玉川八十八ヶ所霊場めぐり

その1

 生涯大学30期文化Aクラス有志による、玉川八十八ヶ所霊場めぐりをしようということになり、平成25年7月18日に、第一番札所の平間寺(川崎大師)よりスタートする。

第一番札所



金剛山 金乗院 平間寺 別称 川崎大師
ご本尊   弘法大師
開山  尊賢上人 康治2年(1143)寂
川崎市川崎区大師町4−48

 平間寺(へいけんじ)は神奈川県川崎市にある真言宗智山派の大本山の寺である。川崎大師(かわさきだいし)の通称で知られる。高尾山薬王院、成田山新勝寺とともに関東三本山のひとつである。
 1813年(文化10年)に徳川幕府第11代将軍、家斉が厄除に訪れた事から厄除け大師として広まる。
 また、毎年の正月には初詣の参拝客で大変な賑わいとなる。


 京急川崎大師駅に集合して、一番札所「平間寺(川崎大師)」へ。ここは初詣で賑わうお寺さんで、リズミカルな飴切りの音を聞きながら参道を進み、大山門をくぐり、本堂参拝後、玉川八十八ヶ所霊場奉納帳(バインダー)を購入し奉納経をいただく。

 境内にある、新四国八十八ヶ所霊場(四国霊場のお土砂が埋められ、各令嬢のご本尊が迎えられているというお砂踏み霊場)を参拝し、2番札所へ向かう。
 平間寺からは2.7km、およそ45分ほど歩いて、2番札所「眞観寺」に着く。

第二番札所


大島山 般若院 眞観寺
御本尊  聖観世音菩薩
開山  真観法印  年代不明
川崎市川崎区大島2−10−16

 真観寺は814年(弘仁5年)の創建と伝わる。真観寺の観音像の胎内にあった銘によれば、この寺は1595年(文禄4年)に中興したという。

 参拝後、奉納経をいただき、暑い中をおよそ2km、40分ほど歩いて川崎駅へ。駅前で昼食を摂り、京急川崎駅より京急線で仲木戸駅まで行き、駅近くの3番札所「金蔵院」へ。

第三番札所


神鏡山 東曼荼羅寺 金蔵院
御本尊  阿弥陀如来
開山  勝覚僧正  年代不明
横浜市神奈川区東神奈川1−4−3

 金蔵院は、醍醐三宝院の始祖勝覚僧正が開基となり平安時代末期に創建したといいます。慶長4年(1599)に徳川家康より寺領10石を拝領、多くの末寺を擁する中本寺格の寺院であった。


 金蔵院を参拝し、奉納経をいただき、再び、仲木戸駅へ戻り、八丁畷で南武線支線に乗り換え、川崎新町駅で下車、およそ0.8km、10分ほどで4番札所「成就院」に着く。

第四番札所


明王山 聖無動寺 成就院
御本尊  不動明王
開山  不詳  年代不明
川崎市川崎区渡田3−8−1

 成就院は、法印尊秀(寛文2年1662年寂)が創建したといわれるが、1278年、1308年銘の板碑が出土していることより、創建が鎌倉時代中期という説もある。

 本堂が補修中であったが、参拝して奉納経をいただく。
 川崎新町駅へ戻る予定であったが、電車の本数が少なく、待ち時間が多いので、川崎駅まで歩くことに。1.8km、30分ほどで川崎駅に到着、本日はここまでとし、ここで解散とする。


