〜津和野・安芸の宮島・錦帯橋・秋吉台〜

自然と歴史の山陽・山陰

涼風さわやか萩・津和野へ行こう!
                                                                2003.8.2526

・第日目(8/26 TUE)

 生憎の雨の中、朝食前に近くの萩城跡の指月公園へ出かけてみる。萩城は、かつては5層の白亜の天守閣がそびえていたが、明治7年すべての建物が解体され、内堀沿いに続く石垣などにかつての面影をとどめている。

 萩城跡の入口近くに、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋がある。この建物は、厚狭に領地を所有していた毛利家の屋敷の一部で、幅5m、長さ51.5mの長屋は萩市内の武家屋敷の中では最大のもので、国の重要文化財に指定されている。
萩焼窯元 天鵬山の登り窯
 朝食後、7:45に出発。まずは、越ガ浜にある萩焼きの窯元 天鵬山へ。萩焼は、登り窯によって、低火度で長時間ゆっくりと焼くため製品の感触が柔らかく、土があまり焼きしまっていないので重たく保湿性を持っています。さらに、吸水性があるため長年使っていくうちに茶や酒が浸透して茶碗の色彩が変わり、「萩の七化け」と称されている。店の中には、登り窯が観光用に移設されている。

 ついで、吉田松陰ゆかりの松陰神社へ。雨はほとんど上がった。松陰神社は維新の志士たちを教育し、大きな影響を与えた吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)に創建された。明治40年に萩城内にあった毛利家守護神宮崎八幡の拝殿を移築して本殿とした。境内には松下村塾、吉田松陰歴史館、吉田松陰遺墨展示館などがある。
 吉田松陰は本名寅次郎、天保元年(1830)萩松本に生まれ、6歳の
とき藩の兵学師範吉田家を継ぎ、年少のころから明倫館へ出て松下村塾兵学
を教えた。20歳ころから国内を行脚、25歳のとき国禁を犯して米艦で国外渡航を企てて失敗、以後、安政の大獄で処刑される30歳までほとんど獄中か幽閉の生活を送った。しかしその間、2年半にわたって門下生を教え、維新の志士たちを育てた。


 鳥居をくぐると左側に、内閣総理大臣佐藤栄作の書で「明治維新胎動之地」と刻まれた大きな石碑が立っている。少し進むと「親思う心にまさる親こころ 今日のおとずれ何ときくらん」と刻まれた石碑がある。これは、「安政の大獄」に連座し再び江戸に送られ、処刑を覚悟した松陰が両親たちに書き送った便りの中にある一節である。その奥には、松陰が叔父の後を継いで、若い志士たちを指導した教育施設・松下村塾がある。建物は質素な平屋建てだが高杉晋作、伊藤博文、山県有朋ら、維新の原動力となった人物を多数輩出した。建物の内部には、村塾出身の久坂玄随、高杉晋作、松陰先生、桂小五郎、伊藤博文の写真が飾られている。
   萩 武家屋敷(江戸屋横丁)
 松陰神社から町中に戻り、市民球場脇の駐車場にバスを駐め、萩城城下町・武家屋敷ヘと歩く。呉服町の大通り(かつては藩主が通った御成道)と交わる江戸屋横丁、伊勢屋横丁、菊屋横丁の3本の小道は昔ながらの家並みと風情をとどめており、この道筋には幕末に活躍した志士の旧宅や誕生地などが残り、一帯が萩城城下町として国の史跡に指定されている。

 慶安橋を渡るとすぐの横丁が江戸屋横丁で、そこを入ると、円政寺がある。真言宗の寺と金毘羅社が同一の境内にあり、神仏習合の形態が見られる点で貴重な寺である。伊藤博文が11歳の頃、住職恵運に諭され、読み書きを習い、また高杉晋作も子供の頃にはよくここで遊んだといわれる。その先には、青木周弼旧宅がある。この旧宅は安政6年(1859)に建てられた屋敷で、江戸屋横丁の中ほどにある。建物自体はそれほど大きくないが、立派な門や忍び返しなどに藩医の住まいらしさが感じられる。青木周弼は幕末の蘭医学者で萩藩13代藩主毛利敬親の侍医や萩藩の医学館の館長をを務めた人で、幼少のころの高杉晋作の病気を治療した事もあるとか。そのすぐ先は、木戸孝允旧宅で、萩藩の藩医だった実父の和田昌景の屋敷があり、桂小五郎の別名でも知られる木戸孝允は天保4年(1833)この家に生まれ嘉永5年(1852)江戸へ行くまでここに住んでいた。

萩 武家屋敷にある高杉晋作旧宅
 呉服町大通りへ出て左に曲がると、伊勢屋横丁と菊屋横丁の間に一角を占める萩藩御用達の豪商だった菊屋家住宅がある。白壁となまこ壁が美しい建物は萩城城下町のシンボル的存在で江戸時代前期の姿をそのままに備えている。一般に公開されており、入ってみる。母屋、本蔵、金蔵、米蔵、釜場の5棟の建物があり、内部には調度品などが展示され、昔の豪商の暮らしぶりを知ることができる。何れの建物も国の重要文化財に指定されている。

 日本の道100選にも選ばれている菊屋横丁に出て、菊屋家の白壁に沿って進むと、その一角に、田中義一生誕地があり、この横丁右手には萩焼きのお店が幾つも並んでいて、それらを見ながら歩いていくと、高杉晋作旧宅がある。当時は敷地も広く二階建ての屋敷があったともいわれるが、現在あるのは平屋建てで、思いのほか質素なもの。座敷には写真や書などが展示されている。  
 
                      つづく



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