第3日目(5/15 SAT) オパティア〜ポレチュ〜プーラ〜プリトヴィッツェ
今日は曇りで、時々パラッとくる1日だ。ホテルのレストランで朝食をとり、8:00に出発というので、チョッと離れたバスが止まっているところに行ってみると、なにやら騒がしい。
どうやら、バスがバックしたときに、後ろに止まっているバスに接触し、リア・ウインドーが割れてしまったようだ。これでは人を乗せて走れないというので、代わりの車を待つことに・・・。
ホテルの部屋を借りて待つこと4時間、やっと代わりの車が来てスタート。観光の順序を変更して、まずイストラ半島の西岸にあるポレチュへ向かう。ポレチュのレストランで遅い昼食をとり、市内観光へ。
ポ レ チ ュ |
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イストラ半島の西岸に、紀元前2世紀〜1世紀にかけて、古代ローマの都市として建設され、イストラ半島の政治的中心地として栄えてきた。アドリア海屈指のリゾート地でもある。 |
市庁舎 |
海岸通りから旧市街に入り、6世紀に建てられたという、世界遺産に登録されているエウフラシス大聖堂を見学する。
ポ レ チ ュ |
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海岸通りの街並み |
エウフラシス大聖堂の門の上には、美しいモザイク画が描かれている。 |
半円形のモザイク画が描かれた門をくぐり、入口を入ると、「アトリウム」と呼ばれる、屋根つきの四角い回廊に囲まれた中庭に出る。このアトリウムを挟むように、バシリカ式聖堂と八角形をした洗礼堂が建っている。
ポレチュ エウフラシス大聖堂 |
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6世紀初頭に建設された初期ビザンチン建築が見事な大聖堂。1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 |
大聖堂内部は大理石の柱で区切られた箱型の三廊式で、典型的な初期キリスト教時代のバシリカ(列柱廊)の造りである。 |
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5世紀描かれた、聖堂の床モザイク。 |
バシリカ内の後陣に描かれた、キリストと12使徒がモチーフのモザイク画。 |
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「大天使ガブリエルのお告げ」 |
「エリザベート御訪問」 |
ポレチュ エウフラシス大聖堂 |
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教会正面にある「アトリウム」と呼ばれる回廊。ヨーロッパ内ではここを含めて今では数えられるほどしかないという。初期キリスト教時代の面影が残る、貴重な建造物である。
八角形の塔は洗礼堂、天井も八角形(写真左)。 |
聖堂内の素晴らしいモザイク画や洗礼堂の中を観た後は、旧市街のメインストリートであるデクマヌス通りを聖ドミニク教会の建つスロボダ広場まで歩き、バスへと戻る。
ポ レ チ ュ の 旧 市 街 |
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メーンストリートのデクマヌス通り。ローマ時代の面影を残す古い石畳の街並みだ。 |
デクマヌス通りの突き当りのスロボダ広場には、聖ドミニク教会が建っている。 |
次は、イストラ半島の先端にあり、三千年の歴史を誇るアドリア海東岸の町では一番古いプーラへ。1時間と少しで、円形闘技場の前に到着。
イストラ半島の南端に位置するプーラは、ギリシャ神話のイアソンとメディアによって奪われた黄金の羊毛を取り返しに派遣されたコルキスの民が築いたという伝説が残る町。ローマ時代には通商の中継地として栄えた港町である。
プーラ 円形闘技場 |
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1世紀に建設されたローマ帝国時代の円形劇場で、クロアチアで最も保存状態の良いローマ遺跡である。現在でも、オペラやコンサート、プーラ映画祭などが催されている。 |
1世紀に建設されたローマ帝国時代の円形劇場で、当時は闘技場として使用されていた。長径130m、短径100mあり、2万5000人を収容できるという広さだ。また、闘技場の下には地下室があり、かっては闘技のための動物などが入れられていたが、現在では博物館になっており、ワインを作るための葡萄搾り機やワイン、オリーブ油、穀物などの運搬容器として使用された壺などが展示されている。
プーラ 円形闘技場 |
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闘技場の下の地下室に展示されている、ワインを作るための葡萄搾り機(写真中)、ワイン、オリーブ油、穀物などの運搬容器として使用された壺など。 |
円形闘技場見学後、当初は、プリトヴィッツェまで行って夕食の予定だったが、バスのトラブルで遅れたため、リエカのホテル・コンチネンタルのレストランで夕食となった。
リ エ カ の 町 |
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“川”という意味を持つ港町リエカは、クロアチア最大の貿易港で、アドリア海を渡る大型フェリーはここを拠点に運航されている。 |
ここリエカでリア・ウインドーの修理を終えたバスが待っていて、それに乗り換え、プリトヴィッツェへ。バスのトラブルがあり、4時間ほどスタートが遅れたが、観光はほぼ予定通りしてきた。しかし、ホテルへの到着は12時近くになった。
<4日目につづく>
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