2007.3.29〜31
曇っているがまずまずの天気だ。ホテルのレストランで朝食をとり、8:10にバスで出発。今日からはガイドさんが案内してくれる。 児島ICから瀬戸中央道に入り北へ向かう。倉敷JCTから山陽道へ、そして岡山JCTより岡山道へと入り、高梁SAで一休み。高梁SAを出て、北房JCTで中国道に入り、落合JCTから米子道へと入り、米子ICで国道9号線に出る。なんと、高速道路ばかりを走り、瀬戸内海側から日本海側の 晴れていれば、伯耆富士と呼ばれる大山が眺められるのだが、今日は曇っていて見ることができない。9号線を西に向かい、米子西ICから山陰道に入り、島根県に入って安来ICで下り、10:40足立美術館に到着。この隣には、民謡・安来節の殿堂、安来節演芸館が平成18年1月にオープンしている。 足立美術館は、昭和45年秋に開館、創設者足立全康が自ら収集した、横山大観をはじめとする近代日本画と、陶芸、彫刻、蒔絵、童画などの魅力的なコレクションの数々が展示されている。そして日本の神々のふるさとと言われる出雲の国の恵まれた自然を借景に、四季折々の表情を醸し出す13,000坪の日本庭園が鑑賞できる。 この庭園は、米国の庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(JOJG)で、2003年〜2006年まで4年連続で「庭園日本一」に選ばれている。館内に入ると大きな窓越しに、枯山水庭を中心とした雄大な景色が広がっていて、「迎賓の庭」と名付けられている。 つづいて、苔を主体とした京風の雅な庭園で、ゆるやかな曲線を描いた苔の緑と白砂の白との対比が美しい「苔庭」。そして、その向かい側には、京都桂離宮にある松琴亭の面影を写して建てられた茶室「寿立庵」がある。 創設者の足立翁が案内をしている像の前を通って進み、ロビーに出るとその正面には、足立美術館の主庭である「枯山水庭」の素晴らしい眺めが広がっている。中央にに配置されている三つの立石は、峻厳なる山をあらわし、そこから流れる水が渓流となり、大河となって行く様を、枯山水という伝統的な手法を用いて表現されている。 創設者足立全康翁の言葉「庭園もまた一幅の絵画である」のとおり、館内の窓がそのまま額縁になっている。 中庭を通り過ぎ裏手に回ったところには、周囲との調和を考え、新しい感覚と伝統的な手法を用いて作られた庭園「池庭」が広がる。池に架かる石橋、配置されている石、樹木の大きさや向きなど、どの方向から観てもよいように作庭されている。 館の一番奥から眺められるのが、横山大観の「白砂青松」をイメージして造られた庭園「白砂青松庭」。白砂の丘陵には、右に黒松、左に赤松を配置し、対照的な調和美を生み出している。 素晴らしい庭を堪能して2階へ上がる。大展示室では、春季特別展「榊原紫峰<生誕120年>」が行われ、「鶏頭花」「雪中棲小禽」など約40点の紫峰の作品が展示され、そして、横山大観特別展示室には、130点におよぶ日本一の大観コレクションのうち、「龍躍る」「海潮四題・夏」など、代表作を含24点の作品が展示されている。残念ながら、<紅葉>屏風は展示されていない。 時間があれば、喫茶室か茶室で、のんびりとお茶をいただきながら素晴らしい庭園を眺めることができたのだが・・・ チョッと残念!
