見学。ここは、黄金の仏都・平泉の栄華と伊達時代の平泉を紹介する中尊寺表玄関の資料館で、先生の父上の藤島亥治郎先生がライフワークとした学術調査に基づき復元した毛越寺、無量光院、二階大堂の模型や出土資料、絵図など数多くの貴重な文化財が展示されている。

平 泉 文 化 史 館 に て
 「平泉文化史館」は、平泉の原始から江戸時代までをパネルや実物資料で説明し、時代順に平泉のたどった変遷の全体像を紹介している。また、東大名誉教授・藤島亥治郎氏がライフワークとした学術調査に基づき復元した毛越寺・無量光院・二階大堂の模型、出土資料、絵図など数多くの貴重な文化財も展示されている。  見学前に、レストハウスの小野寺社長と藤島先生より挨拶と平泉と文化史館の展示内容について説明して頂く。

平 泉 文 化 史 館 に て
 中尊寺 二階大堂の復元模型
(復元・監修/東京大学名誉教授 藤島亥治郎)
 毛越寺の復元模型
(復元・監修/東京大学名誉教授 藤島亥治郎)
 無量光院の復元模型
(復元・監修/東京大学名誉教授 藤島亥治郎)


 「平泉文化史館」見学の後は、中尊寺の見学だ。本来なら、月見坂を登って金色堂まで行くのだが、雨が降っていて足元が悪いので、月見坂の左手の道を、金色堂下の「大池跡」までバスで連れて行ってもらう。 

中 尊 寺   大 池 跡
 大池跡は、藤原初代清衡創始計画の「供養願文」に、壮大な池を伴う大伽藍のありさまが記されており、その予定されたところと推定されるところである。(実際には何らかの理由で、工事途中でとりやめになった)


 大池跡の脇を通って、右手に緩やかな坂を登っていくと金色堂前の広場に出る。金色堂の向かいは、三重の池跡で、今は小さな池があり、弁天堂が建っている。先生の案内で金色堂を見学。

 生涯大学の授業でビデオでは見ているのであるが、実際に見てみると、皆金色の阿弥陀堂は、まさに極楽浄土そのものと実感できる。

 金色堂のそばに「中尊寺経」を納めていた経蔵が建っているが、改修工事中で覆いに覆われていて、残念ながら見ることができない。その手前に、芭蕉の句「五月雨の降りのこしてや光堂」が刻まれた句碑が立っている。
 経蔵の脇を通り、芭蕉像と奥の細道文学碑の前を過ぎると、昭和37年まで七百年近く金色堂を護ってきた旧覆堂が建っている。

中尊寺 金色堂 中尊寺 旧覆堂
 金色堂は、天治元年(1124)の造立で、中尊寺創建当初の唯一の遺構であり、阿弥陀堂建築の最高峰として、国宝建造物第一号に指定されている。昭和37年〜43年の解体修復工事の際、現在の鉄筋コンクリートでコンピュータ制御により空調された新覆堂で保護されている。  新覆堂建設の際、現在地に移築された旧覆堂。「金色堂建立から164年後の正応元年(1288年)に、鎌倉幕府が風雪から護る為に建造した」と説明されるが、解体調査の結果、「建築様式から判断して旧覆堂は建造年代を鎌倉時代までさかのぼることができない」とされている。(国の重要文化財に指定されている)


 三重の池跡の弁天堂の脇を奥に歩いていくと、白山神社能舞台が建っている。能楽堂の前が「二階大堂」が建っていたところとされている。能楽堂の奥に白山神社が祀られている。中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し、自ら十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号されたのである。
 白山神社の裏手・西物見からは、北上川と束稲山が眺められる。

中尊寺 白山神社能舞台
 能舞台は、仙台藩主伊達家が、1853年に竣工したもので、茅葺の寄棟屋根で欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛かり、鏡板に描かれた「老松」など見所の多い建物で、近世能舞台遺構としては、東日本唯一と言えるものである。現在、神事能は春秋の藤原まつりで、8月14日には「薪能」が催されている。(国の重要文化財に指定されている)

中尊寺 二階大堂跡にて
 三丈の阿弥陀を中央に、一丈六尺の九体の阿弥陀を安置した二階大堂は、1337年の山火事で焼失してしまったが、文治5年(1189年)頼朝軍の侵攻の際も、焼けることなく残り、頼朝はその壮麗な姿に感激し、二階大堂と同じものを鎌倉に造りたいと欲し、現在の鎌倉市二階堂の地に永福寺(ようふくじ)を建立している。  二階大堂跡にて、藤島先生より説明を受ける我々一行。


 金色堂前まで戻り、讃衡蔵(さんこうぞう:宝物館)を見学する。讃衡蔵には、奥州藤原氏の遺宝が収蔵されており、紺紙に金字行・銀字行と一行ずつ交書した国宝「紺紙金銀交書一切経(中尊寺経)」などが公開展示されている。

 讃衡蔵内を見学後、眼病の人々に盲僧信仰として広く信仰された薬師如来を祀る峰薬師堂とその脇にある願成就院宝塔(重要文化財)を見学し、その後、本堂を参拝する。

中尊寺 峰薬師堂 宝   塔
 峰薬師堂には、眼病の人々に盲僧信仰として広く信仰された薬師如来が祀られている。  この宝塔は、平安時代のもので、五輪塔の一つの原始形式を成し、塔身の四方に大円相を刻し内に梵字を配置し大日如来を現している。(国の重要文化財に指定されている)

中 尊 寺   本 堂
 中尊寺は、天台宗東北大本山で山号は関山、慈覚大師を開山とし、ご本尊は阿弥陀如来である。藤原四衡公の御月忌、一日頓写経会を始めとする法要儀式が行われる。内陣では、伝教大師最澄以来受け継がれている「不滅の法灯」が、絶えず法界を照らしているという。


 本堂をお詣りして、大池跡まで戻る。次は、高館へ行く予定であったが、雨で足元が悪いので明日にまわし、無量光院跡を見学することにする。

無 量 光 院 跡
 無量光院は、三代秀衡が宇治平等院の鳳凰堂を模し、居館である伽羅御所に隣接した地に建立した寺院であった。現在は、池跡・中島・堂礎が残っている。


 金鶏山を背景とした壮大な寺院を想像しながら無量光院跡の見学を終え、今夜の宿「いつくし園」がある厳美渓へ向かう。

厳  美  渓
 厳美渓は、栗駒山を源に流れる磐井川が、約2キロにわたって巨岩を侵食した渓谷美を見せているところである。桜も満開でちょうど見頃である。

厳  美  渓 に て
 対岸からロープウェイに乗ってやってくる名物の「郭公だんご」は、到着が5時頃だったので終わってしまっていた。残念!
 ちなみに、団子を買う時には、この木槌で板を叩くのです。


 午後5時、厳美渓温泉「いつくし園」に到着。ゆっくり温泉に入った後は、大宴会? カラオケも入って賑やかだ!



                        <2日目につづく>

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