2010.5.13〜22


 ・1日目 スロベニア・ブレット湖へ

 
・2日目 ブレット湖〜ポストイナ鍾乳洞〜オパティア 

 
・3日目 オパティア〜ポレチュ〜プーラ〜プリトヴィッツェ

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4日目 プリトヴィッツェ〜シベニク〜トロギール

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5日目 トロギール〜スプリット〜ドブロヴニク

 ・6日目 ドブロヴニク1日観光〜(船中泊)〜バーリ

 ・7日目 バーリ〜アルベロベッロ〜マテーラ〜ナポリ

 ・8日目 ナポリ〜カプリ島〜ポンペイ〜ローマ(ポメツィア)

 ・9日目、10日目 ローマ〜帰国

日目(5/17 MON)   トロギール〜スプリット〜ドブロヴニク

 今日も曇りだ、なかなか晴れてくれない。ホテルのレストランで朝食をとり、8:15に出発、まずはトロギールの旧市街の観光だ。旧市街は、東西に500m、南北に300m、小さな島全体が市街地になっていて、本土との間を橋が結んでいる。かつては、島全体が城壁でぐるりと囲まれていたのである。橋を渡ると城壁の北門がある。門の上には町の守護聖人の一人イヴァン・ウルスィニが町を守るように立っている。

ト ロ ギ ー ル
 この橋を渡ると旧市街。1997年にユネスコの世界遺産に登録された。  旧市街への入口、北門。17世紀中頃に造られたバロック様式で、18世紀に改修された。


トロギール 旧市街
 旧市街は石畳の路地が複雑に入り組み、教会や塔、宮殿など風格のある建物がひしめきあっている。


 北門から旧市街を奥に入ると、街の中心イヴァナ・パヴラ広場に出る。広場には、聖ロヴロ大聖堂市庁舎時計塔、ロッジアが面し、カフェのパラソルが並んでいる。

ト ロ ギ ー ル
 3世紀に殉教した聖ローレンスに捧げられたこの大聖堂は、13〜15世紀にかけて建てられたもの。  左の建物は市庁舎、13世紀末から14世紀の建物で、1階に装飾が施された窓があり、2〜3階には後期ルネッサンスのマニエリスム様式。右の建物は時計塔。


 聖ロヴロ大聖堂の中に入り、13世紀の八角形の説教壇や15世紀の合唱壇などを観、そして町の守護聖人イヴァン・ウルスィニの石棺が置かれている聖イヴァン礼拝堂を参拝した後、鐘楼に上ってみる。

トロギール 聖ロヴロ大聖堂
 身廊の中ほど左側に置かれた石の八角形の説教壇。  守護聖人イヴァン・ウルスィニの石棺  身廊中央のアーチからぶら下がっている巨大な十字架。

 鐘楼は、高さ47m、3層の鐘楼が建てられたのは14世紀初頭、後に少しずつ修復されたため、各階の建築様式が異なっている。(1階:ゴシック様式、2階:ヴェネツィアン・ゴシック様式、3階:後期ルネッサンス)
 螺旋石段を上り、更に階段を上り展望台に出ると、トロギールの街が一望できる。

トロギール 聖ロヴロ大聖堂
 シンボルの鐘楼  鐘楼の2階より上はこのような階段で3階の展望台へ上れるのだ。  鐘楼の展望台より見た時計塔とロッジア


 イヴァナ・パヴラ広場からメインストリートをまっすぐ南に歩いていくと城壁の南門に出る。門の脇にもロッジアが置かれている。かつては市街全部が城壁に囲まれていたが、現在はその一部が残るのみである。
 南門をくぐると、海沿いの明るく開放的なエリアに出る。海岸に面して椰子の木が植えられた広々としたプロムナードが続いている。すぐ対岸には、運河をはさみトロギールと橋で繋がっているチオヴォ島が見える。

