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「酒の井伝説」
昔むかし、印旛沼の近くの村に年老いた父親と孝行息子が住んでおった。父親はたいそう酒好きでな、親思いの息子は毎日一生懸命働いて父親に酒を買っていたんじゃ。ところがある日、どうしても酒を買う金がつくれずに、とぼとぼと歩いて家に帰ろうとしていた。その時、道端の井戸から何とも良い香りが「ぷうん」としてきた。井戸の水をくんでなめてみると、それは本物の酒だったんじゃ。さっそく帰って父親に飲ませると、「こりゃうまい酒だ。ありがたい、ありがたい」とたいそう喜んだ。息子はそれから毎日、毎日井戸から酒をくんで飲ませたんじゃ。ところがこの酒は、親子以外の人が飲むと、ただの水になってしまうんじゃな。「きっと、孝行息子の真心が天に通じたに違いない」とみんながほめたたえた。この酒の話しが広まり、村もいつか「酒々井」と呼ばれるようになったということじゃ。
街道に戻り少し進むと左手に下宿麻賀多神社がある。
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「下宿麻賀多神社」
酒々井下宿麻賀多神社の創建年代等は不詳ながら、酒々井の地は天喜年間(1053)に村落として成立、その際に印旛郡域東南部に数多く鎮座する麻賀多神社が創祀されたと推定されている。
長禄元年(1457)に千葉輔胤が本佐倉城を築城すると、天正18年(1590)に滅ぼされるまで城地鎮護の神として崇敬されていたという。
境内の古峯神社、大杉神社、妙見神社、水神社など十社の摂社・末社があることから往時の栄華が偲ばれる。
下宿麻賀多神社を出て暫く進むと左手に下り松三山碑がある。奥州出羽三山に参詣した記念碑で、左から文政8年(1825)の庚申塔、文政8年(1825)の馬頭観世音碑、文政13年(1830)の出羽三山供養塔が並んでいる。
この地域では壮年になると講をつくり出羽三山に参詣することになっていた。
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その先に、印旛沼や遠く筑波山を望む浮世絵にも描かれた絶景地下がり松と呼ばれる場所がある。江戸時代には茶店があり、成田詣での人々の休憩所として賑わったという。
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