甲州 武田信玄ゆかりの史跡めぐり

                                                     2010.11.7〜10

 今回は、隠岐の島 4島をめぐる旅で、かみさんと2人で、阪急交通社のツアーに参加したものです。隠岐の島には、日本の滝百選に選ばれている“壇鏡の滝”があるからです。

第1日目(11/7 SUN)

 羽田空港に9:40に集合し、団体カウンターで搭乗券をもらい、JAL113便で大阪(伊丹)空港へ。ターミナルに入ったところに現地添乗員の大井田さんが待っていてくれる。今回のツアー参加者20名が揃ったところで、乗り継ぎの隠岐行きJAC2335便の搭乗口まで行く。搭乗まで時間が有るので、各自昼食をとる。

 島後(どうご)の隠岐空港までは、78人乗り双発ターボプロップ機DHC−8−400で、定刻13:25に離陸、それ程揺れることも無く14:30に隠岐空港に着陸。

島 後 ・ 隠 岐 空 港
DCH−8−400ターボプロップ機 隠岐空港ターミナル


 空港からはバスにて、まず、隠岐の島町の五箇地区にある隠岐国一宮、水若酢神社へ。

水 若 酢 神 社
 創建は神代の時代(崇神天皇の時代)といわれ、祭神の水若酢命(みずわかすのみこと)は隠岐国の国土開発と日本海鎮護の任務にあたった神と伝承されている。現存する本殿は1795(寛政7)年の建立で、国の重要文化財に指定されている。
 本殿は、「隠岐造り」と呼ばれる隠岐独特の造りで、平面の形は神明造りに、屋根は大社造りに、向拝は春日造りに似せている。  隠岐では、神社の遷宮や公共施設の竣工などを祝って、隠岐古典相撲が開催される。この神社にも、このような立派な土俵が作られている。


 水若酢神社参拝後、このツアーの目玉の一つローソク島遊覧のため、赤崎港へ向う。ローソク島の定期遊覧は10月末で終わっており、チャーター船で行くのだ。船長さんの話によるとここ2日ほどは波が高く船は出せなかったとのことである。ラッキーだ。

ロ ー ソ ク 島 遊 覧
ローソク島遊覧の遊覧船  ローソク島は、久見地区、尾白鼻の沖合い500メートルの海上にそびえ立つローソク状の形をした高さ20mの奇岩である。


 赤崎港を出て20分ほどでローソク島の近くに着く。ローソク島の先端、ローソクの芯に当たるところに夕陽が乗るように見えるところに船長さんが上手に船を操ってくれる。

 夕陽が島の先端にかかるまさにその瞬間、ローソクに灯が点ったように輝く素晴らしい光景が見られたのだ。いや〜最高!

点火を待つ(?)ローソク島  鉄砲岩から望むローソク島


 素晴らしいローソク島の光景を堪能して、赤崎港に戻り、バスにて、今夜の宿、隠岐の島町・西郷にある「隠岐プラザホテル」へ。一休みした後お風呂に入り、ホテルのレストランで夕食、魚や島根牛などを美味しく頂く。


第2日目(11/8 MON)

 今日は、島前(どうぜん)3島の観光だ、天気も晴。8:00にバスでホテルを出発。すぐ近くの西郷港よりフェリーで島前・中ノ島の菱浦港へ渡る。左右に隠岐の島々を見ながらの1時間10分の船旅だが、フェリー「しらしま」は、2343トンという大きな船なのでほとんど揺れず、デッキにいると快適だ。

島 後  西 郷 港
 隠岐は「水木さんのルーツです」ということで、ターミナルの前に、鬼太郎とねずみ男の像が建っている。埠頭にも、ゲゲゲの鬼太郎が描かれ、お出迎えしている。

 隠岐汽船のフェリー「しらしま」 2,343トン、旅客定員856名と大きなフェリーだ。

島後・西郷港を出航 高速船「レインボー2」号  中ノ島・菱浦港の北東部にある三郎岩


 9:40に中ノ島・菱浦港に到着、バスにて隠岐神社へ。途中、海士の豪族で、代々後鳥羽上皇の墓守を務めてきたという村上家を車窓より見て、10分ほどで到着。ここには、後鳥羽上皇行在所跡や御火葬塚などがある。

