池上七福神めぐり

                                                        2024.1.5

 生涯大学30期文化AクラスOBの有志で行っている「歩きま専科」の2024年第一回目は、恒例になった七福神めぐり、今年は「亀戸七福神」を巡った。

 七福神は、七つの災いを除き、七つの幸せを与える神々であり、また、人に七つの道を示し、人々に七つの徳をそなえさせる福神でもある。
 七福神巡りは、谷中の七福神巡りが最初といわれている。有名になったのは、隅田川の七福神巡り、文化元年(1804)向島百花園が開園されてから始まった。その他各地に七福神巡りが始まり、文化文政の頃からとくに盛んになった。

 今回は亀戸七福神を巡る。亀戸七福神は、亀戸駅の北側にある6つの寺社をめぐるもので、明治中頃に創設され、第二次世界大戦中に一時中断したが、昭和53年(1978)にに復活した。東京スカイツリーを見上げながら、歴史を残す閑静な町並みの細い路地をたどって参拝できる。

1.常光寺 【寿老神】
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2.東覚寺 【弁財天】
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3.香取神社 【大国神・恵比寿神】
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4.天祖神社 【福禄寿】
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5.龍眼寺 【布袋尊】
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6.普門院 【毘沙門天】

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 ちなみに、亀戸の元々の地名は亀島(または亀ヶ島、亀津島)で、その名の通り亀の形に似た島であったことによる。後に島の周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり、亀島は亀村と呼ばれるようになった。後に臥龍梅庭内(現存せず)の井戸「亀ヶ井」と混同されて亀井戸と呼ばれるようになり、さらに「井」が取れて亀戸となった。

 10:00、東武亀戸線 亀戸水神駅に、9名が集合しスタート。駅前の道を左に進み、蔵前橋通りを越えた先右手に寿老神を祀る常光寺がある。

第一番  常光寺【寿老神】
 常光寺の建立は天平9年(737)、開山は行基菩薩で、開基は豊島の冠者、本尊は行基作の阿弥陀如来座像、天文13年(1544)に曹洞宗に改宗し、中興開山は勝庵最大和尚で、このときの開基は下総里見義実であるという。
 江戸六阿弥陀詣の6番目霊場。六阿弥陀詣とは春と秋のお彼岸に行基作の6体の阿弥陀像を参詣することで、江戸時代の人にとっては行楽の一つであった。
 亀戸七福神のひとつ福徳長寿の寿老人として親しまれている。

 寿老人は、長寿を授ける福神様。また、家庭円満、福徳円満といったご利益もある。中国の伝説上の人物であり、南極老人星の化身とも言われ、長い髭をたくわえ、手には長寿の象徴である桃を持ち、白い鹿を従えている。

 常光寺を出て暫く進み、明治通りに出る少し手前左手に弁財天を祀る東覚寺がある。

第二番  東覚寺 【弁財天】
 東覚寺は享禄4年(1531)玄覚法印の創建と伝えられている。明治34年(1901)覚王寺を合併した。
 本尊は大日如来と阿弥陀如来を安置しており、当寺の不動明王は、東大寺別当良弁(689-773)の作で、大山寺(神奈川県)本尊と同木同作といわれ、江戸時代より亀戸不動として信仰をあつめてきた。
 弘法大師の府内88ヵ所のうち73番目の札所であり、亀戸七福神のひとつ弁財天として親しまれている。

 弁財天は、七福神唯一の女神で、インド神話のサラスバティーを漢訳し、女神の姿に造形化したもの。もとはインドのサラスバティー川の河神であり、のちに梵天の妃となったが広く信仰され、これが仏教に取入れられて音楽,弁舌,財富,知恵,延寿を司る女神となり、古くから、商人や芸人などの幅広い人々の信仰を集めており、運を開き、福を招く女神である。

 東覚寺参拝後、明治通りに出て右折して進んだ左手に大国神恵比寿神を祀る香取神社がある。

第三番  香取神社 【大国神・恵比寿神】
 香取神社の創立は、天智天皇4年(665)、藤原鎌足が東国下向の際、この亀の島に船を寄せ、旅の安泰を祈ったことが始まりであると伝えられ、区内で最も古い神社である。
 また、平将門の乱のとき、俵藤太秀郷が当社に戦勝を祈り、祈願成就の後、弓矢を奉納し、以後武運長久を祈ることが多く、スポーツ振興の神として、多くの参拝者が訪れている。

 大国神(大黒神)は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神である。平安以後食を司る台所の神と崇められた。
 七福神のひとつで、米俵の上に乗り、頭巾ずきんをかぶり、打ち出の小槌こづちを持ち、大きな袋を肩に担ぐ像で表される。中世以降、大国主命と同一視されて広く信仰され、恵比須とともに福徳の神とされる。

