2016.11.1〜8
・1日目 フランクフルト経由ポルトへ ・2日目 ギマランイス歴史地区観光〜 サンチャゴ・デ・コンポステーラ観光 ・3日目 ポルト市内観光〜アヴェイロ市内観光〜 コインブラ市内観光〜ナザレへ ・4日目 トマール観光〜バターリャ観光〜ナザレ観光 ・5日目 オビドス観光〜シントラ観光〜ロカ岬〜リスボン ・6日目 リスボン市内観光〜エヴォラ観光 ・7日目、8日目 フランクフルト経由にて帰国 |
第4日目(11/4 FRI) トマール観光〜バターリャ観光〜ナザレ観光 今日はポルトガル最大の修道院がそびえるトマールとポルトガルの勝利を記念した修道院が建つバターリャの観光だ。薄曇りの中、バスでホテルを出発、およそ1時間30分程でトマールに到着。 トマールは、12世紀、レコンキスタで活躍したテンプル騎士団に、アフォンソ1世がその恩賞として土地を与えたのが起源とされる。騎士団が築いた堅牢な城塞や聖堂は、キリスト修道院として今に受け継がれている。街を流れるナバオン川や緑豊かな公園など、美しい自然も魅力な街である まず、ポルトガル建築の粋が集約されたキリスト修道院を見学。1160年に、テンプル騎士団によって建設が開始されたポルトガル最大規模を誇るシトー派の修道院。約400年にわたって増改築が続けられたため、ロマネスク建築、ゴシック建築、ムデハル様式、マヌエル建築、ルネサンス建築といった様々建築様式が融合した建築物となっている。一番の見どころは12世紀末に建造されたテンプル騎士団の聖堂である
城門をくぐり修道院の入り口へ。入口を入り墓の回廊を通って、テンプル騎士団聖堂に入る。エルサレムの聖墳墓教会に倣って12世紀後半に造られた、ビザンチン風ロマネスク様式の聖堂で、中央の洗礼室にはキリスト像が置かれている。
聖堂から主回廊へと出る。聖堂は、エルサレムの聖墳墓教会に倣って12世紀後半に造られた、ビザンチン風ロマネスク様式の聖堂で、外側は16角形、内側の洗礼堂は8角形の構造になっている。 主回廊は、ジョアン3世時代の16世紀、ジョアン・デ・カスティーリョによって造られたルネッサンス様式の回廊。1581年、ポルトガルを併合したスペイン王フェリペ2世はここで、ポルトガル王フィリペ1世として戴冠したところである。 主回廊からマヌエル様式の最高傑作といわれる大窓を見て、ジョアン3世によって増築されたカラスの回廊、その周りにある修道士の寝室や食堂を見て、ミシャの回廊を通り出口へ。ポルトガル最大の修道院と云われるだけあり、見ごたえのある建物であった。
キリスト修道院の見学を終え街へ下るが、街中で、お盆を頭に載せた姿のオブジェが立っているのが見かけた。これは、トマールで4年に1度開催されるポルトガルで最も華やかな伝統的な祭り、タブレイロスの祭りでパレードする女性をイメージしたものだそうである。 タブレイロスとは、お盆(Tabuleiro)と言う意味で、白衣の民族衣装を着た女性が、パンと造花で飾られたお盆(その高さは自分の身長と同じ高さ、重さは30kgにもなるんだとか)をいう。 ナバオン川の畔でバスを降り、河畔のレストランで昼食を摂る。
昼食後、次の目的地バターリャに向かう。およそ1時間でバターリャに到着。 バターリャとは、ポルトガル語で「戦い」を意味するもので、ジョアン1世が1385年8月14日にバターリャ近郊のアルジュバロータでカスティーリャ王国軍を破り、勝利したことに由来する。その象徴が世界遺産に登録されているバターリャ修道院である。 バターリャ修道院は、正式名を勝利のサンタ・マリア修道院といい、1385年、ジョアン1世がカスティーリャ軍との戦いに勝利。戦前に聖母マリアに勝利を祈願した王が、聖母に感謝して建立した修道院。 壮大かつ華麗な修道院は、ポルトガルのゴシック・マヌエル様式を代表する建築のひとつで、1983年世界遺産に登録されている。王の回廊、未完の礼拝堂などが見どころである。
