「奥の細道」 一人旅
 
                                                       2003.5.16〜10.4

  
   Part1 深川〜郡山   5/16〜5/18

  
   第1日目
 
    月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯を
   うかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。・・・


  元禄二年(1689年)3月27日(陽暦5月16日)、芭蕉は曾良と共に深川・採荼庵(さいだ
 あん)から、奥の細道へ旅立っている。
                             
  これにあわせて、5月16日、深川採荼庵跡を愛車でスタートする。まずは、芭蕉記念
 館
に寄る。ここには、「奥の細道」関連の資料や、深川を中心とした江戸の切絵図などが
 常設展示されている。記念館の入口、植え込みの下に、旅立ちの句
草の戸も住替る
 代ぞひなの家」
の句碑がある。 また、築山に人工の滝を配した小庭園があり、バショウ
 や遊行柳など芭蕉ゆかりの植物を植え、築山の上にはミニチュアの芭蕉庵が立ち、中に
 は翁の像が祀ってある。

    千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、
   幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。

     行春や鳥啼魚の目は泪 是を矢立の初として行道なをすゝまず。・・・
  
  芭蕉は船で小名木川から墨田川へと入って千住に上陸しているが、Hiroは陸路を千
 住へと向かう。

  千住大橋を渡ったすぐ左手、大橋公園に史跡「おくのほそ道矢立初」の碑があり、本
 文の一節が刻まれている。千住大橋の南に、平安時代の創建という素盞雄(すさのお)
 神社
があり、境内に高く聳える子育てイチョウの脇に芭蕉の句碑が立っている。文政三
 年(1820)建立という古いもの。「千住と云所にて船を上がれば・・・」で始まり、「行く春
 や鳥啼魚の目は泪」
で結んでいる。下部には谷文晁が描いたという芭蕉像も刻まれて
 いる。

  
 千住から日光街道(国道4号線)を北に辿り、草加へ。本文では、第一日目の宿を草加に
 とったとされているが、曾良の随行日記によると、粕壁(春日部)となっている。春日部か
 ら古河、間々田、小山を通り、喜沢から栃木市惣社町の大神(おおみわ)神社に参る。

    室の八嶋に詣す。
   同行曾良が曰く「此神は木の花さくや姫の神 と申て、富士一躰也。
   無戸室に入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生れ給ひし
   より、室の八嶋と申。・・・・

  大神神社は下野の惣社で、けぶりたつ「室の八島」と呼ばれ、歌枕と知られた名所で
 ある。室の八島は本殿に向かって左手横にある森で、こんもりした小さな八つの島の上に
 ミニチュアの社、浅間、筑波、鹿島、香取、雷電、熊野、二荒、天満宮の八社が祀られて
 いる。

  芭蕉は、歌枕に関心が深く、奥の細道は歌枕探訪でもあったが、ここの記述は短い。本
 文にはないが、芭蕉はここで、「糸遊に結びつきたるけふりかな」の句を詠んでおり、
 八島の入り口に、句碑が立っている。
 
  室の八島を参ったあとは、壬生から日光壬生街道を鹿沼へ。鹿沼市の今宮神社には
 「君やてふ我や荘子の夢心」
の句碑があるのだが、現在、社殿改装中のため立ち入り
 できず、見ることができなかった。

  鹿沼からは、日光例幣使街道(121号線)を今市、日光へと向う。
  正保4年(1647)から慶応3年(1867)まで日光に例幣使)が派遣された。この時の往路と
 なったのが日光例幣使街道で、中山道の倉賀野から佐野、楡木を通って日光までの街
 道である。今も、昔を偲ぶ杉並木が残っている。

    卯月朔日、御山に詣拝す。往昔此御山を「二荒山」と書しを、空海
   大師開基の時、「日光」と改給う。千歳未来をさとり給ふにや、今此御
   光一天にかゝやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖、穏なり。猶、
   憚多くて、筆をさし置ぬ。・・・・


  日光山内は、東照宮、二荒山神社、輪王寺の二社一寺に分かれている。輪王寺から東
 照宮、二荒山神社を参拝する。芭蕉がここで詠んだ有名な「あらたうと青葉若葉の日の
 光」
の句碑は、日光市内に三ヶ所ある。ひとつは、東照宮山内、宝物館の入口左手に立
 つ。ほかの二基は、大谷川に臨む大日堂跡と下鉢石町の高野家にある。
  東照宮の参詣を終えた芭蕉は、「仏五左衛門」という主の宿に泊まり、翌日に裏見の
 滝
を訪れている。


    廿余丁、山を登って滝有。岩洞の頂より飛流して百尺千岩の碧潭に
   落たり。岩窟に身をひそめ入て、滝の裏よりみれば、うらみの滝と申伝え
   侍る也。

   国道120号線日光高校の先を右に入り2kmほど行くと駐車場があり、そこから山道を
 15分ほど歩くと、荒沢川ににかかる高さ45m、幅2mの滝が現れる。名のとおり滝の裏側
 から見るのが絶景なのだが、今は、危険なので立ち入り禁止になっている。
  芭蕉はここで、「しばらくは滝にこもるや夏の初」の句を詠んでおり、この句碑は、安
 良沢小学校の校舎前にある。

  日光からは、今市に戻り、日光北街道(国道461号線)を芭蕉が宿泊した玉入(玉生)を
 通り、矢板まで来たところで、日も暮れ、宿を探すが、適当なところがなく、Hiroが以前単
 身赴任していた宇都宮で泊まることにした。

                                                つづく


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深川 採荼庵跡
         深川採荼庵
芭蕉記念館 「草の戸も・・・」句碑
   芭蕉記念館の「草の戸も・・・」句碑
素盞雄神社と句碑
      千住 素盞雄神社と句碑
大神神社
           大神神社
室の八島と「糸遊に・・・」の句碑
    室の八島と「糸遊に・・・」の句碑
日光例幣使街道の杉並木
     日光例幣使街道の杉並木
日光東照宮
          日光東照宮
東照宮宝物館前(左)、大日堂跡(右)の句碑
東照宮宝物館前の句碑 大日堂跡の句碑
裏見の滝と安良沢小学校にある句碑
    裏見の滝  安良沢小学校にある句碑


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