2014.3.5〜15

  ・1日目 ロサンゼルスへ
  ・2日目 サンサルバドル(乗継)〜リマ(乗継)
  ・3日目 リマ〜アスンシオン〜イグアスの滝観光
  ・4日目 イグアスの滝(アルゼンチン側)観光
  ・5日目 イグアス移住地〜アスンシオン(パラグアイ)
  ・6日目 リマ〜クスコ観光〜ウルバンバ(ペルー)
  ・7日目 マチュピチュ観光
  ・8日目 クスコ〜リマ市内観光
  ・9日目 ナスカ地上絵観光
  ・10日目 リマ〜サンサルバドル(乗継)〜ロサンゼルス
  ・11日目 ロサンゼルス〜帰国

第7日目(3/11 TUE)   マチュピチュ観光

 今日はいよいよマチュピチュの観光、今日もまた晴天だ。早めにレストランを開けてくれて朝食をとった後、5:30にホテルを出発、バスにてオリャンタイタンボ駅へ向かい、およそ30分で到着。ここから、6:40発のインカレールでマチュピチュ駅(旧アグアスカリエンテ駅)まで、約1時間半の列車の旅だ。

オリャンタイタンポ駅
オリャンタイタンポ駅の入り口 インカレールの列車

オリャンタイタンポ〜マチュピチュ
列車はウルバンバ川に沿って走る  ウルバンバ川に沿ってインカ道が通っている。

 マチュピチュ駅からは、さらにシャトルバスにてハイラム・ビンガム・ロード(山道)を約30分上ると遺跡入口に到着する。

マチュピチュ
マチュピチュ駅  遺跡入口の前にあるサンクチュアリ・ロッジ。ここまでシャトル・バスで来る。


 マチュピチュ遺跡は、標高2940mのマチュピチュ山(ケチュア語で“老いた峰”)と2690mのワイナピチュ山(“若い峰”)を結ぶ尾根にまたがる、標高約2400m付近に位置し、麓からは約400mの標高差があり、麓からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと呼ばれる。世界文化遺産、自然遺産の両面で「登録」されている。

 マチュピチュは1450年頃、インカ第9代皇帝パチャクティの時代に造られたといわれ、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々の生活が続いていた。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年7月24日にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13kuで、石の建物の総数は約200戸が数えられる。

 遺跡入口ではパスポートチェックを受け、遺跡内に入る。遺跡入口から200mほど崖に沿った道を歩くと分岐があるのでそこを左へ。

マチュピチュ遺跡
マチュピチュ遺跡の入り口 遺跡入口から崖に沿った道を歩く
 入口を入ってからの最初の建造物群。コルカと呼ばれる貯蔵庫。 階段と急な上りを進み貯蔵庫の脇へ


 石の敷き詰められた道を、森の中へ。途中に階段と急な上りがあるが、まもなく草葺の建物が現れる。復元された貯蔵庫だ。さらに森の中をジグザグに上がる。と、いきなり視界が開けてマチュピチュの全容が目の前に現れる。しばし、その素晴らしい眺めに見とれる。

マチュピチュ遺跡
偶然に画面に蝶が飛び込んでくる
「蝶ひらり 天空の街 悠然と」 (同行の石井氏作)
 きれいな蝶は「ナンベイホソチョウの一種 」(同行の蝶の権威、山田氏による)


 そして少し進むと、南の一段高い場所には「見張り小屋」と呼ばれる建物が建っている。その傍らには「儀式の石」がポツンとある。振り返ると山の斜面に付けられたインカ道が見える。

マチュピチュ遺跡
 見張り小屋だったとされる建物で、一説によると、太陽の光を反射させたりホラ貝を吹いて交信をしていたという。
 ワイラナと呼ばれる3つの壁で支えられる建築方式で、眺めと風通しがいいのが特徴。インカ時代と同じ、高地に自生するイチュというイネ科お植物で屋根を葺いている。
 見張り小屋の脇にある「儀式の石」
 ハイラム・ビンガムが1912年にマチュピチュを調査した際、周辺に川石が多数散らばるここを墓地と考えたため、葬儀の石とも呼ばれている。しかし、実際には墓は見つからず、周辺の山々の神に捧げものをした儀式の石と思われる。


 ガイドのモリカワさんご推薦の全景のべストポジションでたっぷりとその景色を堪能する。

マチュピチュ遺跡


神秘的なマチュピチュ遺跡の景色を堪能した後は、段々畑の上部を歩いて市街地へと向かう。

マチュピチュ遺跡
市街地への正門 門の高さは2m20cm、門の上には3トンもの大石が渡されている。 コルカと呼ばれる2階建ての貯蔵庫


 市街地入口の門をくぐって細い道を行と、右側にはコルカと呼ばれる2階建ての貯蔵庫がある。その脇をさらに進むと、太陽の神殿上に出る。ここからは太陽の神殿や王女の宮殿をはじめ、周辺の重要な建物が一望できる。

