世界遺産 富岡製糸場を訪ねる

                                                     2018.5.11

 Hiroが参加している「経堂歴史勉強会」のバス旅行で、世界遺産 富岡製糸場などを訪ねて来ました。
 小田急線・経堂駅近くのユリノキ公園を、8時20分に今回の参加者15名を乗せバスは出発、環八通り・目白通りから関越自動車道に入り走行、「三芳PA」にて、勉強会の常任講師である、大東文化大の宮瀧教授と合流して最初の目的地「群馬県立歴史博物館」へ向かう。

 関越自動車道を藤岡JCTから上信越自動車道に入り、「藤岡IC」で下り、県道13号線を高崎方面に約10分ほど走ると「群馬の森・近代美術館・歴史博物館」に到着。

 「群馬県立歴史博物館」は、昨年常設展示室がリニューアルオープンされ、古代東国における中心地として栄えた古墳王国・群馬について展示する東国古墳文化展示室をはじめ、原始・古代・中世・近世・近現代にいたる群馬県の歴史や文化の特色について、実物資料を中心に模型・映像などを用いて展示されている。
 5月13日まで、企画展「織田信長と上野国」が開催されている。

群馬の森・近代美術館・歴史博物館


 「東国古墳文化展示室」では、東日本でも随一の副葬品・埴輪が見つかった綿貫観音山古墳の出土品を中心に展示されている。


 「世界の記憶」に登録された「上野三碑(こうずけさんぴ)」に関する展示があり、精巧なレプリカも公開されている。

 日本列島東部の古代上野国(現在の群馬県)に存在する三つの石碑「上野三碑」は、日本に18例しか現存しない古代(7〜11世紀)の石碑のなかで最古の石碑群であり、それらは、山上碑[やまのうえひ](681年)、多胡碑[たごひ](711年頃)、金井沢碑[かないざわひ](726年)と呼ばれている。
 三碑の記録形態は、上野国に住み着いた朝鮮半島からの渡来人がもたらしたもので、東アジアにおける文化交流の実像を示す極めて重要な歴史資料である。


 群馬県立歴史博物館を見学後、富岡市へ向かう。「藤岡IC」から再び上信越自動車道に入り、「富岡IC」で下り、およそ10分ほどで富岡製糸場に到着する。
 富岡製糸場は車での乗り入れができないので、丁度昼時間なので、近くの「上州うどん・さくら」に寄り、バスを停めさせてもらう。
 ここでは上州名物の幅が5pほどもあるひもかわうどんを煮込んだ「おきりこみうどん」をいただく。昼食後、富岡製糸場へ。歩いて5分ほどだ。


 富岡製糸場は、明治5年(1872年)に明治政府が日本の近代化のために設立した模範器械製糸場である。
 明治維新後、政府は日本を外国と対等な立場にするため、産業や科学技術の近代化を進めた。そのための資金を集める方法として力を入れたのが、生糸の輸出であった。
 政府は生糸の品質改善・生産向上と、技術指導者を育成するため、洋式の繰糸器械を備えた官営の模範工場をつくることを決めた。こうして富岡製糸場が建設され、現在までほぼ変わらぬ姿で残されている。
 2014年6月に日本の近代化遺産で初の世界遺産リスト登録物件となった。


 設立の地に富岡が選ばれた理由は、富岡製糸場の設立計画を担当した政府の役人の一人、尾高惇忠ポール・ブリュナらが武蔵・上野・信濃の地域 を調査し、次の理由により上野の富岡に場所を決定したのである。

 1.富岡付近は養蚕が盛んで、生糸の原料である良質な繭が確保できる。
 2.工場建設に必要な広い土地が用意できる。
 3.製糸に必要な水が既存の用水を使って確保できる。
 4.蒸気機関の燃料である石炭が近くの高崎・吉井で採れる。
 5.外国人指導の工場建設に対して地元の人たちの同意が得られた。

 解説員によるガイドツアーがあるのだが、スタート時間まで待たねばならないので、個別に解説員をお願いし、約40分の見学を行った。

東 置 繭 所
 1階は事務所、作業場などとして使い、2階に乾燥させた繭を貯蔵した。
 建物は、木材で骨組みを造り、壁に煉瓦を用いた「木骨煉瓦造」という工法で建てられた。


検査人館 女 工 館
 生糸の検査などを担当したフランス人男性技術者の住居として建設された。
 2階には皇族や政府の役人が訪れた際に使用された「貴賓室」がある。
 日本人女工に、機械による糸取の技術を教えるために雇われたフランス人女性教師の住居として建設された。


繰 糸 所
 繭から生糸を取る作業が行われていた場所。
 創業当初はフランス式の繰糸器300釜が設置され、世界最大規模の製糸工場だった。小屋組には「トラス構造」という従来の日本にない建築工法を用いている。そのため、建物内部は中央に柱のない広い空間が保たれている。


ブリュナ館 ブリュナエンジン
 指導者として雇われたフランス人ポール・ブリュナが家族と暮らしていた住居。
 後に建物は、宿舎や女工に読み書きや裁縫などを教える学校として使用された。これは、企業内教育の先駆けといえる。
 富岡製糸場が創業した1872年から約50年間、繭から生糸を作る繰糸機の動力源として使われた。


フランス式繰糸器の実演 東置繭所の2階部分


 
富岡製糸場を見学した後は、バスで15分ほど走り、富岡しゃくやく園に寄る。富岡しゃくやく園は、約5000平方メートルの園内に、50種 5000株の色とりどりの芍薬が小高い丘の上に香り豊かに咲き競っている。

富岡しゃくやく園


 見事に咲き競っている色とりどりのしゃくやくを堪能して帰路に着く。富岡ICから上信越自動車道そして関越自動車道に入り、三芳PAで休憩。ここでお世話になった宮瀧先生とお別れし、環八通りから経堂に戻り、ぶじに解散。

 古代の埴輪や「世界の記憶」に登録された「上野三碑」、世界遺産の富岡製糸場などを見学でき、勉強になりました。そして美しいしゃくやくで目の保養もできました。案内しいて下さった宮瀧先生どうも有り難うございました。


                                                  おわり



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