世界遺産 富岡製糸場を訪ねる

                                                     2021.11.21〜23

 新型コロナ感染がいくらか落ち着いてきたので、かみさんと娘と3人で、クラブツーリズムのツアーに参加し、お伊勢参りをしてきました。

 
・第1日目(11/21 SUN)

 新幹線での出発ということで、東京駅に9:05の集合。今日の昼食は新幹線の中で各自とるようにというので、お弁当を買い込んで集合。参加者は55名で、2グループに分かれて、私達は1号車グループで添乗員さんは安田さんだ。
 「こだま713号」に乗り込む。曇天の中、定刻の9:27に東京駅を発車。車中で早めの昼食を摂り、12:00に豊橋駅で下車。線路のトラブルとかで20分ほど遅れて到着。
 豊橋駅前には、バスが待っていてくれて、我々一行を乗せてスタート。市内を抜けて、豊川ICより東名高速道に入り、伊勢湾岸道、東名阪自動車道、伊勢自動車道を経て2:45二見浦に到着。

 古くからお伊勢まいりの参拝は二見浦の二見興玉神社で禊(みそぎ)をし、その後、外宮内宮の順に参拝した後に金剛證寺の順番に参拝するのが正式な順番というものでした。我ら一行もそれに従い、まず二見興玉神社をお参りする。

 二見興玉神社は、夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。
 猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。境内には、御祭神のお使いとされる二見蛙(無事にかえる、お金がかえる)が多数奉献されている。

 バスの駐車場の関係から東参道から境内へ入る。赤い鳥居をくぐるとすぐに龍宮社がある。龍宮社は、御祭神に海を守護される綿津見大神(わたつみのおおかみ)をお祀りし、旧暦 5月15日の例祭・郷中施神事ではミル・オゴ・まつ菜を供え、津波より村人が助け合い、復興した教訓を今に伝えている。

二見興玉神社 東参道入口 龍 宮 社


 龍宮社をお参りし、禊橋を渡ると二見浦の象徴でもある夫婦岩が見えてくる。夫婦岩は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。
 岩は高さ9m、周囲は44mで古生層の最下部である輝光石と緑泥片石からなり、小岩は高さ4m、周囲10mで方解石からなる。
 夫婦岩に掛けられた大注連縄は古式に則り奉製されるもので、縄の長さが35m、大岩に16m、小岩に10mが巻かれ、その間の長さは9mある。


 日の出遥拝所から夫婦岩を拝む。


 日の出遥拝所の先に本殿あり、お参りする。


 本殿をお参りし進むと、水(願)授け蛙の手水舎がある。蛙は猿田彦大神の御使いと信ぜられ、境内に沢山ある置物は無事かえる、貸した物がかえるなどの縁起によりご利益を受けられた方々の献納よるものという。


 その先に、古来より日の出を拝む夫婦岩とともに日の大神がお隠れになった天の岩屋と伝えられて崇拝されている天の岩屋がある。
 宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を岩窟内に奉祀されていた三宮神社の遺跡であり、当神社が日の神拝所の御由縁によって天の岩屋と称して尊拝するに至っている。

天の岩屋 さざれ石


 天の岩屋の先、君が代に詠われているさざれ石のある先が表参道からの入口である。私たちは逆にお参りしてきたことになる。

 表参道を神社外苑に沿って逆に進むと左手に賓日館がある。賓日館は皇族や要人の宿泊施設として二見ヶ浦に建設された旅館で、明治20年(1887)に竣工し、同年2月19日に開館した。現在は資料館となっており、唐破風の正面玄関、庭園、旧客室どれをとっても当時の一流の建築家や職人の技が随所に見られる気品のある建物。


 賓日館を外から観た後バスに戻り伊勢市へ向かう。約30分ほどで内宮近くの猿田彦神社に到着。

 猿田彦神社は、猿田彦大神と、その子孫の大田命を祭神とする。猿田彦大神は、ものごとの最初に御出現になり万事最も善い方へ“おみちびき”になる大神で、古事記、日本書紀などにも「国初のみぎり天孫をこの国土に御啓行(みちひらき)になられた」と伝えられている。
 天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられたという。


 本殿でお参りした後、本殿前に「十干十二支」の方位が刻まれている古殿地という八角の石柱がある。この文字盤の決められた方位の文字に手のひらを当てて祈願すると、願い事がかなうと言われている。
 仕事運:亥→卯→未、金運:巳→酉→丑、精神安定、財産:申→子→辰、人気、才能運:寅→午→戌の順というが、さて何を願おうか?