マチュピチュ遺跡
太陽の神殿と隣接する王女の宮殿
 マチュピチュの中で唯一、弓形を描く美しい建物、太陽の神殿 王女の宮殿


 その先左手に大きな石が散らばる石切り場がある。マチュピチュの建築に使われた石が切り出されたところだ。巨大な花崗岩の塊を、ブロンズ製の道具や硬い石を使い加工していたのである。

マチュピチュ遺跡
石切り場 マチュピチュの建築に使われた石が切り出されたところ。


 石切り場から一段高い場所に上がると、マチュピチュの重要な意味を持つ建物に三方を囲まれた神聖な広場に出る。正面のひときわ大きな石の建造物が主神殿、右(東側)が3つの窓の神殿、後方の建物は神官の館と呼ばれている。

マチュピチュ遺跡
神聖な広場 主神殿 世界を創造したビラコチャ神のために建てられたといわれる神殿で三方に壁があり開いている部分が広場に面している。壁には17個のニッチ(飾り棚)が並ぶ。マチュピチュの中でも特に大きな石を使って建てられており、下の中央にある大岩は長さが4.5m。神への捧げものが置かれた場所である。
3つの窓の神殿 中央の広場に向かって大きな3つの窓が開いている建物。窓は太陽の昇る東側を向いており、この窓から初代皇帝マンコ・カバックが生まれたという伝説がある。 手前にある大きな石(柱)で屋根の丸太を支えていた。 チャカナと呼ばれる石 屋根の丸太を支えていた大きな石の左側にある、左右に3つの段がある石は、冬至の日に地面に同じ大きさのチャカナと呼ばれる影ができる、インカの世界観を表すシンボルの石。


 主神殿の先で階段を上がると、マチュピチュで最も高い場所にでる。真ん中にある石がインティワタナと呼ばれる日時計だ。太陽暦を使っていたインカの人々が、暦を読むための日時計として利用していたものとされる。

 4つの角は東西南北を向いている。角柱が突き出した不思議な石は、置いてあるのではなく、掘り出されているという。岩の高さ1.8m、上に突き出した角柱は一番高いところが約65cm、一番低いところが約50cm。角柱は全体に13°傾いている。

マチュピチュ遺跡
 マチュピチュで最も高い場所には、インティワタナ(日時計)がある。 インティワタナ(日時計) インカ時代の公用語ケチュア語で、インティは太陽、ワタナは結ぶあるいはつなぐという意味があり、インティワタナは太陽を繋ぎ留める石となる。


 インティワタナから長い階段を下りると、メイン広場の端に出る。マチュピチュの中央に横たわる広場は、北から南に階段状に低くなっており、メイン広場が最も高い場所にある。

マチュピチュ遺跡
メイン広場 マチュピチュの神聖なエリアと居住区の間には細長い広場が横たわっていて、北にある最も広い広場がメイン広場。 広場の観客席と技術者の居住区


 広場の脇を過ぎると、反対側には農業試験場と呼ばれる段々畑がある。そしてその先に、復元されたワイラナと呼ばれる建物が2棟建っている。その間には「聖なる石」と呼ばれる山の形を模しある大岩がある。

マチュピチュ遺跡
ワイナラ(準備室) マチュピチュの端、ワイナピチュ登山口付近にあるワイナラという建築方法で建てられた建物。
 聖なる石や山々を拝む場所にあり、儀式を行う前や、ワイナピチュへ登る前の準備室として使われていたようだ。
聖なる石 インカの人々とって山々は神であり、その山をかたどって巨石を加工した石で、その中でもこの聖なる石は非常に大きい。
遠くに見えるヤナンティン山の形をしている。


 ワイナピチュの入り口を左に見て、未完成の神殿の裏を回り込み、広場を挟んで東側に位置する居住区を中心としたエリアへと入って行く。居住区にはファミリー向けの2階建ての家や、広々とした部屋が並ぶ、学校のような役目を果たした3つの入り口の家などが建っている。

マチュピチュ遺跡
 ワイナピチュ登山の入口。マチュピチュとの標高差は約300m。およそ2時間30分で往復できる。 未完成の神殿 メイン広場に面して壁のような大きな台形の土台が残る建物が、建築途中で放棄された神殿。
2階建ての家 斜面を利用して建てられており、1階と2階の両方から出入りできる仕組みになっている。1階部分が住居用。 居住区の中を通っている階段道


