2013.6.9〜18


 1日目 ロンドン〜エジンバラへ

 
・2日目 エジンバラ市内&セント・アンドリュース観光

 
・3日目 ハドリアヌスの城壁〜湖水地方へ

 
・4日目 終日湖水地方観光

 
・5日目 リバプール〜ストラトフォード・アポン・エイボン

 
・6日目 コッツウォルズ地方観光〜バース観光

 ・
7日目 ストーンヘンジ〜ロンドン市内観光

 ・8日目 終日ロンドン観光

 ・9日目、10日目 ロンドン〜帰国

日目(6/15 SAT)   ストーンヘンジ〜ロンドン市内観光

 今日は、謎に満ちた石柱群のストーンヘンジから首都ロンドンへ。9:00にホテルを出発、およそ2時間、草原の真ん中に突如巨石群が現れる。ストーン・ヘンジに到着だ。すでに大勢の観光客が来ている。

 ストーンヘンジは、紀元前3000年ごろに造られている。宗教儀式のための神殿なのか、天体観測のための設備だったのか、今も多くの謎を秘めた巨大な石の遺跡だ。1986年にユネスコの世界遺産に登録されている。

 入口の手前、同じ産地から運んできて置いてあるストーンヘンジを構成する2種類の石の前を通り、入場する。見学はオーディオガイドを聞きながら進むセルフガイド方式だ。中に入ったら突然雨が降り出すが、大したこともなく、半周するころには雨も上がり、青空が見えてきた。

ストーンヘンジ
 ストーンヘンジを構成する2種類の石。小さいの(右)がブルーストーン、大きいの(左)がサーセン石。 ストーンヘンジの全景と観光客


 馬蹄形に配置された高さ7mほどの巨大な門の形の組石(トリリトン)5組を中心に、直径約100mの円形に高さ4-5mの30個の立石(メンヒル)が配置されている。夏至の日に、ヒール・ストーンと呼ばれる高さ6mの玄武岩と、中心にある祭壇石を結ぶ直線上に太陽が昇ることから、設計者には天文学の高い知識があったのではないかと考えられている。

 巨石の多くはパルモア丘陵地で見られる大砂岩やウェールズ産の青石(ブルーストーン)とよばれる粘土質砂岩で、大きいもので45tもある。

ストーンヘンジ
 (写真右下)道路の脇に立つこれは特別な石ヒールストーン。夏至の日の朝日が作るこの石の影はちょうどストーンヘンジの中心に落ちるという。


 ストーンヘンジを見学後、ロンドンに向かう途中のレストランで昼食。15:30頃にロンドン市内に入り、ハロッズ・デパート、ウェリントン・アーチの前を通り、ウェストミンスター寺院の近くで、バスを降り、テムズ河クルーズのために、ここから歩いて、ウェストミンスター・ブリッジの袂にある桟橋へ行く。

 イギリスの首都ロンドンは、ローマ時代から2000年近くに及ぶ長い歴史のなかで、街にはさまざまな時代に建てられた歴史的建築物が並んでいる。それと同時に再開発などにより、新市庁舎、ミレニアム・ブリッジ、ロンドン・アイなど超近代的なビルも建てられ、ロンドンの景観は常に変わり続けている。 

ロ ン ド ン
 ハロッズ・デパート 英国のエッセンスを集結した、1849年創業の名門店。地下を含めて全6フロアの総面積6万3000uという広さを誇る。  ウェリントン・アーチ ハイドパーク・コーナーにあるこの凱旋門は、ナポレオンとの戦争、最終的には1815年のワーテルローの戦いで英国を勝利に導いたウェリントン卿を讃えるために建てられたもの。

ロンドン ウェストミンスター寺院
 11世紀にエドワード懺悔王が建設した、聖ペトロ修道教会が原型で、13世紀にヘンリー3世が当時のノルマン様式の寺院を現在のゴシック様式の寺院に改築した。
 1066年のウィリアム1世はじめ、現在のエリザベス2世に至るまで、ほとんどの英国王の戴冠式が行われている。ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式もここで行われている。
 1987年、ユネスコの世界遺産に登録されている。

ロンドン ウェストミンスター地区
 大きなドームを持つメソジスト・セントラル・ホール メソジスト教会の創始者であるジョン・ウェズリーの死後100年の記念に建てられたもので、1947年に第1回の国連がここで開かれた。  聖マーガレット教会 ウェストミンスター寺院と同じ敷地内にあり、英国議会が議場をおくウェストミンスター宮殿の教区教会である。北西の塔は1734年から1738年にかけ、ジョン・ジェームズにより再建された。


 ウェストミンスター寺院の前まで来ると雨が降り出し、だんだん激しくなり、国会議事堂(ビッグベン)の前では土砂降りで、だいぶ濡れながらやっとのことで桟橋にたどり着く。しかし、出航するころには上がってしまい、タワー・ブリッジに着くころには青空になっている。ロンドン特有の天候とか。

