2016.11.1〜8
・1日目 フランクフルト経由ポルトへ ・2日目 ギマランイス歴史地区観光〜 サンチャゴ・デ・コンポステーラ観光 ・3日目 ポルト市内観光〜アヴェイロ市内観光〜 コインブラ市内観光〜ナザレへ ・4日目 トマール観光〜バターリャ観光〜ナザレ観光 ・5日目 オビドス観光〜シントラ観光〜ロカ岬〜リスボン ・6日目 リスボン市内観光〜エヴォラ観光 ・7日目、8日目 フランクフルト経由にて帰国 |
第5日目(11/5 SAT) オビドス観光〜シントラ観光〜ロカ岬〜リスボン 昨夕から雨となり、今朝も小雨が降っている。今日は、王妃に愛された美しい街オビドスと王家の避暑地シントラそしてユーラシア大陸最西端のロカ岬の観光だ。 8:30バスにてホテルを出発、45分ほどでオビドスの到着。オビドスは中世の城壁に囲まれた小さな街。1288年、ディニス王とイザベル王妃が婚礼旅行でオビドスに滞在した際、王が結婚祝いとして街をお王妃に贈り、その直轄地にした。以降1833年まで、ジョアン2世の后レオノール王妃など代々の王妃に受け継がれていき、「王妃の街」として知られるようになった。
街の南側の入り口近くでバスを降りたが、生憎小雨が降っている。街の入口はポルタ・ダ・ヴィラという、1380年に完成した二重構造の城門で、オビドスの聖人、聖ピエダデに捧げられた18世紀建造の祈祷室があり、聖書の場面を描いたアズレージョで覆われている。城門をくぐって街に入る。
オビドスのメインストリートで石畳の細い道に土産物屋やレストランなどが並ぶディレイタ通りを歩き、まず、一番奥の15世紀の城を改装したホテル、サポーダ・ド・カステロのところまで行く。
ホテル脇から城壁に上がる石段がついており、上がってみる。城壁の上は幅は狭いが歩けるようになっていて、街を一周できる。我らのグループの中には南側の門まで行った人もいたが、我らは雨も降っていることから、少し行った先で折り返す。
ディレイタ通りを少し戻ると、街の中心であるサンタ・マリア広場があり、広場に面してサンタ・マリア教会、市立博物館、ペロリーニョと言われる罪人をさらした柱などがある。 サンタ・マリア教会は、もとは西ゴート族の聖堂だった建物で、その後幾度も改築されている。1444年10歳のアフォンソ5世が、わずか8歳のいとこイザべラと結婚式を挙げた教会である。 内部の壁は全面が17世紀のアズレージョで覆われている。内陣にある石棺はルネッサンスを代表する彫刻家ニコラ・シャントレーヌによるもので、オビドス市長だったジョアン・デ・ノローニャと妻のイザベラ・デ・ソウザが眠っている。
サンタ・マリア広場からまたディレイタ通りを少し下った左手、路地をちょっと入ったところにサン・ペドロ教会がある。13世紀に建てられたバジリカだったが、1755年のリスボン大地震で崩壊後、再建されたバロック様式の教会。その向かい側には14世紀に建てられたゴシック様式の礼拝堂、サン・マルティーニョ教会がある。
ディレイタ通りのお店を眺めながら歩き、店先で売られているオビドスの銘酒ジンジーニャを飲んでみる。ジンジーニャは、さくらんぼを漬け込んだ果実酒で、度数18〜20%の甘い酒だ。チョコレートのカップに注がれて売られている。