中ノ島 菱浦港ターミナル 村 上 家 (車窓より)


 まずは、後鳥羽上皇御火葬塚をお参りし、その少し奥にある、後鳥羽上皇が隠岐に配流され、19年間お住みになられたという行在所跡を見学する。

後鳥羽上皇御火葬塚 後鳥羽上皇行在所跡(旧源福寺)
 後鳥羽上皇は60歳で崩御された。遺体はこの地で荼毘に付され、遺骨も一部が廟殿に納められ、以降、後鳥羽上皇御火葬塚として祀られている。  承久の乱に敗れた後鳥羽上皇は、隠岐に配流となり、19年間お住まいになられたところ。現在は石柵に囲まれた中に礎石が残るのみである。


 後鳥羽院御製の勝田池の脇を通って隠岐神社の境内へ入っていく。隠岐神社は後鳥羽上皇を祀る神社で、昭和14年700年祭を期して御火葬塚 の隣に造営されたものである。

隠 岐 神 社
 本殿は昭和14年の創祀にあたって造営されたもので、隠岐造の銅板葺である。他に拝殿、祝詞舎、神饌所、祭器庫がある。広い境内には桜並木があり、毎年花の好期の4月14日は例大祭でにぎわう。
 神輿庫に収められている隠岐神輿。左は180年も前に造られたもので、座っている鳳凰は珍しい。右はは昭和10年代に造られたもの。 境内にある、尻を高く上げ、子供を抱いている珍しい狛犬。


 隠岐神社を参拝した後は、その向かいにある、海士町後鳥羽院資料館を見学する。ここには、上皇に関する数多くの資料が展示されている。

海士町後鳥羽院資料館


 次は、隣の西ノ島の観光だ。菱浦港まで戻り、チャーターした小さな船で、西ノ島・別府港へ。10分ほどで到着する。ここからバスで、国賀海岸へ向うのだが、途中、美田の「シーサイドホテル鶴丸」のレストランで昼食を摂る。

西ノ島 別府港 レストラン「シーサイドホテル鶴丸」
 中ノ島・菱浦港から乗ってきた「第52くにが」号  内海の船着場に面したレストランで昼食。


 昼食後、途中、海上安全の守護神として信仰を集めている由良比女神社と、その前のイカ寄せの浜を車窓から見て、西ノ島北西岸の国賀海岸にある赤尾展望台へ向う。

由良比女神社とイカ寄せの浜 (車窓より)
 海上安全の守護神として信仰を集めている由良比女神社  海中に鳥居の立つ浜はイカの大群が押し寄せることで知られる。


 赤尾展望台は、隠岐を代表する景勝地で、通天橋摩天崖など国賀海岸を一望できる人気スポットだ。一帯は放牧地となっていて、牛や馬がのんびりと草を食んでいる姿が見られる。幾分霞がかかっているようで、写真の写りが今一つだ。

国 賀 海 岸 (赤尾展望台より)
 国賀海岸一帯には、日本海の荒波に海蝕された大断崖や岩礁 、洞窟などが約7km続き、通天橋の周辺には標高257mの大絶壁の摩天崖や全長250mに及ぶ2本の洞窟・明暗ノ岩屋の他、鬼ヶ城、天上界など変化に富んだ景観を見せている。  海に大きくせり出したアーチ状の巨大な岩の架け橋、通天橋。岩石の中央部が海蝕作用によってえぐりあけられたもので、天空への架け橋に見立てられてこの名となった。


 次いで、魔天崖の上の展望所へ。ここからも国賀海岸が一望できる。断崖の上は緩やかな丘陵状で、一面が緑の草に覆われ、放牧された牛馬がのんびり草を食んでいる。今日は風がものすごく強く、飛ばされてしまいそうだ。

