東福寺から街道に戻りしばらく進むと、本陣跡地前交差点に出る。この手前右手に、明治天皇が明治9年(1876)の東北巡幸の際休憩されたという、明治天皇御小休所趾の石碑が立っている。ここは、杉戸宿問屋場跡である。
この交差点は、本陣跡地前といい、この付近が杉戸宿の中心であった。
「杉戸宿」
杉戸宿は、江戸(日本橋)から5番目の奥州街道、日光街道の宿場町でで、元和2(1616)年に人馬継立を命じられ、成立したと言われている。
当初は上・中・下町のみであったと考えられ、その後、河原組・新町が宿に組み入れられた。
天保14(1843)年の「宿村大概帳」には、杉戸宿の長さ16町55間、道幅5間、家数365軒、人数1663人、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋46軒(大4軒、中7軒、小35軒)とある。 |