 古殿地にお願い事をした後、境内にある佐瑠女神社に参る。佐瑠女神社は芸能上達や縁結び等の信仰があつい天宇受売命(あめのうずめのみこと)が御祭神。天照大御神が天岩窟に籠もられ世の中が乱れたときに、天宇受売命が神楽をされ、そこに集まった八百万の神々が喜び笑ったことで天照大御神が再び現れ平和な世になったという神話がある。芸能・スポーツ関係をはじめ、技芸の上達を祈る方々の参拝が絶えない。

古  殿  地 佐瑠女神社


 猿田彦神社を参拝した後は、近くの食事処、勢乃国屋で松坂牛と伊勢エビの夕食を摂り、バスにて今夜の宿、志摩スペイン村近くのHotel&ResortsISE-SIMAへ。


・第2日目(11/22 MON)

 今日一日は生憎の雨という。ゆっくり朝食を摂り、9:15雨がかなり降っている中、バスでホテルを出発。30分ほどで伊勢神宮外宮に到着。

 外宮は、125社からなる神宮の2つの御正宮の1つで、正式名称を豊受大神宮といい、ご祭神は豊受大御神。内宮鎮座から約500年後に、丹波の国は天橋立近くの籠神社から内宮のご祭神天照大御神のお食事係として伊勢に迎えられた「食」の神様であり、衣食住ひいては産業全般を司る神様である。
 宮域内には正宮の次に格の高い別宮である、多賀宮・土宮・風宮がある。


 雨の中、表参道火除橋を渡り宮域に入る。その右手に、平清盛が勅使として参向した時、冠にふれた枝を切らせたという伝承がある清盛楠が見える。樹齢800年余、幹回り3m以上の巨大な楠だ。

 第一鳥居より先が聖域となるので、一礼してくぐり正宮へと進む。

清 盛 楠 第 一 鳥 居


 正宮は、天照大御神のお食事を司る神であり、衣食住を始め産業の守り神でもある豊受大御神をお祀りする。
 社殿は正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなる。幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並んでいる。


 正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)がある。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。
 御敷地の前に三ッ石がある。三個の石を重ねた石積みで、この前では御装束神宝や奉仕員を祓い清める式年遷宮の川原大祓が行われる。

御 敷 地 三 ッ 石


 正宮参拝後は、100段近い石段を上って、豊受大御神の荒御魂を祀る多賀宮をお参りする。多賀宮は、外宮の別宮のうち最も格式が高く、正宮に次いで重要な第一別宮。ご祭神は正宮と同じく豊受大御神だが、こちらには勇猛な一面「荒御魂」を祀る。


 石段の手前に鎮座する土宮風宮にもお参りする。

 土宮は、外宮の森一帯の土地や宮川堤防を守護する神様として古くから崇められる大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)を祀る別宮。外宮の神様が鎮座する前からこの地を守ってきた。別宮で唯一、東を向いている。

 風宮は、風雨を司る級長津彦命(しなつひこのみこと)、級長戸辺命(しなとべのみこと)をお祀りしている。農作物の収穫に深くかかわる雨風を司る二柱の神様をお祀りする別宮。元寇の際に、神風を吹かせて日本を救ったという逸話でも知られる。

土   宮 風   宮


 別宮の参拝を終え、神楽殿でちょっと雨宿り。神楽殿は、正宮に至る参道の途中にある銅板葺の建物で、神々への感謝を込めた御神楽を奉奏するための社殿。御饌の奉納やご祈祷、お守りやお神札、ご朱印の授与もこちらで受付る。

 外宮参拝の最後にせんぐう館に寄る。せんぐう館は、勾玉池のほとりにあり、2013年の第62回式年遷宮を記念して建設された。「神宮式年遷宮を伝える」ことを基本理念としており、20年に一度繰り返してきた式年遷宮の工事に使われた道具、神事や装束、神宝などの一部を展示する施設である。

神 楽 殿 せんぐう館
 

 外宮参拝を済ませ、伊勢市駅から伊勢神宮外宮へと続く外宮参道をぶらぶらと歩く。参道には、宿泊施設・食事処・甘味処・軽食・土産物・特産品など様々な店が立ち並んでいる。


 伊勢市駅の近く、外宮参道からは外れたところにある、山口屋という伊勢うどんの店で伊勢うどんを食する。伊勢うどんとは、三重県伊勢市を中心に食べられるうどんで通常のうどんの2倍近くある太くてもっちりとした麺の食感が特徴。
 またつゆは、たまり醤油をベースとし見た目は非常に濃く、塩辛いと誤解されがちだが、甘みが強く角が一切ない、まろやかでカツオなどのダシが風味豊かに感じることができる。
 麺のあのやわらかい独特の食感は、すぐに参拝客に提供できるように常に茹で続け、必要量を釜揚げしていたため茹で時間を気にしなくてよいコシのないうどんが適していたとの説がある。