ト ロ ギ ー ル
 南門とその脇のロッジア。ロッジアは、かつては税関として使われていたが、今はカフェの一部になっている。  海岸に面したプロムナード。突き当たりは、カメルレンゴの要塞。ヴェネツィア時代に建てられたもので、オスマン帝国から町を守ると同時にヴェネツィア支配に反抗する住民から身を守るためでもあったという。


 トロギール旧市街から橋を渡り、本土に入ったところに青空市場が設けられていて、花や果物、野菜などが売られている。乾燥したイチジクの実を買って食べたが、なかなか美味しかった。

トロギール
青空市場


 トロギールの観光を終え、次はスプリットへ。およそ30分で到着。スプリットは、クロアチアの首都ザグレブに次ぐ第2の都市で、アドリア海沿岸最大の港町である。古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスが造った1700年前の宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源を持つ町で、その特殊な成り立ちと街並みにより、世界遺産に登録されている。、

ス プ リ ッ ト
海に面して建つディオクレティアヌス宮殿 ローマ時代の宮殿を再現した絵

 ディオクレティアヌス宮殿は1700年ほど前の建物で、南北215m、東西180mあり、周囲を厚さ2m、高さ約20mという巨大な壁によって囲まれている。現在も城壁の中には、600人ほどの住人が実際に生活しているという。古代の遺跡と、その中で日々の生活を営む人々。この不思議な光景がスプリットの最大の魅力となっているのである。

ス プ リ ッ ト
 プロムナード(リヴァ)と呼ばれる城壁南側を走る通りは、テラス席のあるカフェが立ち並ぶ。  宮殿南側の門。「銅の門」と呼ばれ、昔は海に面しており、皇帝の住居部分に直接繋がっていた。

 海岸沿いのプロムナードは宮殿の南側の城壁に面しており、その一角に「銅の門」と呼ばれる南門がある。南門をくぐり階段を下りていくと、「ディオクレティアヌス帝の地下室」と呼ばれる地下ホールに出る。そこに宮殿の地下部分への入口があり、ここから入って内部を見学する。皇帝住居の下層階にあたり、かつては倉庫などとして使われていたという。

スプリット ディオクレティアヌス宮殿
 宮殿の地下。地下部分の部屋の構造から上階の皇帝住居の姿を推測することができるという。

 宮殿の地下部分を見学した後、両側に絵や工芸品、みやげ物などの雑貨店が軒を並べている地下通路を進み階段を上がると、ペリスティル(列柱広場)という宮殿中庭に出る。東西に12本のコリント式の列柱が連なり、西側にはカフェが、東側には大聖堂への階段がある。

スプリット ディオクレティアヌス宮殿
 銅の門と中庭を結ぶ地下通路。両側に絵や工芸品、みやげ物などの雑貨店が軒を並べている。  宮殿の中心に位置する中庭、ペリスティル。正面が皇帝の住居への入口。

 大聖堂は、ディオクレティアヌス帝の霊廟として建てられたが、後にキリスト教の教会として利用されるようになった。

スプリット ディオクレティアヌス宮殿
ペリスティルの東側にある八角形の建物、大聖堂。  13〜14世紀にかけて建てられた大聖堂の鐘楼とコリント式の列柱。

 ぺリスティルの先の十字路を右手(東)に行くと、「銀の門」と呼ばれる東門に出る。銀の門の外側の一角は、露天が立ち並ぶ青空市場になっている。

スプリット ディオクレティアヌス宮殿
 「銀の門」と呼ばれる宮殿東側の門。長い歴史の中で何度か閉鎖され、現在見られる門は19世紀に再建されたもの。  露天が立ち並ぶ銀の門の外側の一角。野菜や果物などの生鮮食品から衣類、日用雑貨の店まで扱う品は多種多様である。

