皇居参観を終え、我々一行は東御苑を散策するため、元枢密院庁舎、皇宮警察本部の前を通って、東御苑・三の丸尚蔵間の前まで、職員の方に案内され、ここからは、自由に散策することができる。

皇居東御苑は、かつて江戸城の本丸や二の丸、三の丸だったところを一般公開されたもので、約21万平方メートルの広さの中に、歴史的建造物と緑が調和する公園である。

まず、三の丸尚蔵館に入ってみる。今は、新春にちなみ、松竹梅に鶴亀、七福神や宝船などを題材とした作品が出展されていた。

三の丸尚蔵館 二の丸への入口
 代々皇室に受け継がれてきた美術品類を多数収蔵し、一般公開している。現在約9,500点の作品が収蔵されているという。  三の丸から二の丸への入口、入ったすぐのところに同心番所がある。(三の丸尚蔵間の前より見る)

  
 三の丸尚蔵館を出て、、二の丸への入口の石垣を通ったところに、同心番所がある。江戸城の正門であった大手門から入城した大名が最初に通る検問所。

同人番所 百人番所
 江戸城の正門であった大手門から入城した大名が最初に通る検問所である番所で、与力、同心が詰めて警護にあたっていたところ。  江戸城正門の大手門から本丸に入るときの最大の検問所がこの百人番所で、南北約50mという長大な建物である。

  
 続いて、本丸に入るときの最大の検問所、百人番所が左手にある。そして、中の門跡を抜けると、一番格の高い大番所がある。

百人番所 大番所
 この番所で守衛にあたったのは、甲賀組、根来組、伊賀組、廿五騎組の四組で、各組に与力20組があり、一組に同心百人ずつが配属されていたので百人番所といわれた。  中之門の内側に設けられていて、他の番所より格上で、位の高い与力、同心が詰めて警護にあたっていたところ。


 道は坂となり、上りきると、広々とした本丸跡にでる。かつては、数々の大きな書院造の御殿が建っていたが、今は一面の芝生である。左手の小道を行くと、松の廊下跡の石碑がある。

本丸跡 松の廊下跡
 かつては、数々の大きな書院造の御殿が建っていたが、今は一面の芝生で、その奥に天守台がある。  元禄14年(1701年)、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央へ刃傷事件のあった廊下である。


 大芝生に沿って進むと、一本の椿寒桜が満開だ。

本丸跡の椿寒桜 本丸跡の椿寒桜
 本丸跡にあり、満開の椿寒桜。その向こうには天守台が見える。  椿寒桜は愛媛県松山市の伊豫豆比命(椿)神社に原木があるので、この名が付いている。ここの他新宿御苑にあり、関東では貴重である。

  
 大奥跡を抜けると、天守台が聳えている。最初の天守閣は1607年、二代将軍秀忠の代に完成したが、その後大修築され、1638年、三代将軍家光の代に、この場所に外観5層、内部6層、高さ58mの天守閣が築かれた。
 しかし、明暦3年(1657年)の大火(振袖火事)で焼失。その後は、再建されることなく、基礎石である石垣だけが残っている。

 天守台の右手正面には、壁が華やかな陶片とタイルで彩られている桃華楽堂が立っている。

天守台 桃華楽堂
 振袖火事で焼失後は、再建されることなく、基礎石である高さが約10mある石垣だけが残っている。天守台の頂上は広場となっていて、360度の眺望が楽しめる。  昭和41年(1966年)に香淳皇后の還暦を記念して建てられた音楽堂で、建物の屋根はテッセンの花を模し、壁は華やかな陶片とタイルで彩られている。


 天守台の脇を通って更に進むと、北桔橋門へでる。門を出ずに右手に進み、皇室伝来の図書、宮内庁関係の公文書、また陵墓の管理などを行っている書陵部庁舎の前を抜けると梅林坂の上にでる。

北桔橋門 梅林坂
 天守閣の北側にあり、今は、固定式の橋が架けられ、高麗門だけが復元されているが、かつては厳重な枡形門が築かれ、必要のないときは橋を跳ね上げ、北の丸との通路は遮断されていたという。  太田道灌が数百本の紅梅や白梅を植えたことからこの名が付いている。現在は、昭和42年に植えられた約50本の梅の木あり、今がちょうど満開だ。

  
 梅林坂下から右手に行ったところの左手が二の丸庭園で、各都道府県の木が植えられているところや、吹上御所より移築された諏訪の茶屋、そして、失われゆく武蔵野の雑木林を残そうという昭和天皇のご発案で整備された二の丸雑木林などがある。

都道府県の木 諏訪の茶屋
 この一帯に、各都道府県の木が植えられている。  江戸時代には吹上地区にあり、明治45年に再建された明治期の数奇屋風の書院茶屋で、皇居東御苑の整備に当たり、二の丸に移築されたある。


 梅林坂下から南に下った左手が二の丸庭園で、各都道府県の木が植えられているところ、明治45年に再建され、吹上御所より移築された諏訪の茶屋、そして、失われゆく武蔵野の雑木林を残そうという昭和天皇のご発案で整備された二の丸雑木林などがある。

二の丸庭園 二の丸雑木林
 1630年(寛永7)に三代将軍家光の命により小堀遠州が造ったといわれる回遊式庭園を、後に復元したもの。  二の丸雑木林を自転車でパトロールする皇宮警察の婦警さん。

  
 二の丸庭園の雑木林を抜けると本丸の大奥辺りから下っている汐見坂の下にでる。

汐見坂 汐見坂〜梅林坂間の石垣
 本丸と二の丸を繋ぐ坂道で、この坂から海が見える事から汐見坂といわれた。  江戸城築城から400年が経過し、近年、石垣の各所に変形や劣化が見られ、順次改修が行われていて、汐見坂〜梅林坂間の石垣も、平成14年7月から約3年かけ修復が行われた。

  
 梅林坂下まで戻り、平川濠、天神濠を見て、平川門に到着。

平川濠と算木積みの石垣。 天神濠
 白丁場といわれる湯河原付近で産出された安山岩(加藤清正が瀬戸内から取り寄せた白御影という説もある)がアクセントとして使われている。  天神濠は二の丸と三の丸を隔てていて、二の丸を囲み、桔梗門まで通じていましたが、現在は二の丸の途中で切れてしまっている。
  
  

 威風堂々とした桝形門の平川門を潜り、東御苑を退園。
  
平川門(渡櫓門) 平川門
 徳川御三卿の登城口でもあったが、神田や日本橋に近いので、奥女中や生活物資を運び込む商人などが利用する門でもあった。  三の丸の正門で、その桝形門は威風堂々としたものである。

  
 平川門を出て、大手濠に沿って歩いていくと、豪壮な枡形門の姿が見えてくる。諸大名がここから登城した江戸城の正門、大手門である。

大手門 正門石橋と正門
 江戸城の正門。当時の門は戦災で焼け、現在の門は昭和42年(1967年)に復元されたもである。  湟池(二重橋濠)に架かる正門石橋とその先にある皇居の正門。一般参賀のときはここから入っていく。

  
 皇居前広場を抜け、めがね橋の正門石橋に続いた皇居正門を見て、皇居一般参観・東御苑散策を終わる。

  
     
  

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その2
2007.2.28
皇居一般参観・東御苑散策
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