聖地サンチャゴとポルトガル 8日間の旅

                                                            2016.11.1〜8


 1日目 フランクフルト経由ポルトへ

 
・2日目 ギマランイス歴史地区観光
       サンチャゴ・デ・コンポステーラ観光


 ・3日目 ポルト市内観光〜アヴェイロ市内観光〜
       コインブラ市内観光〜ナザレへ

 ・4日目 トマール観光〜バターリャ観光〜ナザレ観光

 ・5日目 オビドス観光〜シントラ観光〜ロカ岬〜リスボン

 ・6日目 リスボン市内観光〜エヴォラ観光

 ・7日目、8日目 フランクフルト経由にて帰国


 今回の旅行は、かみさんと2人で、クラブツーリズムのツアーに参加した旅です。
 聖地サンチャゴ・デ・コンポステーラはイベリア半島北西端に位置し、ヨーロッパ各地からの巡礼の道の終着地である。

 ポルトガルはユーラシア大陸最西端に位置し、ヨーロッパで最初に海路で中国や日本など東アジアとの接触を持った国家である。

 紀元前にはフェニキア人、後にローマ、ゲルマン、ムーア(イスラム・アラブ)諸民族の治下で各文明の洗礼を受けたが、やがてレコンキスタ(国土回復運動:711〜1249の長期間にわたりイベリア半島を支配してきたイスラム教勢力を追放するための戦い)を経て、キリスト教国として海外進出を遂げた大航海時代には、西洋と東洋を結び付ける立役者となった。

 17世紀以降は衰退の一途をたどったが、その激動の歴史を今に伝える建造物が各地に残り、往時の文化や建築様式を伝える貴重な歴史的遺産となっている。

 1543年にポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝来して以降、日本と交流し多大な影響を与え、今日の私たちの生活に根付いている文化も多い国である。
 ちなみに、パン、カステラ、かるた、コンペイトウ、ボタン、てんぷらなどはポルトガル語源の日本語である。
 

1日目(11/1 TUE)   フランクフルト経由ポルトへ

 今回は、羽田空港に8:50集合のため、家で朝食を摂り、生憎の雨だったが、電車で羽田空港へ。国際線旅客ターミナル団体カウンターに行き、同行する添乗員さん(北橋さん)のところで受付をし、ANAのカウンターで荷物を預け、カード会社のラウンジでコーヒーを飲んだりしてから出国審査をして搭乗口へ。今回のツアー参加者は、14名と少ない人数で、何かと楽だ。

 全日空 NH−0223便(定刻11:20発 B777−300)は、順調に飛行、定刻の15:40に、フランクフルト空港に到着。EU圏内なのでここで入国審査を終え、ポルトガルのポルトへの乗り継ぎだ。だが何とおよそ5時間の待ち時間なのだ。免税店などをブラブラしたり、カフェでお茶をしたりして時間をつぶし、ルフトハンザ航空 LH1180便(定刻20:50発 A321−100)に搭乗。2時間45分のフライトでやっとポルトに到着。バスにて、今夜宿泊する、ポルト市街にあるホテルへ。



第2日目(11/2 WED)   ギマランイス観光〜サンチャゴ・デ・コンポステーラ観光

 今日は初代ポルトガル国王が誕生した地ギマランイスと聖地サンチャゴの観光だ。昨夜来の雨も上がり、8:30バスにてギマランイスに向けホテルを出発。およそ1時間のドライブで到着。

 ギマランイスの町の入口の壁には「AQUI NASCEU PORTUGAL(ここにポルトガル誕生す)」と刻まれている。この町が「ポルトガル発祥の地」とされる理由は、初代ポルトガル王アフォンソ・エンリケス(1143〜1185年)生誕の地であるからである。

 初代国王となるアフォンソ・エンリケスが1110年に生まれた10世紀に建てられたギマランイス城など、国王ゆかりのみどころがある。ブラガンサ公爵館をはじめ、14〜15世紀の町並みが残されている。
 旧市街の歴史地区は世界遺産に登録されている。

ギマランイス
 「AQUI NASCEU PORTUGAL(ここにポルトガル誕生す)」と刻まれている町の入り口 聖グアルター教会


  聖グアルター教会の前に伸びている庭園のところでバスを降り、アルベルト・サンバイオ美術館のところから旧市街へ入りゆるやかな坂を上ったところがオリベイラ広場だ。広場に面して、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会旧市庁舎などが建っていて歴史的なたたずまいを現在に伝えている。

ギマランイス
 アルベルト・サンバイオ美術館
 ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラ教会の修道院部分を利用した美術館で、13世紀のロマネスク様式の回廊が美しい。
オリベイラ広場
ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会 教会前のアーチ