昼食後、バスは宍道湖畔を更に西へ、出雲市へと入り、出雲大社に到着。まず、長さが13m、胴回りは9m、重さは5トンという大注連縄の掛けられている神楽殿を遠くから拝む。 脇の方から参道に入り、手水舎で清めて、出雲大社の神域の荒垣正門に立つ銅の鳥居を潜り、拝殿にお参りをする。参拝の仕方は、二拝四拍手一拝である。(一般の神社は二拍手で、宇佐八幡宮が四拍、伊勢神宮は八拍)。 拝殿の注連縄も、長さ8m、重さ1.5トンの大注連縄で、その掛け方が数字の横一のように掛けてあり、一般の神社と逆向きなのである。 拝殿の脇を通って、八足門の前へ出る。一般の参拝はこの八足門までというので、ここから本殿をお参りする。 出雲大社は「天日隅宮(あめのひすみのみや)、杵築大社(きずきのおおやしろ)」ともいわれ、祭神は大国主命。本殿は国宝になっており、日本で最も古い神社建築の形式をもった大社造りで、伊勢神宮の神明造りとともに代表的な神社建築である。 平成12年の発掘調査で、古代本殿の心御柱柱材が土出した。古代の本殿の各御柱は、三本の巨木柱を一つに束ねて一本の御柱としていて、この巨大な御柱で築き建てられた本殿は高さ四十八メートルと伝えられ、本殿に至る階段の長さは一町(約百九メートル)と言われている。八足門前には、その心御柱の実物大の模型が置かれ、敷石上には心御柱が建っていた跡が示されている。 旧暦10月には、全国の神様が、この出雲に集まるので、10月を神無月というが、出雲地方では、神有月と呼んでいる。 本殿参拝を終え、銅の鳥居をでると左手参道脇に、大国主命と魂を形どった「ムスビの御神像」がある。樹齢数百年の松並木の参道は、松並木によって三つに分かれているが、昔は、中央の参道は皇族の方々や例祭の時、天皇陛下のお使いである勅使が通られる道とされ、一般には通できなかったそうである。参道は入口の鳥居をくぐると、祓橋まで下り坂になっている。(一般には、下り坂というのはあまり無く、珍しい) 出雲大社の参拝を終え、バスは宍道湖の北側、一畑電鉄に沿った国道431号線を 堀川めぐりのコースは、松江城をとり囲む約3.7km。色々な形の16の橋を潜り抜けて、約50分でめぐる遊覧船の旅だ。我々は、3ヶ所ある発着ルートのひとつ「松江堀川ふれあい広場」から乗船。冬季には舟の中にコタツが置かれ、冬の風物詩ともなっている。 堀川は、松江城や城下町を守ると共に、物資の輸送や人々の往来、生活用水として、そのうえ豊かな漁場でもあったという。島根県庁の脇を通り、松江の街中を流れる、京橋川、米子川をのんびりと進んでいく。長屋門をイメージした木造の橋「米子橋」や、中には、高さが低く、舟は屋根を下げて(お客は頭を下げて)潜っていく橋もある。 北田川に入り、北堀橋を潜ると、標高28m亀田山に聳える松江城の天守閣が見えてくる。現存する12の天守のひとつで、堀尾吉晴が慶弔12年(1607)から5年がかりで築いて以来、出雲の中心として栄えた城である。そして、右手には今も白壁に黒い腰板の塀と長屋門が連なる昔ながらの家並みが続く「塩見繩手」が見えてくる。 「塩見繩手」は、松江城の北堀に沿った通りで、かつては200〜600石程度の中級武士の屋敷が並んでいた。松平氏初代直政の家臣で、異例の栄進をした塩見小兵衛が住んだことからこう名付けられた。小泉八雲旧居・武家屋敷・田部美術館等が並んでいる。ここを過ぎると、まもなくスタート地点の「ふれあい広場」に戻るのである。 風情のある「堀川舟めぐり」を楽しんだ後、9号線から山陰道を東へ、今夜の宿、鳥取県米子市の皆生温泉・三井別館へと向かう。「海に湯が湧く」皆生温泉は、明治33年(1900)に漁師達によって発見された温泉で、泉質は、70度から85度の食塩泉の『塩の温泉』である。 夕食は、松葉ガニ付きの日本海会席で、これまた美味しく、大満足! |