大山道を歩く

No.10


 世田谷区生涯大学30期文化AクラスOBの有志で、「日光街道」を歩き、日光東照宮をお詣りを目指します。

第10回 野木駅前〜友沼交差点〜法音寺〜友沼八幡神社〜若宮八幡神社〜乙女八幡宮〜乙女河岸跡〜小山市立博物館〜間々田駅入口交差点〜間々田駅

令和2年11月17日   

 10:00、野木駅前に、5名が集合、晴天の下スタート。駅前通りを1kmほど歩き、友沼交差点で右折し日光街道に入る。

 暫く進んだ右手道端に、慶応2年(1866)建立の題目碑「南無妙法蓮華経」があり、その向かいに小社に祀られている馬頭観音がある。


 そしてそのすぐ先を右に入ったところに、塚上に鎮座している愛宕神社がある。村境にあって悪霊の侵入を防ぐ「塞の神」と「火防の神」を併せ持っている神社だ。


 そのすぐ先に観音堂があり、境内には嘉永元年(1848)建立の十九夜塔や文政2年(1819)建立の二十三夜塔等がある。


 立派な長屋門の前を通り過ぎ暫く進んだ左手に法音寺がある。

「法音寺」
 応永2年(1395)創建の古刹。明治22年(1889)に町村制が施行されると境内に最初の村役場が置かれた。山門の左に、安永9年(1780)建立の、芭蕉が「野ざらし紀行」で読んだ「道ばたのむくげは馬に喰われけり」の句碑がある。

 法音寺の向かい側に友沼八幡神社がある。

「友沼八幡神社」
 源頼義義家父子が「前九年の役」凱旋の折に勧請し、友沼村の鎮守となった。
 歴代の将軍は古河城を出発した後、この神社の境内に建つ西運庵で最初の休憩をとったのである。

  友沼八幡神社をでて暫く進み、小山市に入ると間もなく左手に馬頭観世音があり、乙女河岸網戸(あしと)河岸への道標で「是より左 乙女河岸 あしと とちき さのみち」と刻まれているが、読めない。
 また暫く歩くと左手に、榎の大木の根方に鳥居、石灯篭があり石祠が祀られている乙女一里塚跡がある。


 その先左手に、神仏習合の名残で神社に大日如来像がある若宮八幡神社がある。

「若宮八幡神社」
 創立は不詳であるが、満福寺内の八幡社。境内にある大日如来座像は満福寺の寺宝で、宝永6年(1709)に鋳造されたもので、武州江戸湯島渡部九兵衛が施主となり、その父母の供養のため、その生国である下野国都賀郡寒沢の地に安置したと伝えられる。
 また、戸外に安置されていることから「濡れ仏様」と呼ばれ、親しまれている。平成11年に覆屋が建てられた。

 若宮八幡神社を過ぎ、暫く進んだ左手に明治21年(1889)の建立で如意輪観音像が陽刻されている十九夜塔がある。


 十九夜塔は旧暦19日の月待の記念として、十九夜講中によって造立された塔である。
 月待行事とは、十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜、「講中」と称する仲間が集まり、飲食を共にしたあと、経などを唱えて月を拝み、悪霊を追い払うという宗教行事である。
 十九夜講のほとんどは女人講、念仏講である。子安講といい、安産を祈願することもある。「十九夜塔」「十九夜念仏供養」などと刻まれた文字塔と如意輪観音の刻像塔がある。

 また暫く進み、乙女交差点の手前右手に佛光寺がある。2代将軍秀忠から十石の寺領を賜った。参道には文久元年(1861)建立の十九夜供養塔があり、境内の観音堂にはっ十一面観音像が安置されている。


 佛光寺の向かいに、村社八幡宮の社標が立っており、参道に入ると石の鳥居が建っている。


 この鳥居は元禄16年(1703)に当宮別当寺だった光明寺の住僧舜誉が願主となって建立したもので、施主として乙女村の青木主水尉照朝と下館大町(茨城県)の有力商人高嶋忠左衛門勝広、栃木町の石屋三左右衛門らの名が銘文に刻まれている。このことから八幡宮は、西方の思川沿いに開けた、乙女河岸で活動する商人からも崇敬されていたことがうかがわれる。

 参道を進んだところに、鎌倉時代に創祀されたと伝えられる乙女八幡宮がある。


 乙女八幡宮を参拝した後、乙女交差点で街道を離れ左折し、乙女河岸へ行く。思川に架かる乙女大橋の手前左手が小山乙女河岸歴史公園となっており、乙女河岸跡である。

「乙女河岸」
 思川に設けられた河岸(船着場)の一つ。上河岸、中河岸、下河岸と呼ばれた3軒の問屋があった。
 慶長5年(1600)、徳川家康は会津の上杉景勝を討つため小山に進軍したが、その際武器や兵糧などを乙女河岸から陸揚げしたとされている。進軍の途中、大坂での石田三成の挙兵に対し,ここ小山で会議を行い,軍を返したことは小山評定として広く知られている。その際に乙女河岸から船に乗り,途中,茨城県の古河を経て東京都の葛西に上陸し,5日には江戸城にもどっている。
 以後、日光東照宮の改修(日光普請)のための資材や米などの物資の輸送の重要拠点として繁栄した。

 乙女河岸から戻る途中で左に折れ、小山市立博物館に寄る。

「小山市立博物館」
 失われゆく郷土小山の貴重な文化遺産を永く後世に伝え保存するとともに、これらを広く市民に公開することを目的として昭和58年(1983年)に 開館された。
 常設展示では、「小山の文化のあゆみ」をテーマとして、約320点の実物・複製資料のほか、写真パネルや模型などにより、郷土の姿を、効果的に展示している。現在、企画展「秀郷伝説異聞」が開催中。

 街道の戻り、今回の日光街道歩きは間々田駅入口交差点までとし、間々田駅に向かう。


第11回に続く      



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