2008.5.20〜29


 ・1日目 バルセロナへ
 ・2日目 1日バルセロナ市内観光
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3日目 モンセラート〜タラゴナ〜バレンシア
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4日目 バレンシア〜グラナダ
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5日目 グラナダ〜コスタ・デル・ソル〜カサレス〜ミハス
 ・6日目 ミハス〜セビーリャ〜コルドバ
 ・7日目 コルドバ〜ラ・マンチャ〜トレド〜マドリッド
 ・8日目 マドリッド、セゴビア
 ・9日目、10日目 マドリッド〜アランフェス〜マドリッド〜帰
 

日目(5/24 SAT)   グラナダ〜コスタ・デル・ソル〜カサレス〜ミハス

 今日も晴天だ。ホテルのレストランで朝食をとり、ちょっと早めの8:00に出発する。シェラ・ネバダ山脈に抱かれたグラナダは、13世紀後半、イスラム時代最後のナスル王朝の首都として栄えた町で、今の町のあちこちにイスラム時代の遺跡が点在し、古都の残り香を漂わせている。まずは、その一つ、アルハンブラ宮殿へ向かう。

 アルハンブラ宮殿は、1238年、ナスル朝初代王アル・アフマールによって建設が始められ、約100年後の7代王ユースフT世になってようやく完成をみたのである。しかし、1492年レコンキスタ(国土回復運動)に抗しきれず、カトリック女王のイサベラに明け渡されのである。18世紀の王位継承戦争やナポレオン戦争を経て、荒れ果ててしまったが、19世紀に入ってから、かつての幻想世界を再建すべく修復が始まり現在のように整備されたのである。1984年世界遺産に登録される。

 ちなみに、アルハンブラとは、アラビア語で「赤い城」という意味で、城壁に使われた石が多量の赤鉄を含んでいたため、城壁が赤く見えたことに由来しているといわれている。

 小高い丘に総面積1万4000uという広大な敷地面積を誇るアルハンブラ宮殿は、要塞部分のアルカサバ、王の居城としての王宮、そして夏の離宮ヘネラリフェの大きく3つに分かれている。
 アルハンブラ宮殿はスペインで人気No.1観光地で、入場者数制限があり、しかも王宮への入場は30分間隔でチケットに指定される。我々は、9:30からの予約チケットなので、先に、夏の離宮ヘネラリフェを見学することにする。

アルハンブラ王宮のチケット。入場時間が決まっている。

 ホテルからは20分ほどで駐車場に到着。そこから城壁に沿い歩き、「車両の門」から宮殿内に入ると、カルロス5世宮殿とサンタ・マリア教会の前にでる。サンタ・マリア教会の前の坂を上り、宮殿の敷地内にある2つのホテルの一つ「ホテル アメリカ」の前を通り、糸杉の垣根の間を通っていくと、左手にもう一つのホテル「パラドール・デ・グラナダ」が見える。

車両の門(Puerta de los Catras) サンタ・マリア教会
 離宮ヘネラリフェへ向かう途中庭園にある糸杉の垣根。  離宮ヘネラリフェへ向かう途中の糸杉の垣根から見えるパラドール。

 しばらく進み谷を越えたところに、野外ステージがあり、その前には、きれいに刈り込まれた糸杉の垣根に囲まれた水路と、バラの咲く花壇があり、その先にヘネラリフェが建っている。

 離宮ヘネラリフェの庭園にある野外ステージ。  離宮ヘネラリフェへの庭園。水面に離宮が写っている。


 城外の太陽の丘に建つヘネラリフェは、1319年に建てられ、王族の夏の別荘として利用されていた場所で、シェラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられ、「水の宮殿」とも呼ばれている。

 離宮ヘネラリフェのアセキアの中庭。アセキアとはスペイン語で”水路”の意味。真中の水路の脇には、天人花や月桂樹の生垣、オレンジの木などがきれいに植えてある。正面は王の間。 離宮ヘネラリフェの内部(王の間)

 中に入ってすぐのところの「アセキアの中庭」は、細長い池を囲んで花々が咲き乱れ、噴水がアーチを描くイスラム−スペイン様式を代表する庭園である。アセキアの中庭を通り、王の間を抜け中央バルコニーに出ると、アルハンブラ宮殿が一望できる。