魔天崖展望所 より
 魔天崖は国賀海岸の最大の見所で、海面に向かって垂直に切り下ろされた巨大な絶壁の高さは257m。海蝕崖では日本一の高さである。


 国賀海岸の展望を楽しんだ後は、隣の島、知夫里島の観光である。浦郷港から知夫来居港まで、ここも小さなチャーター船で、20分程だ。

西 ノ 島  浦 郷
 石橋診療所 平成6年まで使用されていた診療所。NHK朝ドラ「だんだん」では、知夫里島の診療所としてロケされ、放送された。  くにがドリーム号から見る浦郷港。浦郷港から知夫里島の来居港までは20分で着く。


 来居からはバスで、知夫里島最高峰(標高325m)赤ハゲ山の展望台へ。ここからは360度のパノラマで、隠岐の島々から遠くは大山、島根半島を望めるのだが、今日は霞がかかっていて、遠望はあまりきかない。チョッと残念!

赤ハゲ山展望台
 赤ハゲ山は丸みを帯びた草原で、遠く大山、島根半島を望む島前一の好展望地といわれている。名前の由来は土壌が赤く、木のないことからと言われている。草原状となった山頂には展望広場が整備され、周辺には、牛馬が放牧されている。


 次は、知夫里島の西海岸にある赤壁へ。高さ50から200メートルの巨大な岩石の壁で、ザックリとえぐられた赤茶色の岩肌は、まさに、圧巻である。また、ここはNHKの朝ドラ「だんだん」で、最終シーンが撮影されたところでもある。

赤    壁
 「竜宮乙姫の赤帯」とも呼ばれている赤い岩脈を垂直に断ち切る白っぽい岩は、「龍のぼり」と呼ばれる粗面岩である。乙女の帯にしてはずいぶん荒々しいが、沖から見れば納得できるとのこと。

 岩の大部分はアルカリ玄武岩からなるが、赤い岩脈は凝灰岩に含まれる多量の鉄分の酸化による。 NHKの朝ドラ「だんだん」で、ドラマの最終シーンが、ここ赤壁で撮影された。  赤壁への遊歩道からの眺め。


 知夫来居港まで戻ると、先ほど浦郷から乗ってきた船が待っていてくれ、中ノ島・菱浦港へ。20分ほどて到着。

 知夫来居港のターミナルと観光案内所の建物。  「くにがドリーム」号が待っていてくれ、中ノ島・菱浦へ。 菱浦港


 港のすぐ近くの「マリンポートホテル海士」にチェックイン。隠岐で唯一の温泉大浴場備えたホテルだ。まずは、温泉に浸かり、旅の疲れを癒し、ホテルのレストランで夕食。岩ガキや魚が美味しい!


第3日目(11/9 TUE)

 今日も晴天だが、予定では菱浦港8:14発の高速船で島後に渡るのであったが、風が強く海上は時化ていて、高速船だけでなく大型のフェリーまで運休だという。ということは今日はこの中ノ島に足止めである。予定では島後を観光して帰京の予定だったのだが・・・・

 という訳で、今日は午前中、中ノ島の観光、午後はホテルで休息ということになった。9:30にバスが迎えに来てくれ、隠岐に流された小野篁がお参りしていたという金光寺山へ。海抜148メートルの台地上の山で、山頂には六所権現堂があり、眺めも素晴らしい。

金  光  寺  山
 承和5年(838年)副遣唐使であった小野篁は、大使の藤原常嗣と船のことで争い、嵯峨天皇の逆鱗に触れ、隠岐に流された。金光寺の六社権現に「都に還らせ給え」と百日の参籠祈願し、在島1年あまりで赦免になったのである。


 次いで、中ノ島(海士町)の北東部を縁取り,海蝕崖や海蝕洞が約1kmにわたって連続する景勝地である明屋海岸へ。

明  屋  海  岸
 明屋とは、昔、この海岸で女神が身籠もり、産屋(=籠もる)が明ける(子供が生まれる)ことから、子供祈願の海岸となっている。「屏風岩」「たらい岩」などおもしろい形をした岩が沢山見られる。


 ホテルへ戻り、レストランで昼食。その後は夕食まで自由行動となり、菱浦港の辺りをぶらついて見る。港までは5分もかからない。ターミナルは立派だが、今日はフェリーも運休なのでガランとしている。売店は小さくてみやげ物もあまり無い。