修道院の南側に位置する教会は、奥行き約80m、高さ約32mで、その大きさはポルトガルでも1、2を規模を誇っている。教会に入ってすぐ右側に創設者の礼拝堂がある。15世紀に造られたジョアン1世の家族の墓所で、中央にはジョアン1世と王妃フィリパ・デ・ランカスターの棺が置かれている。
教会の北側にあるジョアン1世の回廊の東側に続いている参事会室は、現在、第1次世界大戦とアフリカの植民地争いで命を落とした無名戦士の墓が置かれていて、衛兵によって守られている。1時間ごとに衛兵の交代が行われ、タイミングよく見ることができた。
ジョアン1世の回廊(王の回廊)は、1386年に建設が始まり1515年に完成。初代建築家アフォンソ・ドミンゲスによって造られたゴシック様式の簡素な回廊に、約100年後にリスボンのジェロニモス修道院を手がけたボイタックがマヌエル様式の装飾を施し、見事な調和を生み出している。
回廊から一旦外に出て、礼拝堂の北側にある入口から入ったところが未完の礼拝堂である。ジョアン1世の息子ドゥアルテ1世により建設が始まり、没後は後のマヌエル1世に引き継がれて100年ほど工事が続けられたが、ついに未完に終わった。 その理由は、設計上のミスという説とジェロニモス修道院の建設のために建築家がリスボンに行ってしまったという説があるが、確かなことはわかっていない。
バターリャ修道院を見学後、ナザレに戻る。ナザレは、美しい海岸線を持ち、海洋民族の古代フェニキア人によって拓かれた素朴な漁師町。夏は世界中からバカンス客が落ちずれるリゾートとしても知られる。 その名は8世紀に西ゴート王ロドリゴがロマノという僧を共にこの地までやってきたとき、彼が携えていたマリア像がはるかイスラエルのナザレのものだったことに由来する。フランス映画「過去を持つ愛情」の一舞台となった所でもある。
崖の上にあるシティオ地区の広場の近くまでバスで行く。広場に面して、ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会、メモリア礼拝堂がある。また広場の展望台からは街の中心プライア地区や美しい海岸線を一望できる。 メモリア礼拝堂は、「ドン・ファスの奇跡」と呼ばれる、ナザレの聖母伝説発祥の地に建つ小さな礼拝堂で、 建物の裏の壁には「ドン・ファスの奇跡」が描かれたアズレージョが飾られている。
「ドン・ファスの奇跡」とは、「1182年、霧のかかった朝、ドン・ファス・ロビーニョという城主が馬に乗って狩りをしていた。獲物の鹿を岬の端まで追いかけていくと、鹿は急に姿を消した。馬は後ろ足のみで岩の上で踏ん張っていたものの、前足部分の下にはぱっくりと深海が口を開けていた。その時突然聖母マリアが現れ、馬は奇跡的に後戻りをし、九死に一生を得た」という言い伝えである。そのご加護に感謝して、ここに礼拝堂を建てたという。 ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会は、土地の守護聖母を祀るバロック様式の美しい聖堂である。1377年に今の教会のもととなる聖堂が建設されたが、現在の建物は17世紀のもので、ナザレの聖人たちが祀られている。祭壇中央には、711年にロマノ僧により持ち込まれた木製のマリア像が祀られている。
ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会、メモリア礼拝堂を見学後、ビーチの沿ったプライア地区に下りる。
砂浜沿いのレストランにて夕食、メインはポルトガルの代表料理、サルディーニャス・アサーダス(イワシの塩焼き)で、美味しかった! <5日目につづく> 旅日記 TOPへ |