オビドスの観光を終えシントラへ向かう。およそ1時間ほどで到着、雨も上がってくれている。シントラは8〜9世紀にムーア人が築いた城が街の起源とされる。1147年にアフォンス・エンリケスによりポルトガルが併合されて以降は、王家の宮殿や貴族らの荘園が置かれ、文化の中心地としても栄え、英国の詩人バイロンが「この世のエデン」とたたえた街で、1995年世界遺産に登録されている。 まず、街の中心であるレププリカ広場に面した王宮へ。ムーア人が残した建物を礎とし、13世紀末にディニス王が王宮の原型を整備。14世紀初頭、ジョアン1世が大増改築を行い王室の基礎を築いた。 シンボルとなっている2本の煙突はこの時代に造られたものである。その後もマヌエル1世の時代に増築が行われ、ムデハム、ゴシック、マヌエル、ルネッサンスなど多様な建築様式が見られる。
入口を入って白鳥の間へ。宮廷舞踏会場として用いられた大広間で、ジョアン1世が、英国に嫁いだ娘カタリーナの幸福を願い造らせたもの。生涯伴侶を変えず夫婦円満の象徴とされる白鳥が27羽、天井に描かれている。
次いで、カササギの間へ。ジョアン1世の治下、宮廷で起きた浮気事件に由来する部屋。カササギ(お喋りの意)のモチーフと「POR BENNE」(善意の接吻を意味する言い訳の言葉)の文字が天井一面を覆っている。
15世紀に黄金の寝室と呼ばれていたセバスチャン王の寝室、ジュリアス シーザーのタペストリーが飾られているジュリアス シーザーの部屋、16〜17世紀の間に造られた天井に帆船が描かれているギャレオン(帆船)室、ドーム天井一面に16世紀の王侯貴族の紋章が掲げられた最上部の間である紋章の間を見て回る。貴族以外に、航路開拓の功績を称えられたヴァスコダ・ダ・ガマやカブラルの紋章もある。
その後、ディニス王の旧王宮の部分であった中国の間、14世紀の初め、ディニス王の時代に造られた礼拝堂、15世紀の初めにジョアン1世の寝室だったアラブの間、ジョアン1世の個室で、礼拝と衣装室であった客室、王宮のシンボルともなっている、33mの高さと円錐形が特徴的な2本の煙突の下に位置している厨房、そして最後に、16世紀の初めにマヌエル1世二より建てられた王宮のメインルームであるマヌエルの間をみる。ポルトガル王家の夏の離宮で、様々な建築様式の部屋があり、見応えがあった。
王宮の見学を終え、現地ガイドさんのお勧めのレププリカ広場に面したレストランで昼食を摂る。料理はシェフのおすすめのタコやエビを炒めたもので、とくに大きなタコが柔らかく美味しかった! 昼食後広場周辺のお店などを覗いたり、ケイジャーダ(チーズタルト)などのシントラの伝統菓子を売っているおしゃれなカフェでお茶をしたりしてシントラの街を楽しんだ後、ユーラシア大陸最西端のロカ岬へ向かう。
およそ1時間でロカ岬に到着、ユーラシア大陸の最西端に位置する岬で、高さ144mの断崖の上に、ポルトガルの詩人カモイスが詠んだ詩の一節が刻まれている十字架の塔が建っている。まさに詩に「陸尽き、海始まる」と詠われたとおり、大西洋からの風を受け岬の突端に立つと、地の果てを感じる。
岬にある観光案内所で、「最西端到達証明書」を発行してくれる。名前と日付を記入してくれる立派なものだが、なんと11ユーロもするのだ。
ロカ岬観光を済ませ今夜の宿泊地リスボンのホテルへ。チェックインしてひと休みしてから、ポルトガルの民族歌謡であるファドのディナーショウに出かける。 19:30ロビーに集まり、アルカンタラ地区にあるシアター・レストラン「Timpanas」へ。ファドは首都リスボンの下町で生まれ歌い継がれてきた、ポルトガルの民族歌謡である。庶民の心の歌であり、人生において抱く哀愁や愛惜、未練などを表現するメランコリックな曲が多い。
シアター・レストランで食事をした後、ファドとポルトガルの民族舞踊を楽しみホテルへ戻る。 <6日目につづく> 旅日記 TOPへ |