世界遺産 富岡製糸場を訪ねる

                                                     2019.5.10

  Hiroが参加している「経堂歴史勉強会」のバス旅行で、千葉県立房総のむら成田山新勝寺佐原を訪ねて来ました。
 小田急線・経堂駅近くのユリノキ公園を、8時20分に勉強会の常任講師である、大東文化大の宮瀧教授と今回の参加者12名を乗せバスは出発、三軒茶屋から首都高速道に入り、中央環状品川線、湾岸線、東関東道を走行し、成田ICで下り、印旛郡栄町にある千葉県立「房総のむら」に向かう。

 当初、栄町にある龍角寺を訪ね、白鳳期の作(頭部のみ)である銅造薬師如来坐像を拝観する予定であったが、住職が急遽葬式に出掛けることになり、拝観できなくなったので、そのレプリカが展示されている、房総のむら内にある「風土記の丘資料館」を見学することになった。

 龍角寺は、和銅2年(709)に竜女が現れ、一夜のうちに諸堂(金堂、塔)を建立したと伝えられている。関東地方でも最も古い寺院の一つで、当時、東に高さ33mの三重の塔とも五重の塔とも推考される塔があったが、度重なる火災により古い建物は残っておらず、金堂跡、仁王門跡、塔跡などにより、在りし日の姿をしのぶことができるのみとなっている。
 本尊の銅造薬師如来坐像は、白鳳期の作(頭部のみ、体部は元禄5年(1692)の火災後の再鋳)で、深大寺銅造釈迦如来像(国宝)とともに、関東地方に残る白鳳期の仏像の稀少な例として注目される。

 
千葉県立「房総のむら」は、房総の伝統的な生活様式や技術を直接体験するとともに、県内各地から出土した考古遺物や、商家・武家屋敷・農家などの展示を通して歴史を学ぶことを目的とした博物館である。
 今回は、時間がないので、房総のむら内にある「風土記の丘資料館」を見学しただけだったが、改めてゆっくりと訪ねてみたいところである。

千葉県立 房 総 の む ら
風 土 記 の 丘 資 料 館
古 墳 群 の 一 つ


 房総のむらを後にして、成田山新勝寺に向かう。成田山新参道にある米屋観光センターにて昼食後、新勝寺大本堂をお参りする。

成 田 山 新 勝 寺
 成田山新勝寺は、真言宗智山派の仏教寺院で、同派の大本山の一つである。本尊不動明王は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海がみずから敬刻して開眼し護摩法を修せられた尊像である。
 京都の高雄山神護寺に奉安されていたが、天慶2年(939)平将門が反乱を起こすと朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正は、この尊像とともに関東に入り、下総の国、成田の地にて21日間平和祈願の御護摩を修めた。その満願の日、天慶3年(940)2月14日に兵乱は平定され、この地に新勝寺の寺号を賜って成田山が開山された。


 成田山新勝寺を参詣後は、北総の小江戸といわれる佐原へ。成田ICから東関東道に入り、佐原香取ICで下り、まず水郷佐原山車会館へ。

水 郷 佐 原 山 車 会 館
 館内には、ユネスコ無形文化遺産にも指定されている佐原の大祭で曳き廻される日本一の大人形山車の実物が2台展示されている。
 小江戸佐原の一大イベント佐原の大祭は、7月に行われる八坂神社祇園祭と、10月行われる諏訪神社秋祭りの総称をいい、 関東3大山車祭りの一つと称され、約300年の伝統を有する。
 この大祭で曳き廻される山車は、総欅造りの本体に関東彫りの重厚な彫刻が飾り付けられ、上部には江戸・明治期の名人人形師によって制作された高さ4mにも及ぶ大人形などが飾られている。


 水郷佐原山車会館を見学した後は、江戸情緒あふれる古い町並みが残っている小野川沿いを歩き、わが国最初の実測日本地図をつくりあげた伊能忠敬が使用した測量器具、測量図、日記などの関係資料(平成22年6月29日に国宝指定)などが展示されている伊能忠敬記念館を見学する。

伊 能 忠 敬 記 念 館
 伊能忠敬は、千葉県九十九里町に生まれ、宝暦12年(1762)、17歳の時に佐原の酒造家伊能家の婿養子となる。忠敬が伊能家に来た時、家業は衰え危機的な状況だった。忠敬は倹約を徹底すると共に、本業の酒造業以外にも、薪問屋を江戸に設けたり、米穀取り引きの仲買をして、約10年間で経営を完全に立て直し、36歳で名主となる。
 49歳で家業を全て長男に譲って隠居。寛政7年(1795)、50歳を機に幼い頃から興味を持っていた天文学を本格的に勉強する為に江戸へ出て、当時の天文学の第一人者、高橋至時を訪ね弟子入りした。
 寛政12年(1800)、55歳で北海道南岸の測量を行い、以降計10回に及ぶ日本全国の測量を71歳まで行った。
 文政元年(1818年)4月13日、弟子に見守られながら73歳で世を去ったが、没後3年にして日本全図は完成したのである。


 伊能忠敬記念館を見学後、小野川を挟んで向かいにある、忠敬が住んだ家「伊能忠敬旧宅」を見学する。
 小野川に面して、醸造業などを営んでいた土蔵造りの店舗のほか、炊事場書院土蔵が今も残されている。店舗と正門は忠敬が17歳で婿養子に入る前の建物で、書院は忠敬が設計したと伝えられている。

伊 能 忠 敬 旧 宅


 伊能忠敬旧宅を見学してからバスに戻り、帰路に着く。佐原香取ICから東関東道に入り首都高湾岸線、レインボーブリッジを渡り、高井戸ICから環八通りに入り、経堂に戻り、解散となった。

おわり   



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