|
|
杉戸宿は、江戸(日本橋)から5番目の奥州街道、日光街道の宿場町である。
天保14(1843)年の「宿村大概帳」には、杉戸宿の長さ16町55間、道幅5間、家数365軒、人数1663人、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋46軒(大4軒、中7軒、小35軒)とある。 |
長瀬本陣跡の先右手に、渡辺金物店跡の案内板が立つ古民家があり、更にその先左手には、米穀問屋であったことから「角穀」と呼ばれた小島定右衛門邸がある。
|
|
|
角穀のすぐ先左手に、宿場の発展に貢献した古刹「宝性院」がある。
|
|
|
|
|
|
「宝性院」
開基は、永禄3年(1560)に幸手城主の一色義直公が安産と子供の成長を願い、安産不動明王を安置されたことに始まる。
元和2年(1616)には、杉戸宿本陣の庇護を受けて、本尊大日如来を祀った本堂などの伽藍が整備された。嘉永2年(1849)に再建された不動堂には、武田信玄の子孫・武田信之の揮毫による扁額がある。
境内には、文化7年(1810)建立の「日光道中」と刻まれた日光街道で最大級という馬頭観音の石像などがある。山門脇には、延宝8年(1680)建立の青面金剛像庚申塔や享保10年(1725)建立の笠付青面金剛像庚申塔がある。
また、明治期には一時、郡役所や小学校(杉戸学校)が置かれていた。 |