2014.3.5〜15
第7日目(3/11 TUE) マチュピチュ観光 今日はいよいよマチュピチュの観光、今日もまた晴天だ。早めにレストランを開けてくれて朝食をとった後、5:30にホテルを出発、バスにてオリャンタイタンボ駅へ向かい、およそ30分で到着。ここから、6:40発のインカレールでマチュピチュ駅(旧アグアスカリエンテ駅)まで、約1時間半の列車の旅だ。
マチュピチュ駅からは、さらにシャトルバスにてハイラム・ビンガム・ロード(山道)を約30分上ると遺跡入口に到着する。
マチュピチュ遺跡は、標高2940mのマチュピチュ山(ケチュア語で“老いた峰”)と2690mのワイナピチュ山(“若い峰”)を結ぶ尾根にまたがる、標高約2400m付近に位置し、麓からは約400mの標高差があり、麓からは遺跡の存在は確認できないことから、しばしば「空中都市」「空中の楼閣」「インカの失われた都市」などと呼ばれる。世界文化遺産、自然遺産の両面で「登録」されている。 マチュピチュは1450年頃、インカ第9代皇帝パチャクティの時代に造られたといわれ、1532年にスペイン人により征服されるまでの約80年間、人々の生活が続いていた。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年7月24日にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13kuで、石の建物の総数は約200戸が数えられる。 遺跡入口ではパスポートチェックを受け、遺跡内に入る。遺跡入口から200mほど崖に沿った道を歩くと分岐があるのでそこを左へ。
石の敷き詰められた道を、森の中へ。途中に階段と急な上りがあるが、まもなく草葺の建物が現れる。復元された貯蔵庫だ。さらに森の中をジグザグに上がる。と、いきなり視界が開けてマチュピチュの全容が目の前に現れる。しばし、その素晴らしい眺めに見とれる。
そして少し進むと、南の一段高い場所には「見張り小屋」と呼ばれる建物が建っている。その傍らには「儀式の石」がポツンとある。振り返ると山の斜面に付けられたインカ道が見える。
ガイドのモリカワさんご推薦の全景のべストポジションでたっぷりとその景色を堪能する。
神秘的なマチュピチュ遺跡の景色を堪能した後は、段々畑の上部を歩いて市街地へと向かう。
市街地入口の門をくぐって細い道を行と、右側にはコルカと呼ばれる2階建ての貯蔵庫がある。その脇をさらに進むと、太陽の神殿上に出る。ここからは太陽の神殿や王女の宮殿をはじめ、周辺の重要な建物が一望できる。
その先左手に大きな石が散らばる石切り場がある。マチュピチュの建築に使われた石が切り出されたところだ。巨大な花崗岩の塊を、ブロンズ製の道具や硬い石を使い加工していたのである。
石切り場から一段高い場所に上がると、マチュピチュの重要な意味を持つ建物に三方を囲まれた神聖な広場に出る。正面のひときわ大きな石の建造物が主神殿、右(東側)が3つの窓の神殿、後方の建物は神官の館と呼ばれている。
主神殿の先で階段を上がると、マチュピチュで最も高い場所にでる。真ん中にある石がインティワタナと呼ばれる日時計だ。太陽暦を使っていたインカの人々が、暦を読むための日時計として利用していたものとされる。 4つの角は東西南北を向いている。角柱が突き出した不思議な石は、置いてあるのではなく、掘り出されているという。岩の高さ1.8m、上に突き出した角柱は一番高いところが約65cm、一番低いところが約50cm。角柱は全体に13°傾いている。
インティワタナから長い階段を下りると、メイン広場の端に出る。マチュピチュの中央に横たわる広場は、北から南に階段状に低くなっており、メイン広場が最も高い場所にある。 |