 伊勢うどんの昼食を摂った後、また外宮参道を歩きバスへと戻る。
 
 つぎの観光は、英虞湾を一望できる伊勢志摩屈指の展望スポットである横山展望台だが、この雨ではあまり期待できない・・・
 40分ほどで展望台下の横山ビジターセンター前に到着。雨は少し小降りになっている。ここから石階段の遊歩道を15分ほど登っていくと横山天空カフェテラスに着く。案の定、絶景のはずの眺望も残念ながらかすんでしまっている。


 かすんでいる英虞湾の眺望を眺めた後、遊歩道に沿った車道を下りバスに戻る。

 次いで今日最後の観光地、神明神社へ。およそ30分ほどで到着。

 相差(おうさつ)の氏神様である神明神社は、天照大御神を主祭神とする神社で、境内には女性の願いを叶える目ば三様を祀る石神社や三吉稲荷大明神、長寿の館などがある。

 天照大神をはじめとした二十六柱を祀るご本殿をお参りする。本殿は、平成26年に55年ぶりのご造営が行われ、優雅で美しい社殿へと建て替えられた。 正面には日本で二番目に大きいとされる巨大なおみくじが設置されている。


 石神社は、通称「石神さん」と呼ばれ、 ご祭神は海の神の娘で神武天皇の母である「玉依姫命」。「女性の願いを一つ叶えてくれる」と評判の神様。近年では全国各地から女性たちがこぞって参拝に訪れている。

 女性だけでなく男性も願い事を叶えてくれるというので、祈願紙に願い事を1つだけ書き、石神さんの前にある願い箱にそっと入れてお祈りをしてくる。

石 神 社 三吉稲荷大明神


 石神さんをお参りしバスに戻り、ホテルへ。昨日と同じホテルだ。夕食はホテルのレストランでフレンチで、美味しくいただきました。


・第3日目(11/23 TUE)

 今日は昨日の雨が嘘のように晴れてくれた。8:00バスでホテルを出発、内宮に向かう。およそ20分ほどで到着。内宮の参拝は、「お伊勢さん観光案内人」が同行して案内してくれる。

 神宮125社の中枢である内宮は、皇室の先祖であり日本人の総氏神様でもある天照大御神をお祀りする聖地。正式名称は皇大神宮といい、今から2000年ほど昔に五十鈴川の畔にご鎮座されたのが始まり。原生林に包まれて五十鈴川が流れる宮域には、天照大御神がいらっしゃる正宮のほか、2つの別宮と10の所管社がたたずむ。


 神宮の表玄関である宇治橋を渡り宮域に入っていく。
宇治橋は五十鈴川に架かる長さ101.8m、幅8.42mの木造の反り橋。聖地である宮域と俗界の境界に架かるといわれる。


  橋の両側の鳥居は、式年遷宮で取り外された外宮と内宮の棟持柱が用いられている。


 美しく刈られた芝生と清々しい松が広がる神苑を眺めながら進み、火除け橋を渡るとその先に第一鳥居がある。ここより先が聖域となるので、一礼してくぐる。

火除け橋 第一鳥居


 第一鳥居をくぐった先左手に、五十鈴川御手洗場がある。参拝する前に心身を清める場所である。ここで手先を清め正宮の参拝に向かう。


 御手洗場の近くに瀧祭神がある。御垣と御門のみで社殿はなく、石畳に祀られている。五十鈴川の守り神として古くから大切に祀られている。

 瀧祭神をお参りし、正宮に向かう途中から、黄金に輝く正殿の鰹木を見ることができる。(ここからしか見られない)

瀧 祭 神 黄金に輝く正殿の鰹木


 正宮は、内宮の中で最も格式高いお宮であり、神宮125社の中心。5重の垣根と4つの社殿からなり、ご祭神の天照大御神は一番奥の正殿にご鎮座し、ご神体は三種の神器のひとつ八咫鏡とされる。


 正宮を参拝するが、正宮は公のお願いごとをする場所なので、コロナウイルス感染の鎮静化を願う。個人の願い事を聞いてくれると言われているのは別宮の荒祭宮(あらまつりのみや)というので、そちらへ向かう。

 途中、御稲御倉(みしねのみくら)、外幣殿(げへいでん)をお参りする。

 御稲御倉は高床式の倉で、中に神宮神田で収穫した稲1年分を保管し、倉を守る御稲御倉神を祀る。建物の規模は小さいものの、神明造の特徴をうかがうことができる。
 外幣殿は古い神宝を納める建物で、かつて天皇以外のものから奉られた幣帛も納めた。

御稲御倉 外 幣 殿


 その先の石段を登ったところに荒祭宮(あらまつりのみや)がある。荒祭宮は、正宮に次いで格式高い第一別宮。天照大御神の穏やかな一面「和御魂」に対してこちらのお宮には「荒御魂」が祀られている。