 恵比寿神は、七福神の中で唯一の日本の神様。 いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられて捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀られたのが、信仰のはじまりと伝えられている。
 恵比須の名は、外国人を意味するエビスの言葉と同一で、本来は異郷から来臨して人々に幸福をもたらすと信じられた神である。
 エビス顔といわれるように、笑顔愛敬、和顔愛語の福徳を人に授け、かつ富財の神として、信仰されてきました。

 香取神社を詣り、その先の福神橋交差点を左折し浅草通りを進み、右に境橋を見てさらに進み、左に折れる小道を入った左手が福禄寿を祀る天祖神社である。

第四番  天祖神社 【福禄寿】
 天祖神社の創建は推古天皇御代(593〜628)、厩戸皇子(聖徳太子)作のご神像を御神体として祀ったのが創建とされる。その後、衰退していたのを応永10年(1403)に復興したと伝えられている。
 天正年間(1573〜1592)に悪病が大流行したとき、織田信長がこの神社で流鏑馬の行事を行わせたところ、たちまち収まったと伝えられ、今日では子供の健やかな成長を祈って、毎年流鏑馬(こども歩射)が行われている。
 大正12年(1923)の関東大震災で社殿が焼失したため、再建時に鉄筋コンクリート造にした。日本最初の鉄筋コンクリート造の社殿といわれている。
 亀戸七福神のひとつ福禄寿として親しまれている。

 福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神で、中国発祥の神様であり、南極老人星の化身として中国の村や街に住んでいたと言い伝えられている。
 仙人がモチーフになっており、長い頭と長い顎髭、大きな耳たぶが特徴。左手には宝珠、右手には巻物をくくりつけた杖を持つ姿をしているのが特徴的で、招徳人望の神様として信仰されている。

 天祖神社を詣り、すぐ右へ進み左へカーブした細い道を道なりに進み突き当りを右に折れると横十間川に沿った道に出る。その右に布袋尊を祀る龍眼寺がある。

第五番  龍眼寺 【布袋尊】
 龍眼寺の創建は応永2年(1395)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号した。
 その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名した。
 江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称萩寺として多くの文人墨客が訪れている。また、境内の万治2年(1659)造立の庚申塔は、区内で確認されているもののうち最古のもの。
 亀戸七福神のひとつ布袋尊として親しまれている。

 布袋尊は中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、普段から大きな袋を持ち歩き、その袋に施しを受けていた。又、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められてきた。
 肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚い。
 所持品である袋は堪忍袋とも見なされるようになった。

 龍眼寺を詣った後、左に進み、栗原橋の信号を左折し暫く進み、突き当りを右折した先右手に毘沙門天を祀る普門院がある。

第六番  普門院 【毘沙門天】
 普門院は、大永2年(1522)三股(隅田川・荒川・綾瀬川が落ち合うあたり、現足立区千住)城中に創建され、元和2年(1616)に現在地に移った。その時、過って梵鐘を隅田川に沈め、鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来になったといわれている。
 墓地には、歌人の伊藤左千夫や幕末の名横綱秀ノ山雷五郎の墓などがある。
 亀戸七福神のひとつ毘沙門天として親しまれている。

 毘沙門天(梵名ベイシラマナ)は、須彌山の中腹にあって、北方を守護し、多くの夜叉・羅刹を統率するとともに、仏法を守護し、福徳を授ける善神。 その形像は怒りの相を表わし、甲冑を着け、片手に宝塔、片手に宝棒また戟を持つ。
 日本では四天王の一尊として造像安置する場合は多聞天、独尊像として造像安置する場合は毘沙門天と呼ぶのが通例である。庶民における毘沙門信仰の発祥は平安時代の鞍馬寺である。
 毘沙門天は戦の神様であり、江戸時代以降は特に勝負事に利益ありとして崇められている。

 普門院を詣り、七福神を巡り終えたが、亀戸に来たので亀戸天神社に詣ることに。普門院に沿って右に折れるとその先が亀戸天神社である。

亀戸天神社
 亀戸天神社は、学問の神様、菅原道真公(天神様)を祀る神社で、寛文2年(1662)菅家の後裔、菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮より勧請、地形をはじめ社殿や楼門、太鼓橋など境内の結構をすべて太宰府の社にならって造営したのを起源とする。
 爾来、亀戸宰府天満宮とも号され、朝野の信仰厚く、また、行楽の名勝地としても喧伝され、杖をひく人跡を絶たない繁栄をみせ、江戸庶民信仰の本源として関東天神信仰の中枢を占めている。

 亀戸天神社を詣り、境内にある江戸懐石「若福」で昼食を摂り、ミニ新年会を行って、亀戸天神社を出たところで、船橋屋のくず餅を買い亀戸駅へ行き帰路に着く。


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