2008.10.21〜22


  熊野古道(中辺路)を歩く熊野三山詣でのツアーに、かみさんと参加してきました。

第1日目(10/21 TUE)

 今回はチョッとのんびり過ぎる、羽田13:15発という遅いフライトで、南紀白浜空港には、定刻(14:25)より10分遅れて到着だ。

 熊野古道は京都や伊勢、高野山から熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)をめぐる参詣道。平安貴族から庶民まで多くの参詣の人々を受け入れた「いやしの道」であり、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている。

 今回のツアーは、この熊野古道の中辺路ルート(京都〜大阪〜和歌山〜紀伊田辺〜中辺路〜熊野本宮大社〜熊野速玉大社〜熊野那智大社)のうち、人気のハイライト部分を歩く旅である。

 ツアー一行の41名は待っていたバスに乗り、空港より国道42号線から311号線へ入り、富田川に沿い中辺路ヘ向う。およそ40分ほど走ると、右手富田川の対岸に12角形の建物「熊野古道館」が見えてくる。この向かいが滝尻王子で、15:35到着。

           熊野古道館       世界遺産の碑(滝尻王子)

 滝尻王子は、熊野古道中辺路が熊野本宮大社への険しい山道に入る「聖地への入口」・滝尻にある王子社で、九十九王子の中でも格式が高いとされた五体王子(藤代、切目、稲葉根、滝尻、発心門王子)の一つである。
  
 王子社とは熊野の御子神を祭る社のことで、参詣者の休憩所として用いられ、上皇の御幸などでは歌会や奉納の儀式も行われた場所である。中辺路には、多数の王子社が設けられたことから九十九(つくも)王子と呼ばれる。

                          滝尻王子社
 滝尻王子社は奥州の藤原秀衡による建立とされ、秀衡によって奉納されたという宝剣を神宝としている。


 滝尻茶屋にいた語り部さんが案内してくれるというので、まず、滝尻王子社で、これからの熊野古道・熊野三山めぐりの無事を祈願し、社の左手の道を入っていく。すると、いきなり石段のかなりの急な上りとなる。語り部さんの話を聞きながら、急な坂道をしばらく登ると、15分ほどで「胎内くぐり」に到着。

   「聖地への入口」としての起点の道標          険しい石段の上り道


 古道に沿って横たわる巨大な岩があり、それには人ひとりがやっと通れる程の穴(岩と岩のすき間)があいていて、地元の人は、春秋のお彼岸の日には、この岩穴をくぐって山上にある亀石と呼ばれる石塔に参ったそうである。この岩穴をくぐることを、胎内くぐりとよばれ、女性が胎内くぐりをすれば安産になるという俗信がある。

        案内してくれた語り部さん        胎内くぐりの大岩


 胎内くぐりを抜けると、その上方に乳岩がある。藤原秀衡が熊野詣に訪れた際に、同行の妻がこの地で産気づき、男児を出産。秀衡は夢枕に現れた熊野権現のお告げにより赤子をこの岩に残して出発。無事、熊野詣を終えて戻ってくると、赤子は岩肌を流れる白い乳を飲み、狼に守られて無事であったという伝説のある岩である。今回は時間がなく、乳岩まで行かず胎内くぐりのところで引き返す。

 今回は時間がなく、熊野古道館はパスしたが、ここは、観光案内所兼休憩施設で、展示コーナーでは、後鳥羽上皇が滝尻王子で歌会を開いた祭に残された熊野懐紙や古道周辺の出土品、滝尻王子の所蔵品などの歴史資料が展示されている。

 滝尻王子からは再びバスで311号線を20分ほど走り、牛馬童子口の道の駅「熊野古道中辺路」に到着。ここから近露王子まで、およそ40分の古道歩きだ。

 国道を渡り、古道を右側の階段のほうへと登っていく。杉木立の中を暫く歩いていくと一里塚跡があり、間もなく箸折峠だ。箸折峠の名は、花山法皇がここで弁当を開いた時、箸がなかったため、周囲にある茅を折り、箸に使ったところからついたと言われている。

       熊野古道 牛馬童子入口       杉木立の中を行く熊野古道


 峠のところに、花山院供養塔が建っている。この宝筐印塔は鎌倉時代のものと推定されている。花山法皇(968〜1008)は、わずか19歳で最愛の妻を亡くした傷心から策謀にあい、出家、皇位を追われた。失意の末、わずかな供を連れ、心の平安を求めて熊野詣でへと旅立ち、那智滝に庵を結んだといはれる。


          一里塚跡の石碑            花山院供養塔


 花山院供養塔の脇を上ったところに、可愛らしい牛馬童子像がひっそりと佇んでいる。明治時代に、悲運の法皇・花山院の旅姿を模して作られたものと言われている。

            牛馬童子像(右は役の行者像)