 荒祭宮をお参り、ここでは個人的な願い事をする。お参り後、お酒の神をお祀りする御酒殿を見て、神楽殿授与所の向い側の参道を進む。

御 酒 殿 神 楽 殿


 五十鈴川の支流である島路川に架かる風日祈宮橋を渡ると右手に雨を司る神をお祀りする別宮で、神風を起こして日本を救ったと伝わる二柱の神様が祀られている風日祈宮(かざひのひのみや)がある。


 風日祈宮をお参りし、内宮の参拝を終える。

 内宮参拝の後は自由時間で、おはらい町通りの散策に出掛ける。内宮門前町一帯を「おはらい町」と称していて、内宮宇治橋から五十鈴川に沿って続く800mのおはらい町通りは、お食事処、土産物屋、江戸時代から現存する建物などが軒を連ねる伊勢特有の切妻・妻入りの町並みはそぞろ歩きも楽しめる。
 中ほどに、江戸時代から明治にかけての伊勢路の代表的な建築物が移築し再現されたおかげ横丁があり、三重の老舗の味、名産品、歴史、風習まで一度に体感できるところだ。


 おはらい町通りおかげ横丁をぶらぶらし、伊勢名物の赤福をお土産に買ったりした後、昼食は、おはらい町通りの中ほどにある天保元年(1831)料理旅館として創業したという「すし久」で手こね寿司を食べる。手こね寿司は志摩市の漁師が漁の合間に獲れたてのカツオをうすく切って醤油をかけ、酢飯と合わせて手で豪快に混ぜて食べたのが始まりと言う。


 この後は、昔より伊勢神宮の鬼門を守る寺として、神宮の奥之院ともいわれ「お伊勢参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と伊勢音頭の俗謡にも唄われた朝熊岳(あさまだけ)・金剛證寺へ向かう。20分ほどで到着。

 朝熊岳・金剛證寺の草創は古く欽明天皇(531〜571)の頃、暁台上人によって開かれ、平安時代には弘法大師(空海)によって堂宇が建立され、密教修業の一大道場として隆盛を極めた。
 御本尊の福威智満虚空蔵大菩薩(ふくいちまんこくうぞうだいぼさつ)は、日本三大虚空蔵菩薩の第一位として広大無辺な福徳・威徳・智徳の三徳を有する仏様である。


 仁王門をくぐり境内に入ると、右手に連間の池連珠橋がある。連間の池は弘法大師が掘ったと伝えられる。池の中央に架かる連珠橋は寛文12年(1672)に創建されたもので、連珠橋を境に、此岸(迷いの世界)と彼岸(悟りの世界)が現わされている。

 桂昌院様が寄進せられた矢負地蔵尊を祀る地蔵堂、奈良薬師寺の仏足石を模刻したという仏足石をみて進み、福威智満虚空蔵大菩薩を祀る本堂をお参りする。

鐘   楼 連間の池連珠橋
地 蔵 堂 仏 足 石
本     堂


 伊勢神宮の鬼門除けのために明星天子を祀る明星堂を参る。明星は日、月、星の三字よりなり三光天子とも称され国土安穏智慧成就の仏神である。
 さらに進み、極楽門をくぐり奥の院の参道に入る。

明 星 堂 極 楽 門


 参道の両側にはたくさんの卒塔婆が立ち並んでいる。大きいものは最長約8メートルもあり、まるで壁のようだ。


 奥の院の参拝を終え、バスに戻り、朝熊山展望台へ。5分で到着。
 伊勢志摩国立公園最高峰の朝熊山にある山上広苑は、伊勢志摩や伊勢湾の大パノラマが展開し、天候に恵まれれば富士山まで眺望できるという。恋人の聖地サテライトに選定された天空のポスト、眺望と四季の花木で彩られた「さんぽ道」や、ゆったりした気分で眺望が楽しめる展望足湯などがある。


 これで今回の旅の観光はすべて終え、帰路につく。来た時と同じ道、伊勢自動車道、東名阪自動車道、伊勢湾岸道、東名高速道を走り、豊川ICから豊橋駅でバスとお別れ、17:41発こだま740号にて東京へ。定刻の19:40品川で下車、エキナカで夕食を摂り、無事帰宅する。

 今回のお伊勢参り、2日目は生憎の雨となったが、二見興玉神社、外宮、内宮の順に参拝した後に金剛證寺の参拝すという正式な順番での参拝をし、最後に伊勢志摩や伊勢湾すばらしい眺めをと、楽しい旅ができた。

 同行の方々および添乗員の安田さん、お世話様でした。お陰で楽しい旅をすることができました。いつかまたどこかでお会いできるかもしれません。楽しみです・・・・・・。

                                                  おわり



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