 離宮ヘネラリフェの中央バルコニーよりアルハンブラ宮殿の全体が見渡せる。

 ヘネラリフェを見学し、カルロス5世宮殿のところへ戻ってくる。四角い建物の中に入ると、広々とした円形の中庭になっている。

 カルロス5世がイスラム宮殿に対抗して建てさせた宮殿。1526年に着工したが、ファザードと中庭しか完成してない。未完成の理由は度重なる地震のせいとも、資金不足のためとも言われている。  カルロス5世宮殿の中庭。周りにアルハンブラ美術館と県立美術館がある。

 カルロス5世宮殿の向かいには、アルカサバが建っている。勢いを増してきたキリスト教徒軍の侵攻に備えて13世紀中ごろに建てられた城塞。9世紀後半に造られた要塞をもとにして造られたもので、アルハンブラ宮殿の中では最も古い建物。今では外壁と塔、土台を残すのみとなっているが、全盛期には24もの塔があったといわれている。

 アルカサバの前から、グラナダ旧市街−アルバイシン地区サクロモンテの丘−を望む。


 アルカサバ 王宮内の見学順路


 9:30になったので、王宮へ入る。カルロス5世宮殿の脇の入口より入るとまずメスアールの間がある。宮殿の現存する最も古い部分で、行政と司法が行われていたところである。

メスアールの間のアラバスターの柱頭と杉天井。  青・緑・茶色で彩られた星型や、菊の花や、紐飾り模様のタイルで飾られている腰壁。

 王宮来訪者の控え室として使われていた黄金の間からメスアールの中庭を通り抜けると、宮殿の中心部であるコマレス宮だ。細長い池をアラヤネス(天人花)の生垣が囲んでいるアラヤネスの中庭に出ると、正面には王宮内の塔では最大のコマレスの塔があり、塔内には、諸外国の大使たちによる王への謁見や、公式行事が行われていたコマレスの間(大使の間)がある。

 メスアールの間の中庭(パティオ)南側、コマレス宮ファザード。  アラヤネスの中庭。正面は王宮内の塔では最大のコマレスの塔。

 コマレスの間を見てアラヤネスの中庭を出るとライオンの中庭に出る。ここからは王の住居部分で、中庭には124本の白大理石の列柱が並び、中央には12頭のライオンの像の噴水がある・・・はずなのだが、ライオン像は修復中でここにはいない・・・。残念!

 王の住居ライオン宮の中庭「ライオンのパティオ」と諸王の間。  14世紀に完成した「ライオンのパティオ」は宮殿の中で最も有名な中庭で、124本の大理石の細い列柱が立ちならぶ回廊に囲まれている。

 ライオンの中庭を囲む、8,017個の寄木細工を使った天井が素晴らしい「アベンセラへスの間」、二連窓から差し込む柔らかな光で鍾乳石装飾(モカラベ)が美しく輝く八角形の天井を持った二階建ての夏の住居「二姉妹の間」、その奥のリンダラハの望楼を通り、こじんまりしたリンダラハの庭を見ながら進む。

 「アベンセラへスの間」、8,017個の寄木細工を使った天井が素晴らしい。  二階建ての夏の住居、二姉妹の間。鍾乳石装飾(モカラベ)が施された八角形の天井は二段になっており、二連窓から差し込む柔らかな光で装飾が美しく輝く。
 リンダラハの望楼。レコンキスタ(国土回復運動)後の増築棟がなければ、ここから城壁越しにアルバイシンが一望できたという。 こじんまりとしたリンダラハの庭

 ワシントン・アービングが「アルハンブラ物語」を執筆した部屋を経て、リンダラハのバルコニーに出ると、グラナダ市内でもっとも古い地区とされ、元々はイスラーム教徒のための居住区だったというアルバイシンからサクロモンテの丘までが一望できる。

 リンダラハのバルコニーからは、アルバイシン地区からサクロモンテの丘までが一望できる。

 これで王宮内部の見学は終わりとなり、バルタル庭園に出る。イスラム時代は貴族の宮殿やモスクなどが立ち並ぶ緑地だったという。バルタル庭園からサンタ・マリア教会に出て、車両の門から城外に出、城壁に沿って歩き駐車場に戻る。

