10:30、小田急江ノ島線の鶴間駅前に、8名が集合、心配していた台風5号も去り、暑い一日になりそうだ。本日の目的地・海老名駅に向け歩きはじめる。
鶴間駅前から、厚木街道(旧国道246号)を暫らく歩くと左手に泉の森公園が見えてくる。さらに歩を進める。
「大和斎場交差点」で二又に分岐している道を右に進む。右手に西鶴寺を見ながら歩くと国道246号(大和厚木バイパス)にぶつかる。大山街道はこれを横切ってゆくのだが、ここで渡ることができず右方の「ひばりが丘高校前交差点」まで行き、そこで渡ってまた戻ってくる。
まっすぐの道を暫らく進むと、大山街道を説明した石碑が立っている。その前を通り過ぎると間もなく相模鉄道の踏切だ。左手にさがみ野駅がある。
踏切を渡りまたしばらく直線状に続く道路を歩くと、「大塚本町交差点」に出る。大塚宿はこの交差点の近くにあった。明治・大正時代まで、鍛冶屋、豆腐屋、車大工、酒屋、菓子屋、旅籠、木賃宿などが建ち並び、江戸末期には大変賑わっていた。
宿場の西南端辺りに大塚があった。頼朝の時代、早川村と上今泉村がここで戦い、戦死者が出たため、ここに塚を作り、埋めたと伝えられている。当初、大きな円墳があったらしいが、今はない。
大塚本町を過ぎ、またしばらく歩き、信号のある交差点で、街道を外れ右に少し行ったところにあるコメダ珈琲店で昼食を摂る。
街道に戻り、天野原、パブコ前などのバス停を過ぎ、さらに進むと赤坂バス停がある。その手前右手奥に、富士塚と庚申塔があるので、街道を逸れ、行ってみる。
動物病院の脇の細い道を入り、トラックがたくさん止まっている駐車場の脇を通り過ぎ少し行くと富士塚がある。宝永4年(1707)の富士山の爆発時の火山灰を積み上げて造ったとされる小さな塚である。塚の上には、文化13年(1816)に柏ヶ谷の講中が立てた庚申塔がある。
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