また暫く進むと右手に「二宮尊徳先生遺跡 石那田堰 100米」と書かれた案内が立っている。ここを右手に入ったところが石那田堰。嘉永5年(1852)に二宮尊徳の指導・監督の下で田川から取水するための堰が設けられた。
現在の堰は当時のものではないが、西岸に小さな石の祠が立ち、二宮金次郎像と数基の記念碑が立っている。
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街道に戻り、角にある「宇都宮で一番濃厚なミートソース」とうたっているイタリアンレストラン「日光スパ屋」で昼食を摂る。 |
この先右手に、日光市から宇都宮市へ引かれた水道管の水圧を抑えるために建設された6つの接合井のうちの1つ、第五節合弁の建屋がある。
その先の鎌倉街道入口交差点の手前右手の石段の上に石祠や神道系の馬頭観音である馬力神が祀られている。
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暫く進むと左手に石那田八坂神社御仮屋がある。石那田八坂神社天王祭の折、本殿からご神体が遷座する「お旅所」で、還幸の際はここから八坂神社へ向かう。
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「石那田八坂神社」
明暦元年(1655)、疫病を鎮めるため京都の八坂神社から勧請した。享保8年(1723)に再び疫病がはやり、石造りの本殿を新築して病気平癒を祈った。石那田村の鎮守である。
七月の天王祭は厄病除けの牛頭天王祭りで、猿田彦(天狗)を先頭に神輿、彫刻屋台が本殿から1km離れた御仮屋から本殿へと練り歩く。
本殿には行かず、そのまま街道を進むと右手に金勢様という小さな祠がある。祠内に「男石」が安置されている。傍らには「金勢大明神」と刻まれた文化7年(1810)建立の石灯篭や嘉永5年(1852)建立の「道陸人」と呼ばれる道祖神がある。
その先左手に三基の石塔がある。中央が青面金剛像庚申塔である。
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ここからはまた暫く歩く。松本バス停の先左手にお願い地蔵がある。
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「お願い地蔵」
享保15年(1730)の造立。地蔵尊に自分の患部と同じところに赤い布をつけるとご利益がある。地蔵尊前には三個の丸石があり、願をかけて内一個を持ち上げて、軽ければ願いが叶うというところから占い地蔵とも呼ばれる。
お願い地蔵に願をかけた後歩を進め、上小池のバス停を過ぎると右手に、石造りの不動尊をご神体とする新渡神社がある。
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この先左手に、首の欠けた地蔵尊と如意輪観音像十九夜塔がある。そして、その先民家の入り口に馬力神が祀られている。
ここで、宇都宮市から日光市に入る。右手に第四接合弁の建屋を見ながら進む。
山口交差点の先、Y字路を右に進むと杉並木になり、途中に杉並木寄進碑がある。
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杉並木を抜け大沢交差点に出て、今回のゴールとする。
大沢交差点からバスにて下今市駅へ出て、東武日光線にて帰路につく。
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