 石畳の敷かれ、雰囲気はあるが歩きにくい古道を暫く下ると近露の里である。「近露」の名は、花山法皇が、箸に使うために折った茅の軸が赤く染まったのを見て、「血か露か」と尋ねたことにちなむという。

 日置川に架かる北野橋を渡るとすぐ左側に近露王子跡がある。近露王子は、最も早く現れた王子の一つで、鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子にあがっている。後鳥羽上皇はここでも和歌会を催している。境内に杉の巨木があったが、明治末期の神社合祀で廃社になり、今は近露王子之跡と刻んだ自然石の碑が立っている。

                          近露王子跡


 本日の歩きはこれで終わり、バスにて今夜の宿、本宮・川湯温泉へ。ここは、川を掘ればたちどころにお湯が湧くという大塔川を堰き止めた野趣あふれる露天風呂「仙人風呂」(11月〜2月の期間限定でオープンなので、今はできていない)で知られる温泉である。 



第2日目(10/22 WED)

 宿で朝食をとり、8:00 バスで出発。まずは発心門王子へ。ここから熊野本宮大社まで、およそ2時間半の歩きだ。

 発心門王子は五体王子の一つで、その中で、藤代王子と当王子は共に大鳥居を持ち、饒速日尊を祭神とする王子社である。発心門とは聖域への入り口という意味で、ここからが熊野本宮大社の神域とされている。その大鳥居のそばにあったことから、発心門王子の名が与えられたという。

                          発心門王子


 8:30 発心門王子を出発。ゆるやかな舗装道路を下っていくと、きれいな休憩所・トイレがある。この辺から生憎、雨が落ち始めてくる。暫くは舗装された生活道路を歩く。(この部分は世界遺産からは除外されているそうだ)

      休憩所より熊野の山を望む   熊野古道には舗装された生活道路もある


 道沿いに無人販売所があり、木彫りのお面や置物などが置かれていた。また、人形(案山子?)が笑顔で旅人を迎えてくれている。

       道沿いの人形(案山子?)         道沿いの無人販売所


 歩くことおよそ25分で、廃校になった小学校の隣にある水呑王子に到着。もとは「内飲水」といわれ、平安末期に新しく祀られた王子だそうである。今も水を飲むことができる。

           水呑王子跡         伏拝王子へと続く古道


 ここから古道らしい地道に入っていく。雨も本格的に降ってきた。およそ30分ほど歩くと伏拝王子道標があり、坂を登り切ると、伏拝王子(ふしがみおうじ)の休憩所が見えてくる。休憩所の前の高台が伏拝王子だ。

 伏拝王子では、長く厳しい参詣道を歩いてきた参詣者が、熊野本宮大社(旧社地大斎原)を、はじめて望むことができたため、遠く望んで伏し拝んだとされている。中世の参詣記にはその名がなく、比較的遅い時代に成立したと思われる。

           伏拝王子跡  伏拝王子跡 和泉式部の卒塔婆(右)も立つ


 残念ながら今日は雨で煙っていて大斎原を望むことはできない。休憩所で小休止をとり、出発。休憩所の隣りには、NHKの朝ドラ「ほんまもん」で、ヒロイン「山中 木葉」の生家として、ロケに使用された家(一般の民家)がある。

  「ほんまもん」のヒロイン木葉の生家ロケ地


 伏拝王子跡から三軒茶屋跡へは、暫く緩やかな地道を歩いていく。

               石畳がつづく熊野古道


 およそ20分で、町道を横切る九鬼ヶ口吊橋に着き、この橋を渡ったところに、三軒茶屋跡の休憩所が建っている。ここは、高野山へ通じる小辺路への分岐点で、その付近の広場が三軒茶屋跡と呼ばれており、九鬼ヶ口関所があったとされる。

      九鬼ヶ口吊橋     三軒茶屋跡の休憩所       九鬼ヶ口関所跡


 杉木立の中の古道を暫く歩いていくと、“ちょっとよりみち展望台”の立て札があり、左への分岐道がある。ちょっと寄り道をしたのであるが、天気がよければ大斎原の大鳥居望めるという展望台だったが、生憎の雨で、何も見えない・・・残念。

 ここからは下りの道となる。地道から舗装された道に出ると間もなく、祓戸王子だ。熊野本宮大社まであと50mほどのところに、小さな樹叢に守られるように立つ王子で、由緒ある神社へ参拝前、旅のけがれを祓い清める潔斎所であったと云われている。

        道端に佇むお地蔵様            祓戸王子跡


 裏門の鳥居をくぐり、拝殿の脇を通って熊野本宮大社に到着(10:45)。
熊野本宮大社は熊野三山(本宮、新宮、那智)の首座で、熊野信仰の総本宮として多くの人々の信仰を集めており、全国各地の熊野社の総本宮である。家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)を主祭神としている。