 ノッサ・セニョーラ・ダ・オリヴェイラ教会は、 12世紀に建立された教会で、この場所には、ムマドナ女伯爵が10世紀に創設した修道院が建てられていたが、オーリッケの戦いの勝利を神に感謝するため、アフォンソ1世により、新たに教会が建立された。
 さらに、14〜15世紀にかけて、ジョアン1世がアルジュバロータの戦いの勝利を記念し、ロマネスク様式の教会を取り壊して、拡張工事を実施され、1505年にマヌエルの塔が建立され、16世紀には現在の姿の教会が、完成した。

 教会前のアーチは、サラードの戦いの勝利を記念し、1342年に建立されたものである。教会の名前の、ノッサ・セニョーラ・ダ・オリベイラとは、「オリーブの木の聖母」を意味し、アーチが完成したとき、前にあるオリーブの木が、突然芽を出したという伝説に由来している。

 旧市庁舎の下の回廊をくぐった先はサンティアゴ広場で、周辺には庶民的な雰囲気の家々が並んでいる。

ギマランイス
旧市庁舎の下の回廊 サンティアゴ広場


 サンティアゴ広場からサンタ・マリア通りに出て左に行き、右手に現在の市庁舎を見ながら歩いて行く。この道は巡礼の道になっていて、道に巡礼のシンボルにもなっているホタテガイのマークが彫り込まれている。

ギマランイス
サンタ・マリア通り 現在の市庁舎
市庁舎前広場とサンタ・マリア通り  ホタテガイのマークが彫り込まれている巡礼の道


 サンタ・マリア通りを更に進むと、右手にブラガンサ公爵館があり、アフォンソ・エンリケスの銅像が建つ広場に突き当たる。中に入って行くと12世紀建造のサン・ミゲル教会がある。

ギマランイス
ブラガンサ公爵館 アフォンソ・エンリケスの銅像
 サン・ミゲル教会  アフォンソ・エンリケスが洗礼を受けた教会。ギマランイス城の下にあり、12世紀に建立されたロマネスク建築の建物で、一度壊れたため、20世紀になって再建された。


 ブラガンサ公爵館は、ジョアン1世の息子で初代ブラガンサ公爵となったドン・アフォンソによって建てられた宮殿で、中世後期のフランスはブルゴーニュ地方の影響を強く受けた、15世紀ゴシック様式の建築物である。

 サン・ミゲル教会の脇を通っていくとアフォンソ・エンリケス生誕の地であるギマランイス城が見えてくる。

ギマランイス  ギマランイス城


 城壁に囲まれた城内に入り見学をする。塔の中に入ると展示室があり、塔の上には行かれなかった。

ギマランイス  ギマランイス城
城内への入り口 城  壁
塔内の展示室 城内から見たブラガンサ公爵館


 城の見学を終えバスに戻り、次の目的地サンチャゴ・デ・コンポステーラへ向かう。バスは高速道路を北上し、スペインとの国境のミーニョ川を渡、ビーゴ湾を越えた先のSAにて休憩を取り、1時過ぎにサンチャゴ・デ・コンポステーラに到着。

ポルトガルとスペインの国境
ミーニョ川が国境


 イベリア半島北西端に位置するサンティアゴ・デ・コンポステーラは、エルサレム、ローマ(バチカン)に次ぐキリスト教三大巡礼地のひとつ。9世紀初めに聖ヤコブの墓がこの地で発見されて以来、ヨーロッパ各地から多くの巡礼者が訪れる聖地となった。ピレネー山脈を越えスペイン北部を横断するおよそ800kmの巡礼の道の終着地でもある。

 かつて旧市街は7つの門を持つ城壁に囲まれており、巡礼者はこのうち東にある通称「巡礼の門」をくぐって聖ヤコブの遺骸が安置されたカテドラルへ向かったという。旧市街は1985年に世界遺産に登録されている。

 旧市街への入口となる、サン・フランシスコ教会裏手の駐車場でバスを降り、サン・フランシスコ教会の前を通って、旧市街のレストランで昼食後、カテドラル(大聖堂)へ。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 サン・フランシスコ教会(別名:サン・フランシスコ・デ・バルデディオス修道院と教会)
 13世紀のはじめにゴシック様式で建てられたが、18世紀にバロック様式で建て替えられたもの。


 カテドラル(大聖堂)前のオブラドロイ広場に面して、現在サンティアゴ・デ・コンポステーラ市役所になっているラショイ宮パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラがある。また、大聖堂の正面入り口に向かって、巡礼の終着地を表すプレートが埋め込まれている。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
カテドラル(大聖堂) ラショイ宮(現市庁舎)
パラドール・デ・サンティアゴ・デ・コンポステーラ 巡礼の終着地を表すプレート
街を歩く巡礼者(ホタテガイを下げている)


