「千住宿」
千住宿は日光街道(正式には日光道中)および奥州街道(正式には奥州道中)の日本橋から1番目の宿場町で、東海道の品川宿、中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿と並んで江戸四宿の一つである。
千住宿は寛永2年(1625)に建設され、当初は千住一から五丁目だったが、交通量増大により万治元年(1658)に掃部宿(かもんじゅく)・河原町・橋戸町が、万治3年に千住大橋南側の小塚原町・中村町が宿場に加えられた。元禄9年(1696)には不足する人馬を周辺の村々から集める助郷制が定められた。
千住宿は宿場であるとともに流通の町として賑わった。橋戸河岸には荒川や綾瀬川を利用する船が発着し、米穀や野菜、陶器などさまざまな物資が流通した。
宿場町通りを進むと右手に千住ほんちょう公園があり、千住宿史跡・旧跡案内図と千住高札場由来解説版がある。
この少し先右手に横山家住宅がある。横山家は地漉き紙問屋を営んでいた旧家で、江戸時代には、公用の旅行者に対する便宜を図って課役(伝馬役)を負担したことから、伝馬屋敷とも呼ばれた。
安政2年(1855)に建てられた、木造二階建て細格子造りの住宅。現在の建物は昭和11年(1936)に改修されてはいるが、ほぼ建築当初の姿を保っている。
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