ロンドン 国会議事堂(ビッグベン)
 正式名称はウェストミンスター宮殿で、議会制民主主義のシンボルである。1090年ウィリアム征服王の時代に宮殿として建てられた。現在の建物はウェストミンスター宮殿が火災で焼失したのちに建てられたもので、1852年にネオ・ゴシック建築の壮麗な議事堂が完成した。
 時計塔(ビッグ・ベン)は、1859年に完成。高さ95mの時計台で、重さ13tの鐘が正確な時を告げている。「ビッグ・ベン」 という愛称は、建設責任者で国会議員のベンジャミン・ホール卿の名にちなんだという説と、当時のヘビー級のボクシング・チャンピオンのベン・カウントを記念したとの2つの説がある。


 クルーズ船は、国会議事堂の時計塔(ビッグベン)を後ろに見て、ウェストミンスター・ミレニアム・ピアを出航、右手には、2000年に、ミレニアムを記念して造った、高さ135mというヨーロッパ最大級の大観覧車ロンドン・アイを眺め、列車専用の橋を挟んで両側に美しい吊り橋のあるハンガーフォード・ブリッジをくぐる。

テムズ河クルーズ
 テムズ河クルーズの出航するウェストミンスター・ミレニアム・ピア。  ウェストミンスター・ブリッジの袂から出航。
 ロンドン・アイ 航空会社のBAが2000年に、ミレニアムを記念して造った、高さ135mというヨーロッパ最大級の大観覧車。眼下に国会議事堂を見下ろし、テムズ河に沿うような市街地が見渡せる。32個の特殊ガラス製の25人乗りのカプセルが、30分で一周する。


 左手に、エジプトから運ばれたオベリスク、クレオパトラの針を見て進むと、1815年にウェリントン率いるイギリス軍がナポレオン1世にワーテルローの戦いで勝利したことから名付けられた、ウォータールー・ブリッジ(現在の橋は2代目で、1945年に開通)をくぐる。

テムズ河クルーズ
 チャリング・クロス駅 ロンドン中心部にあるロンドンで5番目に大きな鉄道ターミナル。駅正面はストランドに、反対側はこの駅を利用するすべての列車が通過するハンガーフォード橋の北側にそれぞれ面している。  ハンガーフォード・ブリッジ テムズ河に架かる、サウス・バンクとチャリング・クロス駅を結ぶ歩行者専用の橋として、2002年に開通した。列車専用の橋を挟んで西と東に分かれて架かっていて、その両側にある美しい吊り橋である。
 ビクトリア・エンバンクメントに建つ英国空軍慰霊碑
 第一次世界大戦で犠牲になった英国海軍航空隊と英国陸軍航空隊の慰霊碑。
 クレオパトラの針 このオベリスクは紀元前15世紀のファラオ(王)であったトトメス3世が、聖なる都ヘリオポリス(カイロ近郊に存在した古代エジプトの都市)に建立したものの1本だそうで、ジョージ4世の戴冠を記念して1819年にエジプト総督から寄贈されたもの。
 ウォータールー・ブリッジ 現在の橋は2代目で、1945年に開通した。1代目は、ジョン・レニーによって1809〜10年に設計され、9本のアーチをもつ、花崗岩の有料橋として、建設され、1817年に開通した。1878年に国営化され無料となった。ウォータールー(Waterloo)はフランス語ではワーテルローと呼び、1815年にウェリントン率いるイギリス軍がナポレオン1世にワーテルローの戦いで勝利したことからつけられている。


 1769に完成した初代の橋は、ロンドン中心部でテムズ河にかかる3番目の橋だったが、1869年に架け替えられた現在の2代目ブラックフライアーズ・ブリッジをくぐる。次いで、2000年のミレニアム事業として、セント・ポール大聖堂からテムズ河対岸の現代美術の殿堂、テート・モダンへまっすぐ伸びる歩行者専用の吊り橋、1894年のロンドンブリッジ以来、実に1世紀ぶりに架けられた新しい橋、ミレニアム・ブリッジの下をくぐる。

テムズ河クルーズ
 ブラックフライアーズ・ブリッジ 1代目は、9年間の工事を経て1769に完成した。ポートランド石の9つの半長円形のアーチによって組み立てられた995フィートの有料橋だった。ロンドン中心部でテムズ河にかかる3番目の橋だった。完成当初の橋の名前は、「ウィリアム ・ ピット橋」だったが、一番近くに立っていたブラックフライアーズ修道院(ドミニカ共和国小修道院)の名前から、現在のブラックフライアーズ・ブリッジ に変更された。
ミレニアム・ブリッジ


 サザーク・ブリッジ、そしてキャノン・ストリート鉄道橋をくぐり、1750年にウェストミンスター・ブリッジが架けられるまでロンドン市内でテムズ川に架かる橋としては唯一のものであった、「ロンドン橋落ちた〜」の童謡でもおなじみのロンドン・ブリッジをくぐると、タワー・ブリッジが見えてくる。

