池上七福神めぐり

                                                        2020.1.6

 生涯大学30期文化AクラスOBの有志で行っている「歩きま専科」の2020年第一回目は、恒例になった七福神めぐり、今年は「川越七福神」を巡った。

 七福神は、七つの災いを除き、七つの幸せを与える神々であり、また、人に七つの道を示し、人々に七つの徳をそなえさせる福神でもある。
 七福神巡りは、谷中の七福神巡りが最初といわれている。有名になったのは、隅田川の七福神巡り、文化元年(1804)向島百花園が開園されてから始まった。その他各地に七福神巡りが始まり、文化文政の頃からとくに盛んになった。

 小江戸川越には、古くから七福神をお祀りしている寺々がある。徳川家康の信望が厚かった喜多院の天海僧正が天下泰平と人々の幸福を願って確立。以後、元禄時代以降に流行し、現代まで受け継がれている。
 正月元旦から7日まで、各寺院で七福神絵馬と御朱印用色紙の取り扱いを行なっている。
 全行程約7km、ゆっくり徒歩で回っても3時間。川越の蔵造りの町並みを囲むような散策コースである。

1.妙善寺 【毘沙門天】
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2.天然寺 【寿老神】
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3.喜多院 【大黒天】
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4.成田山川越別院 【恵比寿天】
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5.蓮馨寺【福禄寿】
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6.見立寺 【布袋尊】

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7.妙昌寺 【弁財天】
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 10:00、東武東上線川越駅に、経堂歴史勉強会で講師をして頂いている宮瀧先生ご夫妻はじめ7名が集合、晴天の下スタート。まずは、川越駅東口を出て一つ目の信号を右に曲がり、しばらく真っ直ぐ進み右に折れたところに毘沙門天を祀る妙善寺がある。

第一番  妙 善 寺 【毘沙門天】
毘 沙 門 天 さつまいも地蔵尊
 妙善寺は、天台宗に属する元中院の末寺で道人山三心院と呼ばれ、開山の仙波中院28世尊能法印が寛永元年に父母の追福の為この寺を建立したものである。堂宇は天明8年の火災によって焼失、昭和53年(1978)再建されたものである。
 創建時の本尊は薬師如来だったが、今は不動明王を本尊とし、脇には阿弥陀如来、観世音菩薩、毘沙門天が安置されている。
 なお、境内には室町時代嘉吉元年(1441)契薫大姉逆修の年号を有する板碑供養塔、石造りの地蔵尊(元禄6年)、さつまいも地蔵尊等がある。
 毘沙門天は、仏教の守護神で多聞天とも呼ばれている。鎧、兜に身を包み左手に持っている宝塔より無量の宝物を衆生に与えて福徳を授け、右手の鉾は邪を払い魔を降す徳を示す。心には勇気決断、くらしには財という、物心ともどもの福を施す神である。
 さつまいも地蔵尊:寛政の頃、江戸の町に焼芋屋が現れ、その焼芋用のイモとして「川越いも」は発展、有名になった。瀬戸内海の島々には、江戸期、サツマイモで飢饉を乗り越えたことから、イモを伝えた先人の徳を偲び、「芋地蔵」の地蔵群が残っている。サツマイモで有名なここ川越では「サツマイモを食べてガンを防ごう」の願いを込め、現代版芋地蔵を建立した。

 妙善寺を出て左へ、県道川越・坂戸・毛呂山線を左折し進み、川越駅入口(東)交差点を右折。天然寺の看板が見えたら、仙波会館の道を直進する。道なりに坂を下り国道16号に出て左に折れるとすぐ左手に、寿老神を祀る天然寺がある。

第二番  天 然 寺 【寿老神】
 天然寺は、自然山大日院と号し、本尊大日如来(金剛界)を安置。慈覚大師草創の地と伝えられているが、天文23年(1554)9月開山栄海上人によって創建された。
 境内には慈母観音像、六地蔵尊等がある。平成3年5月には新本堂・客殿・庫裡が完成し、寺観を一新した。
 寿老人は、中国の神様で、老人星の化身、福禄寿と同体異名であるともいわれ、そのお姿は多様である。
 天然寺の寿老人は、彦根智教寺に安置されていたもので、長頭、長髭、右手に杖を持ち、左手に長寿のしるしの桃を持っている。
 富財、子宝、諸病平癒とそのご利益は多岐にわたっているが、なんといっても長寿の神として信仰されている。

 天然寺を出て、来た道を戻り、仙波会館の信号を右折し暫く直進する。喜多院の手前左手に中院がある。

 中院は古くは星野山無量寿寺仏地院と呼ばれ、鎌倉時代の終わり頃、無量寿寺から分かれたとされる天台宗別格本山で、喜多院に天海僧正が来往するまではこの地の中心的な寺院であったといわれている。
 中院はまた島崎藤村ゆかりの寺院として知られており、境内には川越市の文化財に指定された島崎藤村ゆかりの茶室・不染亭があり、現在は茶道を楽しむ人々に利用され、保存伝承されている。

 中院のすぐ先左手に仙波東照宮がある。仙波東照宮は、喜多院第27世住職天海僧正が徳川初代将軍家康公を祀ったもので、日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つである。

 元和2年(1616)駿府城で徳川家康が亡くなると一旦久能山に葬られたが、元和3年(1617)日光山に改葬の途中、3月23日から26日までの4日間、遺骸を喜多院に留めて天海僧正が導師となり大法要を営んだ。そのことから境内に東照宮が祀られ、寛永10年(1633)には立派な社殿が造営された。
 ところが寛永15年(1638)の川越大火により類焼したため、徳川家光公の命により川越藩主堀田正盛が奉行となって直ちに再建に着手、寛永17年(1640)に完成したものが現在の社殿である。