第五番札所


宝泉山 玉真密院 玉川大師
御本尊  弘法大師
開山  龍海阿闍梨 昭和9年(1934)
世田谷区瀬田4−13−3

 玉川大師には、地下霊場「遍照金剛殿」があり、四国八十八ヶ所、西国三十三番霊場を巡拝できるようになっている。

 玉川大師は、玉川八十八ヶ所霊場めぐりをするにあたり、下調べを兼ね、用賀近辺の霊場を訪ねてた際に訪れているので、次回は6番札所の圓能院から。

 JR南武支線川崎新町駅に10:35に集合。まずは6番札所の圓能院へ、1km、10分ほどで到着。今日は彼岸の入りで、参拝客が多い。

第六番札所


金沢山 福泉寺 圓能院
御本尊  大日如来
開山  秀恵上人  年代不明
川崎市川崎区小田1−25−12

 「新篇武蔵風土記稿」によれば村上天皇の御代(946〜967)の開設とある。寛永年間から寛文年間(1624〜1673)にかけて弁秀・弁正・弁祐・弁誉法印らが大いに法灯を輝かしたという。
特に墓石にも中興開山と録されている秀彗法師(〜1733)の代には本堂の建立ならびに境内の整備を見るに至った。
 平成19年に伝統的な木造の本堂を落慶した。

 参拝後、奉納経をいただき、7番札所の東漸寺へ。圓能院からはおよそ2.3km、川崎市から横浜市に入り、35分ほどで7番札所の東漸寺へ到着。

第七番札所


金胎山 東住院 東漸寺
御本尊  大日如来  
開山  秀誉法印  寛文八年(1668)寂
横浜市鶴見区潮田3−144−2

 寺伝によると、醍醐三宝院の勝覚法印が寛治元年(1087年)に開基したと伝えられている。しかし何時の時代か回録の厄いかかって、堂宇、什寶、古文書などことごとく焼失したため沿革については不明であるが江戸時代、当山は村の中央にあり、本堂・鐘楼堂・薬師堂・天満宮・地蔵堂・大門などがそびえていたという。

 参拝後、奉納経をいただき、鶴見駅方面へ向かう。鶴見川を渡り、国道15号線(第一京浜)の鶴見駅入り口交差点角のファミリー・レストランで昼食。
 その後、第一京浜から旧東海道に入り、およそ1・3km、20分ほどで8番札所正泉寺に到着。

第八番札所


南海山 瑠璃光院 正泉寺
御本尊  薬師如来
開山  全浄法印  寛永元年(1624)
横浜市鶴見区生麦4−31−4

 人皇第108代・後水尾天皇の御代、寛永元年(1624)全浄法印による開創。本尊は海中より出現したといわれる薬師如来座像で御身8寸、春日仏師毘首羯磨(びしゅかつま)の作と伝えられている。

 参拝後、奉納経をいただき、龍泉寺へ向かう。旧東海道を歩き、1862年(文久2年)、薩摩藩士たちが外国人を殺傷した生麦事件現場の案内板を見て、生麦の駅前で東海道線をくぐり、およそ1・3km、20分ほどで9番龍泉寺に到着。

第九番札所


生麦山 龍泉寺
御本尊  不動明王  
開山  不詳  年代不明
横浜市鶴見区岸谷4−3−2

 龍泉寺の創建年代は不詳ですが、龍泉寺二世本誉文覚が永正7年(1510)に入寂、第十世一智本覚が元亀2年(1571)に入寂といい、また過去帳にも明応3年(1494)前後の記録が残されていたことから1500年前後に浄土宗寺院として創建したものと推定される。
 門前の庚申堂は宝暦10年(1760年)の成立。

 参拝後、奉納経をいただき、今日最後の目的寺、10番東福寺までは、東海道線に沿って、およそ1km、15分ほどで到着。仁王様が祀られている山門をくぐり、石段を上ると立派な本堂が。

第十番札所


子生山 植本院 東福寺
御本尊  十一面観音菩薩
開山  不詳  年代不明
横浜市鶴見区鶴見1−3−5

 東福寺の創建年代は不詳ですが、醍醐勝覚僧(大冶4年1129年寂)が寛治年間(1087〜94)に創建したと伝えられます。東福寺の観音堂は、松平定信や備前少将治政、出雲少将治郷などからも扁額の書を寄せられ、参詣者も多かったという。