テムズ河クルーズ
 サザーク・ブリッジ サザーク・ロンドン特別区とシティ・オブ・ロンドンを結ぶ、テムズ川に架かるアーチ橋で、現在の橋は2代目で、1921年に開通した。1代目の橋は、1819年に開通し、3つの巨大なアーチを花崗岩の柱で支える構造であったことから、「鉄の橋」として知られていたロンドン橋と比較して「石の橋」と呼ばれていた。
 キャノン・ストリート鉄道橋とキャノン・ストリート駅 この橋は、1863年に着工、ドーリア式の建築が採用された柱は、独特の美しい形状をしていたが、1979年から1982年に大規模な改装が行われ、その際、ドーリア式の建築や装飾類が全て撤去され、現在の姿となった。  ロンドン・ブリッジ 1750年にウェストミンスター・ブリッジが架けられるまでロンドン市内でテムズ川に架かる橋としては唯一のものであった。
 「ロンドン橋落ちた〜」の童謡でもおなじみ。


 右手に、ノルマンディ上陸作戦などで活躍した軍艦ベルファスト号、これもミレニアム事業として建てられた、ガラスとスチールででできた不思議な建物、ロンドン市庁舎、2013年に完成したばかりの、地上87階建て、尖塔高310mで、ヨーロッパで最も高いビルディング、ザ・シャード(通称ロンドン・ブリッジ・タワー)を眺めながら進むと左手にロンドン塔が見え、タワー・ブリッジの袂のタワー・ピアで下船、およそ40分のテムズ河クルーズを楽しむ。

テムズ河クルーズ
 ベルファスト号 1936年建造の英国海軍の巡洋艦。1965年現役を退き、現在は堂々とした姿をテムズの河面にゆったりと浮かべている。  左の建物は、ロンドン市庁舎。右の高い塔はシャード・ロンドン・ブリッジ。
タワー・ブリッジ クルーズ船 タワー・ピアで下船


 この頃には、青空が広がり、タワー・ブリッジ、そして、テムズ河の岸辺に築かれた中世の城塞で、その姿から「ホワイトタワー」とも呼ばれる英王室所有の宮殿の一つで、正式名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」というロンドン塔を外から見物する。ロンドン塔は、1988年にイギリスの世界遺産に登録されている。

ロンドン タワー・ブリッジ
 イギリスのロンドン市内を流れるテムズ川に架かる跳開橋。1886年に着工、1894年に完成した。可動部分は初期の頃水力を利用して開閉していたが、現在は電力を利用している。全長260m、タワーの高さは40mあり、左右にあるゴシック様式のタワー内部は展望通路・歴史博物館がある。

ロンドン塔
 この城塞は、イングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために建設に着手し、ヘンリー3世(1207〜1272年)の治世に完成した。長い歴史の間に国王が居住する宮殿として使われたほか、王族や政治家などの幽閉・処刑施設として使われた歴史を持つ。現在は武器などの保管庫や礼拝所として使用されているほか、世界最大級のカットダイヤモンドであるカリナン(アフリカの星)が保管されていることでも有名である。

ロンドン塔前より
ロンドン塔の全景  30セント・メアリーアクス 2004年に完成した新たなロンドンのランドマーク。


 この後は、トラファルガー広場へ。1805年のトラファルガーの海戦勝利を記念して造られた広場で、イギリスを救った英雄ネルソン提督の業績をたたえ、巨大な4頭のライオンに守られた高さ50mの円柱の上に、片目片腕の提督が立つ記念碑が建っている。

トラファルガー広場


 広場の北側正面には、ナショナル・ギャラリーが、さらにその隣には尖塔の美しいセント・マーティン教会が並び、広場の見事な背景となっている。

トラファルガー広場
 ナショナル・ギャラリー ジョン・ジュリアス・アンガースタインが収集していた38点の絵画を政府が買い上げたのが始まり。1824年に設立され、13世紀半ばから1900年までの作品2,300点以上を所蔵している。  セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ教会 1726年に建てられた教会で、斬新なデザインで当時の注目を集めた。バッキンガム宮殿の教区内にあり、王室の大きな紋章が掲げられている。
 アドミラルティ・アーチ バッキンガム宮殿に続く大きな門で、1911年にビクトリア女王を称えて造られた、美しい曲線をもつ門である。  ホワイトホール ホワイトホールはトラファルガー広場から南へ、テムズ河畔のビッグ・ベンまで走る幅広い通りで、左右に海軍省や財務省といった政府関係の役所が並んでいる。


 トラファルガー広場の近くのレストランで夕食。イギリスを代表する料理の、ロースト・ビーフだが、今一つという感じだ。夕食後は、ケンジントン・ガーデンの近くのホテルへ。




                                               <8日目につづく>

                          
 
inserted by FC2 system