 仙波東照宮の先左手に大黒天を祀る喜多院がある。

第三番  喜 多 院 【大黒天】
 淳和天皇の勅で天長7年(830)、慈覚大師円仁により創建された星野山無量寿寺が始まりとされる。慶長4年(1599)、二十七世を継いだ慈眼大師天海徳川家康の厚い信頼を得、寺領四万八千坪及び五百石を下し、寺勢盛んとなった。
 寛永15年(1638)の火災後の再建時には、江戸城内の「徳川家光誕生の間」が書院、「春日局化粧の間」が客殿として移築された。
 現在、多くの文化財や正月3日の初大師・だるま市、五百羅漢などの見どころや行事があり、川越大師として親しまれ、多くの参詣の方々が訪れる。
 大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神である。平安以後食を司る台所の神と崇められた。又、日本の神大国主命を大国と混同させ、命のご神徳を合せ、糧食財宝が授かる神として信仰を得た。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られるという。

 喜多院を出て左に進むとすぐ恵比寿天を祀る成田山川越別院がある。

第四番  成田山川越別院 【恵比寿天】
 大本山成田山新勝寺の別院で真言密教の寺院で、目の病を不動明王に祈願して全治した千葉の石川照温が嘉永3年(1850)に創建したものである。
 喜多院の北側に位置し、地元では交通安全祈願で広く知られ、「久保町のお不動様」として親しまれている。
 恵比須様は「福の神」の代表。鯛を抱いた福々しい相好はなじみ深いものである。恵比須の名は、外国人を意味するエビスの言葉と同一で、本来は異郷から来臨して人々に幸福をもたらすと信じられた神である。漁村では海の神、農村では田の神、山村では山の神、都市では市神、福利を招く神として、商人からも深い信仰が寄せられている。

 成田山川越別院を出て、県道日高線を左に進み、松江町交差点を右折し、次の角を左折して進むと正面に、福禄寿を祀る蓮馨寺がある。

第五番  蓮 馨 寺【福禄寿】
 蓮馨寺は天文18年(1549)、時の川越城主大導寺駿河守政繁が母の蓮馨尼を追福するために、感誉上人を招いて開山した浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来である。
 慶長7年(1602)浄土宗関東十八檀林の制が設けられると、この寺もその一つに列せられ、葵の紋所が許されるなど檀林(僧侶の大学)として栄えた。しかし明治26年(1893)に鐘楼及び水舎を残して全焼してしまい、現在の堂は、その後の再建になっている。
 入口正面の呑龍堂は大正初期の建築で、民衆から慈悲の生仏と崇められた呑龍上人の像が安置されている。
 福禄寿神とは、幸福、高禄、長寿の三徳を具えて、これを人に与え、方位除災、商売繁昌、延寿福楽等のご利益を現わされる方であるが、蓮馨寺の尊像は右手に霊芝、左手に神亀を持たれ、癌や脳卒中を早く治しなさい、そうすれば、福禄寿が得られますと教えている。

 蓮馨寺を出て左へ進むと、この通りが観光名所になっている「蔵造りの町並み」だ。この町並みが出来上がったのは明治時代。明治26年(1893)の川越大火の後、耐火建築である「蔵造り」が採用されたことによるもの。現在も約20棟の蔵造りが軒を連ねている。


 しばらく町並みを散策、時の鐘入口信号を右に折れるとすぐ左手に時の鐘が建っている。
 時の鐘は江戸時代の寛永年間(1624〜44)に、川越藩主、酒井忠勝によって建てられた。現存の鐘楼は、明治時代の川越大火の直後に再建されたもの。約390年間もの間、時を刻み、今は1日4回、由緒ある音を聞くことができる。

  「蔵造りの町並み」の終点の札ノ辻交差点を左折し、暫らく歩き、新河岸川の手前を左に折れると左手に、布袋尊を祀る見立寺がある。

第六番  見 立 寺 【布袋尊】
 見立寺は壽昌山了心院と号する浄土宗の寺院。永禄1年(1558)小田原北条氏の重臣で川越の城将大道寺正政繁公が、城下に一寺を建立して建立寺と名づけ、一族中の感譽存貞上人を小田原伝肇寺より招請して開山とし、のち見立寺と改めた。
 現本堂は、明治14年(1881)に建立されたものである。
 布袋尊は中国唐代の禅僧で名は契此。小柄で太鼓腹、大きな袋を担って各地を放浪し、吉凶を占い、福を施して倦むことがなかったという。又、未来仏たる弥勒菩薩の化身ともいわれ、昔から崇められてきた。

 見立寺を出て、川沿いに左に進み、突き当りを左へ折れ暫く進み、老人ホーム蔵の町・川越の先の交差点を右折、妙養寺の先を左折して行くと右手に弁財天を祀る妙昌寺がある。

第七番  妙 昌 寺 【弁財天】
 妙昌寺は日蓮宗大本山池上本門寺の末寺として法眞山と号し、永和元年(1375)、池上本門寺第四世大鷲妙泉阿者梨日山聖人により現在の幸町に開創された。
 江戸時代城下町整備により、寛保元年(1741)に現在の三光町の旧浅場孫兵衛侍屋敷跡地に移築したもの。平成4年3月に新本堂と客殿が完成し、寺観を一新した。
 弁財天様は、七福神唯一の女神で、弁舌、芸術、財福、延寿を授ける神として、古くから、商人や芸人などの幅広い人々の信仰を集めており、運を開き、福を招く女神である。

 これで七福神を巡り終え、妙昌寺を出て東武東上線川越市駅に向かう。途中の中華料理店で昼食を摂り、川越市駅にて解散。


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