 カテドラル(大聖堂)は、9世紀に聖ヤコブ(スペイン語ではサンチャゴ)の墓が発見され、その地に小さな聖堂が建てられた。イスラム教徒によって破壊されたが、11〜13世紀に再建された。その後数多くの拡張工事が行われ、ロマネスク様式、ゴシック様式、バロック様式、ネオクラシック様式が混在する貴重な教会となっている。
 10世紀頃から現在までサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の終着地として多くの巡礼者を迎えている。

 大聖堂の一部が修復中で、正面オブラドイロ門から入れず、入ったところにある3つのアーチを持つ「栄光の門」を見ることができない。その代り、通常は聖ヤコブの年(7月25日が日曜日にあたる年で次は2021年)にしか開かれない「免罪の門」が、今年は慈しみの特別聖年にあたり聖なる扉が開いているので、そちらから入ることになった。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 西正面オブラドイロ門ファサード(ガリシア語版)はフェルナンド・カサス・イ・ノボーアの作品で、バロック様式の建築である。そこを抜けると現れる栄光の門は、メストレ・マテーオの作品。門は3つに分かれており、左から旧約聖書の世界、天国、新約聖書の世界を表すと言われている。天国、地獄、煉獄であるという説もある。


 大聖堂に入る前に、旧市街を見て回ることにして、まず大聖堂に隣接している、500年以上の歴史を持つスペイン最古の大学の1つである旧サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学学舎で、現在総合図書館として使用されているコレシオ・デ・フォンセカを見学。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
 コレシオ・デ・フォンセカ(Colexio de Fonseca)
 旧サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学学舎、1970年代まで薬学部の建物として使用。現在サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の総合図書館として使用されている。


 その後、旧市街地南西に広がるアラメダ公園へ行く。そこの遊歩道からはカテドラルのファサードや尖塔、そして市街を眺めることができる。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
アラメダ公園


 両側がアーケードになっていて、色々なお店が並ぶヴィラール通りを歩き、星を掲げる女神の噴水があり、この星に導かれてサンティアゴの遺体はこの場所に運ばれたというプラタ(銀)広場から大聖堂裏手のキンターナ広場へ出る。
 キンターナ広場に面してサン・パイオ・デ・アンテアルターレス修道院がある。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
ヴィラール通り
ヴィラール通りの店  ヴィラール通りの店に飾られている巡礼証明書
プラダ(銀)広場  サン・パイオ・デ・アンテアルターレス修道院


 キンターナ広場に面した「免罪の門」から聖堂の中に入り、中央に聖ヤコブの像が祀られている中央祭壇にお詣りし、祭壇左横から階段を下り地下礼拝堂を通って、北門アサバチェリーア門から出る。アサバチェリーア門は、天国の門と呼ばれ、上部はネオクラシック様式、土台はバロック様式で造られている。もともとロマネスク様式であったが、18世紀ベンドゥーラ・ロドリゲスらによって再建されたものである。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ
免罪の門
聖堂内の祭壇
聖堂内のステンドグラス 聖堂内のパイプオルガン
 天国の門と呼ばれる北門アサバチェリーア門  アサバチェリーア門に向き合うサンティアゴ・デ・コンポステーラ大学


 サンティアゴ・デ・コンポステーラの観光を終わり、バスの待つ駐車場へ。バスは、来た道を戻り、国境を越えポルトガルに入り少し行った、バルセロスという町のSAで休憩。ここの売店では、バルセロスの雄鶏伝説にちなんだニワトリの置物「ガロ」がたくさん売られている。

 「バルセロスの雄鶏伝説」というのは、「昔、サンチャゴ・デ・コンポステーラに詣でる途中で村を訪れた巡礼者が、無実の罪をきせられ死刑を宣告された。刑に処せられる前、巡礼者は判決を下した裁判官のところに行き、そこで、テーブルの上にあった鶏の丸焼きを指さして「私は無実であるという証拠に、刑が処刑されるとき、この鶏が鳴くだろう」と言った。まさに処刑されそうになったその瞬間、本当に鶏が鳴き、これによって巡礼者はただちに釈放された」というものである。

サンティアゴ・デ・コンポステーラ〜ポルト
ニワトリの置物{ガロ」 ビーゴ湾の夕景


 休憩後、バスは南下してポルトの街に入り、7:30ホテルに到着。ここのレストランで夕食を摂る。



                                                      <3日目につづく>

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