 東門を出て、左手(北)の方に城壁に沿って進み、更に左(西)に行くと、「金の門」と呼ばれる北門の前の広場に出る。そこには、グーグル司教の像が立っている。グーグル司教は10世紀にクロアチアのラテン語化に抵抗し、スラヴ語の保護に貢献した人物で、その像の左足の親指に触ると幸運が訪れるといわれ、我々一行もみな親指をなでていく。

スプリット ディオクレティアヌス宮殿
宮殿北側の広場 グーグル司教の像

 北門から城壁に沿って西から南に進むと、宮殿西側の門の前にある広場にでる。「共和国広場」などと訳されているナロドニ広場である。広場に面して建つ旧市庁舎は、ゴシックの代表建築である。

スプリット 旧市街
 城壁の西側、旧市街の中心にあるナロドニ広場。ヴェネツィア支配時代には政治の中心として機能していた。  旧市庁舎(左側)は、ゴシックの代表建築。1階部分の大きな3連アーチはほぼ建築当時(15世紀)の姿をとどめている。

 「鉄の門」と呼ばれる西の門の脇に建つ塔は、ロマネスク様式で、ゴシックの鐘楼とルネッサンスの時計を備えている。
 
スプリット ディオクレティアヌス宮殿
 「鉄の門」と呼ばれる宮殿西側の門。  宮殿西側の鉄の門の脇に建つ、後期ロマネスク様式のチプリアノ・デ・チプリアニス宮殿。建物角に立つ彫像はこの宮殿の主人、聖アントニウス。  西の門の内側にある門。

 「鉄の門」をくぐり再び宮殿内に入り、ペリスティルに戻る。「クロアチアはネクタイ発祥の地」というので、宮殿内にあるお店で、KROATAブランドのネクタイを見たりして、宮殿をでる。集合時間まで時間があったので、海岸通りのカフェで一休みする。

スプリット ディオクレティアヌス宮殿
東門からぺリスティルに続くメインストリート。「KROATA」のお店も並んでいる。
 ペリスティルにいた、ローマ時代の衛兵に扮した青年。

 昼食後は、ダルマチアの海岸をドライブして、ドブロヴニクへ向う。断崖絶壁、エメラルド色の水際、赤屋根の港町、協会の尖塔、沖合いの島々・・・カーブを曲がるたびに美しい海岸線が続くダルマチア、ここはまた、「101匹わんちゃん大行進」に出てきた白と黒ブチの犬・ダルメシアンの故郷といわれている地方である。

ダルマチア(スプリット〜ドブロヴニク)
ダルマチアの海岸線 アドリア海沿いの町

ダルマチア(スプリット〜ドブロヴニク)
 低い灌木地帯に、青々と水をたたえる6つの湖が連なるバチンスカ湖。

 途中、ブレラ(Brela)というところでトイレ休憩し、プロチェという町の少し手前のバチンスカ湖でカメラ・ストップ。そして、ボスニア・ヘルツェゴヴィナから流れてくるネレトヴァ川を渡ると間もなく、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境だ。ここから9kmほどはボスニア・ヘルツェゴヴィナである。これは、1699年ドブロブニク共和国の提唱によって、この海岸線は、敵対関係あったドブロブニク共和国とベネツィア共和国をを隔てる分離帯として、オスマン帝国に割譲されたためである。

ダルマチア(スプリット〜ドブロヴニク)
 ボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムの町。 アドリア海に浮かぶ島々

 ボスニア・ヘルツェゴヴィナのネウムの町は、クロアチアにくらべ物価が安いためここのスーパーに寄り、お土産を買う。再び国境を通過しクロアチアに入り、40分ほど走るとドブロヴニクの街が見えてくる。ドブロヴニク大橋の手前でカメラ・ストップ、19:30ドブロヴニクのホテルに到着。

ド ブ ロ ヴ ニ ク
 ドブロヴニク大橋とドブロヴニクの市街(旧市街は半島の向こう側に位置している)。


                                               <6日目につづく>


                     
 
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