薬師堂の先を左に入ったところに高尾神社がある。
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「高尾神社」
創始年代は不詳。主祭神は高尾神(水神)で、昭和16年(1941)無各社神社、湯殿神社を境内社として合祀。ほかに水神社、八坂神社を祀っている。
境内の地蔵堂には妙吉安産子育地蔵尊が安置されている。堂裏に直径約12m、高さ3mの妙吉塚と呼ばれるまるい塚があり宝篋印塔が立っている。基礎部の文字から至徳4年(1387)に建立された「妙吉」または「妙言」の塚と推定されるが、詳細は不明である。
また、境内左手に狛犬が16体保存してある。
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高尾神社を出て、宇都宮環状線を横断すると間もなく街道の両側に桜の古木並木が始まる。
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並木が途切れた先は杉並木へとなり、その中を進むと上戸祭の一里塚がある。日本橋から28番目の一里塚で、街道の右側には「一里塚」と書かれた石柱が、左側の塚には同じ石柱とヒノキが立っている。昭和58年(1983)に修復整備された。
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上戸祭の一里塚を過ぎ暫く進むと左手に光明寺がある。
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「光明寺」
文禄2年(1593年)宥憲法印により創建。静御前の守り仏(薬師如来)を安置することから「桜本薬師」の呼び名もある。
徳川将軍、日光ご社参の折りは境内にお茶場を設け将軍の休憩所とした。境内にはぼけ封じ観音があり、ぼけ封じ関東三十三観音霊場第二十三番札所にもなっている。
江戸時代後期から明治までは寺子屋を開き、近在の子供に読み書き、そろばんなどを教えていた。
光明寺をでて暫く進み、宇都宮北道路高架をくぐり更に進むと東北自動車道高架の手前に高谷林の一里塚がある。江戸日本橋より29番目で、東塚は昭和58年(1983)に補修され塚木は杉、西塚は原形を残し塚木は桜と桧である。
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東北自動車道高架をくぐった先右手に第六接合井がある。
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「第六接合井」
日光市から宇都宮市へ引かれた水道管の水圧を抑えるために建設された6つの接合井のうちの1つで、大正4年(1915)の竣工当時から改築されずに残る唯一の接合井である。接合井の上屋は赤煉瓦と大谷石を組み合わせた西洋の城郭風の建築物で、登録有形文化財に指定されている。
今回の日光街道歩きは、この先の徳次郎の山王団地入口交差点までとする。
山王団地入口バス停より宇都宮駅に戻る。
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