世田谷老人大学のクラスの人たちで、皇居一般参観と東御苑の散策をしてくる。

 皇居は、江戸時代に徳川歴代将軍が居城としていた所である。明治維新の後、明治天皇は、千数十年にわたって天皇がお住まいになっていた京都からお移りになり、以来、ここに天皇がお住まいになり、宮殿では諸行事が行われてきた。昭和20年(1945年)に焼失した明治宮殿に代り、昭和43年(1968年)に現在の宮殿が完成した。

 皇居の面積は約115万平方メートルで、濠でかこまれ、8つの門がある。その中で、皇居東御苑は一般に公開されているが、皇居内宮も一部が許可制で参観できるようになっている。
 

 皇居一般参観は平日に、午前と午後の2回行われていて、私達は午前10時からの参観に参加した。

 参観経路は  桔梗門(入門)〜窓明館(休所)〜富士見櫓下〜塔の坂〜宮殿東庭〜宮殿中門〜正門鉄橋(渡ってから折り返し)〜宮殿東庭〜宮殿北車寄前〜山下通り〜宮内庁庁舎前〜桔梗門(出門) の約2.2km。

 10分前までに、入門場所の桔梗門前に集合し、参観許可通知にて参観者の確認が行われ、入門である。

堀を渡り、桔梗門の高麗門をくぐり、右に曲がり渡櫓門をくぐって、皇居内に入る。このように、高麗門と渡櫓門とを直角につなげ、守りを堅固にした造りの門を枡形門といい、城門としてひとつの理想形とされ、江戸城では数多く築かれた。

桔梗門 桔梗門 高麗門
 桔梗門は、徳川氏入府時まで、太田家の家紋である桔梗が瓦に残されていた太田道灌ゆかりの門といわれる。  桔梗門も高麗門と渡櫓門とを持つ枡形門である。
  

桔梗門を入った先にある窓明館で、皇居やコースについての説明とビデオを見てから出発。拡声器を持った案内の職員を先頭に進んでゆく。

出発してすぐ右手の建物は、元枢密院庁舎、そして、左手石垣には、島津家の家紋「丸に十文字」の印が刻まれている石がある

旧枢密院庁舎 桔梗門の石垣
 国会議事堂のモデルとなった建物といわれている。  島津家の家紋「丸に十文字」の印が刻まれている石がある。薩摩藩が築造に関わった石垣なのか?
 

少し進んでゆくと、富士見櫓が見えてくる。富士見櫓は、本丸東南隅に立つ、江戸城の遺構としては最も古いものに属する三重櫓で、万治2年(1659年)の再建である。

富士見櫓 富士見櫓
 江戸城の遺構としては最も古いものに属する三重櫓で、現在の建物は関東大震災により倒壊した後、万治2年当時の古い建材を主要部材に用いて復元したもの。石垣の高さが約14.5m、櫓の高さは約15.5m。  かつてあった江戸城天守閣が「八方正面」といわれていたように、どこから見ても正面に見えることから「八方正面の櫓」ともいわれる。


 富士見櫓の横を通り過ぎると、宮内庁庁舎の正面に出る。そして
左手に見える門は坂下門で、西の丸御殿の裏門として設けられた門である。

宮内庁庁舎 坂下門
 昭和10年(1935年)に建築された二代目の庁舎で、戦後、三階は仮宮殿として、昭和44年に現在の宮殿が使用されるまでの約16年間その役目を果たした。  西の丸御殿の裏門として設けられた門。元は枡形であったが、明治になって高麗門が取り壊され、渡櫓門だけが九十度向きを変えて立て替えられた。

  
 宮内庁庁舎を右に見て過ぎ、塔の坂を上りきると石畳に覆われた宮殿東庭に着く。新年や天皇誕生日に一般参賀が行われるところだ。
  
 宮殿は、昭和43年(1968年)に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造で、儀式・行事が行われる正殿、豊明殿、長和殿及び天皇陛下が御公務をお執りになる表御座所等が回廊や廊下で繋がれている。

宮  殿 長和殿と宮殿東庭
 宮殿北車寄。宮殿への入口で、閣僚等一般の人が車を乗り降りする場所。左に見える塔は照明塔の「松の塔」。  一般参賀のときに、両陛下始め皇族方がお出ましになる長和殿は、長さ160mに及ぶ建物で、夜会やレセプションなどにも用いられる。東庭には水はけの良い、香川県産の由良石が敷かれている。
長和殿バルコニー 南車寄と南庭
 一般参賀のときに、この場所に特設のバルコニーを設け、両陛下ならびに皇族の方々がお出ましになる。  南車寄は宮殿への入口で、国賓等の重要な人物が車を乗り降りする場所。奥に見えるのは千鳥の間。

  
 宮殿東庭から宮殿中門を抜けると、通称「二重橋」と呼ばれる正門鉄橋(西の丸御玄関前門橋)に出る。

正門石橋 正門鉄橋
 昭和10年(1935年)に建築された二代目の庁舎で、戦後、三階は仮宮殿として、昭和44年に現在の宮殿が使用されるまでの約16年間その役目を果たした。  丸太を組んだ土台の上に橋を架けていたため二重に見え、「二重橋」と呼ばれたが、明治21年(1888年)宮殿竣工の年に、鉄橋に架け替えられた。西の丸御玄関前門橋とも呼ばれる。

  
 橋の上からはめがね橋の正門石橋(西の丸大手門橋)が見える。正門石橋と正門鉄橋とが二重になっているのでこの二つの橋を二重橋というのかと思っていたが、それは間違いなのだ。
  
 橋を越えて折り返すのだが、ここから伏見櫓の美しい姿が望める。

正門鉄橋と伏見櫓 伏見櫓
 西の丸の西南の隅に左右に大きな多聞を広げて立つ伏見櫓。  三代将軍家光の頃(寛永5年−1628年)、京都伏見城から移築されたと伝えられている。

  
 宮殿中門を潜り、再び宮殿東庭に戻り、宮殿南車寄、長和殿の前を通って左に折れ、北車寄、豊明殿の横を通り過ぎ、山下通りへと入る。

宮殿中門 豊明殿
 正門鉄橋から宮殿中門、長和殿を望む。  国賓を招いて行われる宮中晩餐会などの主会場に使用される第2の宮殿。


 緩やかな坂道・山下通りを左手に広がっている紅葉山を見ながら下りきると乾通りに出る。。

山下通り 山下通りにて
 宮内庁庁舎の裏手の緩やかな坂道は「山下通り」と呼ばれ、春の桜、秋の紅葉が素晴らしい、最も皇居らしい雰囲気を味わえるところ。  山下通り沿いに咲く「みつまた」

  
 乾通りにでると参観も終盤だ。乾通りに沿って、蓮池濠と富士見多聞の石垣が見える。

乾通り 蓮池濠と富士見多聞門
 坂下門から乾門に抜ける乾通 りは桜が美しい。  夏季には多くの大輪の蓮の花が見られる蓮池濠だが、冬の今は何もなく寂しい。中央やや上に白く見えるのが富士見多聞。


 再び、富士見櫓の前を通ってスタート地の窓明館に戻り、皇居参観は解散となる。

                                            皇居東御苑散策に続く

  
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その1
2007.2.28
皇居一般参観・東御苑散策
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