 本殿(第一殿〜第4殿)、八咫烏の碑が立っている拝殿(八咫烏は熊野権現の使いといわれる三本足の烏で、日本サッカー協会のシンボルマークとしてお馴染み)を参拝し、お札を頂戴して、参道の石段を降り、回送してくれたバスへ戻る。

        熊野本宮大社 神門         熊野本宮大社 本殿
        拝殿前の八咫烏の碑        熊野本宮大社の表参道


 バスは168号線を熊野川に沿って下り新宮の熊野速玉大社へ向う。熊野速玉大社は、熊野三山の一つで、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としている。もともとは、速玉大社から南へ1〜2km行った千穂ヶ峰の東南端の神倉山に祀られていたのが、のちに現在地に遷され、そのため神倉山の古宮に対し、ここを新宮と呼ぶようになったということである。

        熊野速玉大社 本殿         熊野速玉大社 拝殿


 表参道、神門前には、国の天然記念物に指定されている推定樹齢1000年の「梛(ナギ)の大樹」がある。ナギは熊野権現の御神木で、その葉は、笠などにかざすことで魔除けとなり、帰りの道中を守護してくれるものと信じられていた。ナギの葉は、縦には簡単に裂くことができますが、横には枯れ葉であってもちぎり切ることができないので、男女の縁が切れないようにと女性が葉を鏡の裏に入れる習俗があったそうである。

        梛の大樹


 熊野速玉大社を参拝した後は再びバスで那智山へ。途中、菓子処「ねぼけ堂」で昼食を摂った後、ここから近い大門坂へ。大門坂入口でバスを降り、大門坂二丁まで歩く。雨は具合よく上がってくれた。

 大門坂と刻まれた石碑の横を通っていくと間もなく、右手に新宮藩の関所跡(十一文関)の立札が立っている。さらに歩いていき、朱色の欄干の「振ヶ瀬橋」を渡ったところに大門茶屋がある。大門坂、那智の滝、那智山青岸渡寺、熊野那智大社など名所、旧跡の写真が展示されている。また、平安衣裳の貸し出しも行っている。

           大門坂入口            大門茶屋


 その先に、坂道の両側にまるで門柱のようにそびえている夫婦杉がある。樹齢800年といわれ、幹の周囲は8mもある。その巨木の間を通って、いよいよ大門坂のスタートだ。苔むした石段と樹齢800年を越す老杉等に囲まれ、往古の熊野詣を偲ぶ古道を歩いていくと、右手に、多富気王子跡がある。

         夫婦杉       大門坂の石畳       楠大樹


 多富気王子は、熊野九十九王子の最終の王子社で、ここから那智の大滝が拝めることから(両手を向けてあわせる王子)「手向け王子」から転じて多富気王子と言われている。その先には、樹齢800年の楠大樹もある。

          多富気王子跡


 大門坂二丁でバスが待っており、バスに乗り那智大滝まで行く。那智大滝は、熊野那智大社の別宮・飛瀧神社のご神体として祭られている名瀑。高さ133m、瀧幅13mという大滝で、毎秒1tの水を落とすといわれている。那智四十八滝の一の滝で、日本三名瀑の一つである。

                        那智大滝


 那智大滝を参拝した後、熊野那智大社へ向う。駐車場の前より、473段の石段を登ったところに大社はある。また雨が降ってくる。お店の並ぶ石段の参道を登っていくと、参道が二手に別れ、左の鳥居をくぐると熊野那智大社へ向う。(右に行くと青岸渡寺へ行く)

       熊野那智大社の参道入口           熊野那智大社


 熊野那智大社は、熊野三山の社殿中、古代の姿がよく保たれている「権現造」の社殿で、主神は夫須美神(ふすみのかみ)である。そして、その隣りには、青岸渡寺が建っている。古くは熊野那智大社とともに神仏習合の一大霊場だった熊野最古の建造物で、開創は4世紀頃と伝わるが、現在の本堂は豊臣秀吉が再建したものとされている。

        熊野那智大社 本殿            青岸渡寺


 大社を参拝し、その脇を通って青岸渡寺をお参りし、これで、無事熊野三山詣でができたのです。青岸渡寺の横手にでると、朱色の三重塔と那智大滝という、ポスターなどでお馴染みの光景が広がっている。

                那智大滝と三重塔


 今度は、473段の石段を下り、バスの待つ駐車場へ戻る。15:20、那智山を後にして、42号線を白浜へと向う。途中、串本の橋杭岩に寄り、南紀白浜空港にてツアーは解散。 19:20発のフライトで帰路に就く。午後10時、無事我が家に帰着。

                            橋 杭 岩


 今回の旅は、初日午後出発ということで、スケジュールもチョッとタイトであり、また、二日目は生憎の雨ではあったが、世界遺産の古道を森林浴をしながら歩いて、熊野三山詣をしてきた熊野古道ウォーキングを楽しむことができた。

                                                          おわり


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