 込み入った居住区を行った先の建物の中に石臼のようなものが二つある。天体観測に使われたという石だといわれている。

マチュピチュ遺跡
天体観測の石がある建物 天体観測の石 水を張って夜空の観測をしたとされる。


 細い階段を下りると、羽ばたくコンドルを連想させる大きな建造物「コンドルの神殿」がある。中は迷路のようになっており、神に祈りを捧げる一つだったとされる。

 自然石と石を巧みに組み合わせて造られている不思議な建物で、手前にある石がコンドルのくちばしと顔、背後の石積みはコンドルが羽を広げた姿をイメージさせる。
 建物内は半地下になっており、上にはイスのような凹みや穴の開いた石がある。かつては牢獄だったとも言われている。しかしコンドルをモチーフにしていることから、地上と天の世界を結ぶ神聖な場所だったという説が有力である。

マチュピチュ遺跡
上方より見たコンドルの神殿 コンドルの神殿
コンドルの顔とくちばし  凹んだ部分にはミイラが置かれ、前の台には先祖への捧げものが並べられた。


 見学コースもいよいよ最後だ。太陽の神殿のあたりから居住区にかけて、石を削った水路を流れる16の水汲み場がある。そのいくつかを見、マチュピチュの中で唯一、弓形を描く美しい建物「太陽の神殿」を仰ぎ見ながら進む。上が太陽の神殿、下が陵墓と呼ばれている。

 自然石を利用して造られた陵墓と神殿は、見るからに神聖な雰囲気が漂う建物だ。その形からトレオン(塔)とも呼ばれている。陵墓は自然の洞窟を利用しており、中には石積みやニッチ(飾り棚)が見られる。ハイラム・ビンガムがミイラを納めた陵墓ではないかといったことが名前の由来だが、実際にはミイラは見つかっていなく大地の神パチャママの神殿だったのではないかと言われている。

マチュピチュ遺跡
16の水汲み場の一つ。マチュピチュでははるか遠くの山から、石の水路を使って水が引かれている。この水の量から推測するに、マチュピチュには300〜1000人の人が暮らすことができたという。 太陽の神殿と陵墓 上が太陽の神殿、下が陵墓と呼ばれている。


 段々畑の中を通って出口へ出る。およそ3時間、神秘的な景色とインカの文化、都市造りを学んだ見学だった。

マチュピチュ遺跡
段々畑 マチュピチュの急斜面を利用して造られた段々畑は、500年前のインカの人々の暮らしを今に伝える貴重な遺跡だ。段々畑は太陽の上る東向きに造られており、日中に太陽の熱で石が温まり、夜も温室のような機能を果たしたのだという。インカの人々は、標高の高い寒冷地でジャガイモやキヌア、標高の低い温暖な場所ではトウモロコシやコカなど、高度差を利用してさまざまな作物を栽培したという。  段々畑で草を食むリャマ このリャマたち、本来はマチュピチュにいたのではなく、チリの会社がコマーシャルの撮影用に連れてきたのが増えたのだそうだ。現在は20頭ほどになっている。インカレールの列車


 昼食は、遺跡入口の前にある「サンクチュアリ・ロッジ」のビュッフェ・レストランで。マチュピチュで食事をするにはここしかないのである。
 昼食後、シャトルバスにてマチュピチュ村へ戻る。終点の一つ手前のバス停で降り、ビルカノタ川(ウルバンバ川)沿いの道を、綺麗に咲いている花などを眺めながら散策する。

マチュピチュ村
シャトル・バスの遺跡入口の乗り場 ビルカノタ川」(ウルバンバ川)の激流

マチュピチュ村
ショウジョウカ キンチャク草 時計草の花


 旧アグアス・カリエンテス駅を通って、インカ帝国の第9代皇帝パチャクティ(在位:1438〜1471)の像が建つアルマス広場を通り、マチュピチュ駅前の民芸品市場をブラブラとし駅に戻る。
 すると、さっきまで晴れていたのだが、雨がポツポツやってきたと思ったら雷まじりの大雨に!

マチュピチュ村
旧アグアス・カリエンテス駅 アルマス広場
アルマス広場に面した教会 マチュピチュ村の街並み
民芸品市場のお店 マチュピチュ駅


 16:20発のインカレールの列車でオリャンタイタンボに戻ってきたときには再び太陽が出てきた。我々はなんとラッキーだったのだろう。

 オリャンタイタンボからはバスでウルバンバのホテルに戻り、ホテルのレストランで夕食。マチュピチュを大満喫できた一日だった!


                                               <8日目につづく>

                       
 
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