大山道を歩く

No.8


 中山龍次郎著「ホントに歩く大山街道」(風人社)をガイドとして、生涯大学30期文化AクラスOBの有志で、「大山街道」を歩き、大山詣をしていきます。


第8回 海老名駅前〜海老名駅入口交差点〜河原口交差点〜厚木の渡し場〜あゆみ橋東〜厚木渡船場跡〜東町郵便局前交差点〜厚木神社〜旭町三丁目交差点〜本厚木駅

H30年8月21日   

 10:30、小田急線海老名駅前に、6名が集合、本厚木駅に向け歩きはじめる。
 まずは、海老名駅前につづいている海老名中央公園にある海老名市の観光シンボル「七重の塔モニュメント」を見に行く。「七重の塔」は、平成4年(1992)に市制20周年を記念して観光の象徴として建てられたもので、奈良時代の海老名にあった相模国分寺七重塔(高さ65m)を1/3に縮小して再現したものである。


 海老名駅前から海老名駅入口交差点へ出て右折、河原口交差点までの一直線の道は、一大縄と呼ばれていて、中世の条里制の遺構である。この付近は海老名耕地と呼ばれ、条里制の名残をとどめている。
 小田急線の跨線橋を越える。この跨線橋の上からは丹沢・大山の眺望が良い。今日は残念ながら大山の山頂は雲で覆われてしまっている。


 相模線の踏切を渡ると河原口交差点に出る。そのまま直進すると二又の交差点に着くが、そこも直進しすぐの細い道を左折する。この辺りには河原口宿という小さな宿場があった。
 この先を右折すると左手に海老名市立歴史資料収蔵館がある。ここは、市の歴史、文化等に関する古文書、写真、地図などの資料を収集、整理や保管を行い、郷土の歴史の理解を深める場を市民に提供するための施設として平成22年4月に開館した施設である。


 この先を左折、すぐに右折、また突き当りを左折、二葉菓子店の先を右折する。この区間はつづら状に何度も曲っていたので「七曲り」といわれた。圏央道の下をくぐると相模川の河原に出る。ここが厚木の渡し場があったところである。工事中のため、河原まで入ることができない。


 相模川に沿って南下し、あゆみ橋を渡って厚木市に入る。


 橋を渡ったところで右折し少し進んだところの三叉路の左角に、「厚木村渡船場跡」の案内板と「渡辺崋山来遊記念碑」が立っている。
 厚木の渡し場は、海老名の河原口と厚木の天王町を連絡する渡し船が発着していおり、舟を待ち合わせる小屋があって、お茶や団子などが売られていたという。明治41年(1908)、相模橋が開通して渡しは廃止された。


 この前の道(大山街道)を南へ向かう。この「厚木東町商店街」のシャッターの上には当時を偲ぶ絵が描かれていて、その絵を楽しみながら歩いて行く。


 東町郵便局前交差点を過ぎると、やがて、左手に厚木神社が見える。この一帯が厚木宿のあったところで、江戸から13里(50.7q)離れている。
 相模大橋を渡ったところが上宿、そこから南へ中宿、下宿と続いていた。宿は、烏山藩厚木陣屋を中心に、江戸に劣らぬほどの家並みが軒を連ね、小江戸とも称されていた。大山街道のほか、八王子道や相模川の物流輸送など、交通の要素として賑わっていた宿である。
「厚木神社」
 円融天皇(969〜984)の御宇に、藤原伊伊公が牛頭天王を勧請したと伝えられ、鎌倉時代には那須与一が眼病平癒祈願をした伝説が残され、あつぎお天王様として親しまれた。
 中世には当地周辺に市が建つようになり、村の鎮守社として崇敬され、江戸期には元和4年(1618)再建、鳥山藩の陣屋も北隣に置かれていたという。明治初年厚木神社と改称、明治6年に船喜多神社と熊野神社を合祀、明治40年には郷社に列格している。

 厚木神社の裏手に、「烏山藩厚木役所跡」の碑が立っている。

「烏山藩厚木役所跡」
 下野国(現栃木県)烏山藩主大久保常春は、享保13年(1728)頃、相模国内に点在する領地を治めるため厚木村に代官所を置いた。現在の厚木神社北側に所在し、通称「厚木陣屋」と呼ばれ、役人たちが年貢の取立てや幕府から出された知らせを触れ回る仕事をしていた。

 役所跡碑の隣にある「あゝ九月一日」碑は大正12年9月1日の関東大震災時の死者の霊を弔う記念碑である。

 厚木神社の先の道路わきに、渡辺崋山滞留の地・旅籠萬年屋屋敷跡の碑が立っている。
 渡辺崋山は、天保2年(1831)、厚木宿の旅籠「萬年屋」に宿泊している。崋山は滞在中に厚木の著名人などと交流を深め、後に初代厚木町長になった斎藤鐘輔に懇願され、厚木の軽症を描いた「厚木六勝絵」を残している。

 さらに南へと歩き小田急線のガードをくぐると仲町バス停があり、そこを通り過ぎると、右側の奥に宝安寺がある。ここは旅籠の萬年屋や大山詣でで栄えた豪商の檀家が多い寺である。


 大山街道に戻り少し歩くと旭町三丁目交差点に出る。ここで大山街道を離れ右折し本厚木駅に出る。今回はここまでとし、昼食を摂り解散。


第9回に続く      



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