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「小金井の一里塚」
日本橋から22番目の一里塚で、当初の塚は四角形で、東側に松、西側はエノキを植えた。現在はどちらもエノキで、東側はクヌギも混在する。 |
小金井の一里塚を過ぎ、下野小金井交差点を超え少し歩くと右手に領主陣屋跡の菅井製菓が見える。
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「領主陣屋跡」
この地を領した下総佐倉藩の出張陣屋跡。佐倉藩堀田氏の所領は、下野国内では塩谷郡と都賀郡に分布しており、小金井陣屋は都賀郡の所領支配を行っていたものと言われている。
小金井の地は、もとは壬生藩領で、元禄9年(1696)に天領となり、宝暦13年(1763)に佐倉藩領、天明7年(1787)に再び天領、寛政11年(1799)には再度佐倉藩領という変遷をたどり、以後は佐倉藩領として幕末を迎えた。
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領主陣屋跡のはす向いに慈眼寺がある。
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「慈眼寺」
建久7年(1196)、関東の豪族新田義兼公により新田一族の祈願所として建立された真言宗の古刹。慶安2年(1649)の徳川家綱の日光社参までは将軍の小休所とされていて、享保13年(1728)の8代将軍吉宗の日光社参以降は昼休所となった。境内には御成御殿が建てられていた。
広い境内には本堂をはじめ、江戸時代に建てられた観音堂や鐘楼などが整然と並んでいる。本尊は十一面観世音菩薩。
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