菱浦港のターミナル  海士町の民謡「キンニャモニャ」踊りを踊っている像が広場に立っている。


 菱浦は、小泉八雲は、明治25年(1892年)夏に隠岐を訪れ、8日間をここ海士町菱浦にある岡崎旅館に滞在したときに命名されたのだという。近くの岡崎旅館のあった場所には、小さな公園と小泉八雲旧跡として石碑が建てられている。

八  雲  公  園
 公園の前に立つ、八雲来島百年の記念碑。  公園にある、小泉八雲夫妻の像。  八雲が訪れた世界の港のパネルも展示されている。


 午後は、添乗員さんの計らいで、カラオケ室を用意してくれ、我々一行の半数ほどのメンバーが集まりカラオケを楽しむ。まだ風が強いが、何とか収まって明日は船が出ることを祈るばかりだ・・・・


第4日目(11/10 WED)

 今日も天気はまずまずだが風はやはり強く、高速船は運休とのこと。だが、フェリーは運行されるので、それで島後に渡ることになった。出航は昼頃なので、それまで時間、西ノ島観光をすることになった。

 まず船で別府港へ渡り、そこからバスで焼火(たくひ)神社へ。焼火山(海抜452m)の中腹にあり、後鳥羽上皇が海で遭難しかけた時、神火を放って船を導いたという伝説が色濃く残り、海の守り神として崇められている神社である。駐車場から山道を400mほど歩いたところに社がある。途中からの眺めも素晴らしい。

焼  火  神  社


 焼火山を下って、別府港東の天皇山とよばれる丘にある黒木御所へ。隠岐に配流になった後醍醐天皇が約1年間、行在所にしたと伝わるところである。石段を上がると、後醍醐天皇を祀った黒木神社があり、その脇から坂を上ると、小さな平地に御所跡の碑が立っている。

黒  木  御  所  跡
黒木神社、御所跡の入口  後醍醐天皇を祀った黒木神社
 黒木御所とは黒木(皮を削っていない木材)を用いて建てられた天皇の御所のこと。石碑の建つわずか十数坪の狭い台地は天皇の不遇時代を偲ばせる。  行在所後の脇に建つ後醍醐天皇御製の歌碑。
 「こころざす かたをとはばや 波の上にうきてただよふ あまのつり舟」海軍大将 有馬 良橘謹書とある。


 別府港12:20発のフェリー「くにが」に乗船、菱浦港を経由して島後・西郷港に向う。

別  府  港
別府港ターミナル  菱浦、西郷を経て境港へ行くフェリー「くにが」の入港。


 船内でお弁当が配られ、食事をした後は寝転んだりしながらのんびり過ごし14:00に西郷港に到着。大阪への飛行機は14:55発なので、港より隠岐空港に直行だ。

遠ざかる島前・中ノ島(フェリー「くにが」より)


 大阪(伊丹)空港で、色々ご苦労頂いた添乗員さんとお別れし、羽田行きに乗り継ぎ、定刻17:35に到着。時間も早かったので、おまけとして、オープンしたばかりの新国際線ターミナルを見学して帰宅する。

羽田空港 新国際ターミナル
3Fの出発ロビー 4階の江戸小路と名づけられているショッピング・レストランフロアー。



 今回の旅行は、1〜2日目は快調であったが、3日目に、海上の時化による高速船、フェリーの全日運休というトラブルがあり、島前・中ノ島に足止めとなり連泊となってしまい、4日目もフェリーは運航されたが、高速船が運休で、島後の観光がなくなってしまった。
 島前3島の見所はほとんど見られたことと、ローソク島の見事な点灯?を見られたこと、そして美味しい海の幸を頂けたのは良かったのだが、この旅行の一番の目的であった島後の「壇鏡の滝」に寄れなかったのは残念であった。またいつかチャレンジだ・・・

 同行の方々および添乗員の大井田さんには大変お世話になり、有難うございました。いつかまたどこかでお会いできるかもしれません。楽しみです・・・・・・。

                                                            おわり
 

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