 参拝後、奉納経をいただき、記念写真を撮り、JR鶴見駅へ、1kmだ。途中、曹洞宗大本山総持寺の前で、遠くからお参りし、15:40鶴見駅に到着、今日はここで解散。

 JR鶴見駅に10:00に集合。まずは11番札所の金剛寺へ。鶴見駅前から旧東海道を川崎方面に向かい、鶴見川を渡ると間もなく、およそ1km、15分ほどで到着。

第十一番札所


光明山 遍照院 金剛寺
御本尊 大日如来
開山  不詳  年代不明
神奈川県横浜市鶴見区市場下町6−33

 金剛寺の創建年代は不詳ですが、平安時代に創建された古刹と言われている。

 参拝後、奉納経をいただき、来た道を鶴見駅まで戻る。次いで、12番札所寶蔵院へ向かうのだが、鶴見には曹洞宗大本山の総持寺があり、お詣りしていくことに。さすがに大本山だけあり立派なお寺さんだ。

 総持寺をお詣りしたため、鶴見駅よりおよそ1時間かかって12番札所の寶蔵院に到着。

第十二番札所



愛宕山 十二支寺 宝蔵院
御本尊 大日如来
開山  不詳  年代不明
神奈川県横浜市鶴見区馬場4−7−5

 宝蔵院は慶安2年(1649)の古文書により、鎌倉時代以前に草庵されたものと推定される名刹である。特に有名なのは樹齢600年以上の源平五色の椿で、全国唯一の五色に咲き分ける椿として有名である。また寺構内に湧き出る霊泉も名水として知られている。

 参拝後、奉納経をいただき、鶴見駅に戻る途中の国道1号線沿いにあるファミレスで昼食を摂る。鶴見駅からはJR線で川崎駅まで移動し、13番札所の眞福寺へ。川崎駅前の大通りから第一京浜を左に曲がり、駅よりおよそ1kmで眞福寺に到着。

第十三番札所


瑠璃光山 金剛院 真福寺
御本尊  薬師如来
開山   不詳  年代不明
神奈川県川崎市川崎区堀之内町11−7

 入口のすぐ右手に、寛文五年(1665)に建てられた庚申塔があり、主尊の阿弥陀如来の足元に「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿が並んでいる。その前には、「貞亨五年」(1688)の銘を刻んだ石造鉢形香炉が据えられている。

 参拝後、奉納経をいただき、14番札所延命寺へ向かう。第一京浜の競馬場前交差点より、多摩川に沿って東海道本線のガードをくぐり、河原町の手前を左に入り、幸町小学校の前を通り、30分ほどで14番札所の延命寺に到着。

第十四番札所


円明山 宝蔵院 延命寺
御本尊 地蔵菩薩
開山  不詳  年代不明
神奈川県川崎市幸区都町4−2

 寺の縁起は詳らかではないが、明治時代の『皇国地誌草稿』によれば草創等の旧記は焼失し、わずかに寛文11年(1671)に法印栄賢によって中興されたと記されている。当寺には、古くから鼻取地蔵とか田植地蔵と呼ばれる伝説が伝えられている。また、現在の都町一帯を含む旧南河原村に伝承されていた雨乞いししまいに使用されてきた獅子頭や請雨経曼荼羅などが所蔵されている。

 次いで、今日最後の目的寺、15番札所正楽寺へ向かう。国道1号線に出て、尻手駅前を通りおよそ1.5km、20分ほどで正楽寺に到着。

第十五番札所


重養山 正楽寺
御本尊 大日如来
開山  尊秀上人  年代不明
神奈川県横浜市鶴見区矢向3−6−23

 正楽寺の過去帳によると、寛永5年(1628)隆海入道の御開山とあり、この僧は後水尾天皇の御代(1612〜1629)に住持している。

 尻手駅まで戻り、解散。予定より1時間ばかり遅れて4時になってしまった。

                                                  その2につづく

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