バルタル庭園からサンタ・マリア教会を見る


 アルハンブラ宮殿の見学を終え、10:40バスにて次の目的地「白い村」カサレスへ向かう。シェラ・ネバダ山脈を遥かに眺めながらオリーブ畑の中を走る。

 車窓から見るシェラ・ネバダ山脈  車窓に広がる一面のオリーブ畑

 ピカソの生誕地であり、太陽の海岸コスタ・デル・ソルの玄関口の町マラガを経て、コスタ・デル・ソルの中心地で、1960年代から、国際的リゾートとして賑わってきたトレモリーノスに寄り、ビーチ沿いのレストラン「La Cigala」で昼食、メニューはポーク料理。

地中海の「太陽の海岸」コスタ・デル・ソルのビーチ

 「太陽の海岸」コスタ・デル・ソルのビーチ沿いの店  ビーチ沿いのレストラン「La Cigala」で昼食

 昼食後には地中海のビーチやビーチ沿いのお店を見たりしてバスに戻り、コスタ・デル・ソルに沿って高速道路(A-7号線)をカサレスへ向かう。車窓からは、海上遥かに、大西洋と地中海をつなぐジブラルタル海峡に突き出た岩の塊から成る岬・ジブラルタルとアフリカ大陸・モロッコが眺められる。

 海上遥か、右手に台形に見えるのが、大西洋と地中海をつなぐジブラルタル海峡に突き出た岩の塊から成る岬・ジブラルタル。そして、中央やや左手に見えるのが、アフリカ大陸・モロッコだ。  カサレスへ向かう途中の丘に立つ風力発電の風車。

 エステポナの町の先で高速道路を下り、風力発電の風車が沢山立つ丘陵地帯をしばらく走ると、小さな峠があり、そこからは、岩山に建つ古城とその下に、スペイン瓦葺きのレンガ色の屋根と白い壁の家々が連なる「白い村・カサレス」が一望できる。

 アンダルシアの白い村のひとつ、カサレス。人口3千人ほどの小さな村だが、晴れた日にはジブラルタル海峡の向こうにアフリカが見える雄大な景観に惹かれて、永住する外国人も少なくないという。

 村に入ってバスを下り、村の中を散策する。路地を歩けばそこかしこに鉢植えが飾られて、白壁に色鮮やかな花が映える。そんな路地をぶらぶらと登って、古城と教会が建つ丘まで行く。ここからも太陽の光が似合う白い村・カサレスが一望できる。素敵な景色である。

紺碧の空と家々の白い壁のコントラストが印象的 白壁を太陽に輝かせた家
小高い丘の上にある古城の城壁 小高い丘の上にあるエンカルナシオン教会
白い家に挟まれた細い坂道 白壁に飾られた花と猫


 白い村・カサレスを後にして、再び海岸線まで戻り、高速道路(A-7号線)をマラガ方面に戻り、コスタ・デル・ソル西のリゾート地フエンヒローラから北に8kmの山の中腹にある白い村・ミハスへ。

 18:00「ホテル ミハス」に到着。夕食はホテルのレストランで20:00からなので、それまで、ミハスの街の散策に出る。市庁舎の裏を通り、街の中心であるビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場の南にある展望台へ。その一角には、16世紀前半に、修道士らが岩を掘り抜いて造ったといわれる「ほこらの礼拝堂」ラ・ペーニャ聖母礼拝堂があり、町の守護聖母であるラ・ペーニャ守護聖母像が奉納されている。

街の中心、ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場 「ほこらの礼拝堂」ラ・ペーニャ聖母礼拝堂

 ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場へ戻り、コンスティトゥシオン広場を通り、その先の坂を上ると、正面に小さな闘牛場がある。その隣、ラ・リベルタ広場には、1570年建立のインマクラダ教会が建っている。隣接した公園からはフエンヒローラの街と地中海が一望できる。

 ラ・リベルタ広場の南側にある1900年に完成した闘牛場。闘牛場にしては珍しく四角い形をしている。  ラ・リベルタ広場に立つ、1570年建立のインマクラダ教会。

 コンスティトゥシオン広場へ戻り、少し北に歩くと、絵葉書にも使われている美しい通り「サン・セバスチャン通り」に出る。なるほど、絵になるところだ。

サン・セバスチャン通り

 マラガ通り歩いて、ビルヘン・デ・ラ・ペーニャ広場を通り、ホテルに戻る。

街角のレストラン、白壁に飾られた鉢植えが綺麗だ。 ジャカランタの花が咲くホテル・ミハスのエントランス。



                                               <6日目につづく>


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