2014.6.18〜27


 1日目 イスタンブールへ

 
・2日目 イスタンブール市内観光〜アンカラ

 
・3日目 ボアズカレ遺跡観光〜カッパドキアへ

 
・4日目 終日カッパドキア観光

 
・5日目 カッパドキア観光〜コンヤ市内観光

 
・6日目 コンヤ〜パムッカレ観光

 
・7日目 エフェソス観光〜アイワルクへ

 ・8日目 トロイ観光〜ダータネル海峡クルーズ〜イスタンブール

 
・9日目、10日目 ボスフォラス海峡クルーズ・イスタンブール観光〜帰国


第7日目(6/24 TUE)   エフェソス観光〜アイワルクへ

 今日は、古代ギリシャの大都会であったエフェス(エフェソス)の遺跡を観光し、エーゲ海に面したリゾートのアイワルクへ向かう。今日もまた晴天で、7:30ホテルを出発。国道320号線(d.320、E.87)を西に向かって走り途中、ナジルリ(Nazilli)市の少し西、アチャにあるトルコの銘菓「ロクム」のお店で休憩。

 ロクムは腰の強いトルコ版ぎゅうひ糖で、食感は柔らかく弾力があり、日本のゆべしに似ている。このお店はガイドのサルチャルさんのお勧めのお店で、試食をしながらお土産として買い物をする。

 およそ1時間ほど走り、セルチュクにある革製品のお店に寄り、ショッピングの後、セルチュクのレストランで昼食。 メインはトルコ料理のチョップ・シシ。小さい串で焼いた牛肉で、美味しかった。

 セルチュク
セルチュクのレストラン チョップ・シシを焼いている


 昼食後はアルテミス神殿跡とエフェス遺跡の観光だ。まず、アルテミス神殿跡へ。今は湿地にただ1本の円柱だけが建っているだけだが、ここに古代世界の七不思議のひとつに数えられる神殿があったのである。
 神殿は世界で初めての総大理石作りで、高さ19m、127本の円柱が立ち並び、アテネのパルテノン神殿がすっぽり内部に収まるほどの壮大なものであったという。
 神殿はB.C.356年の火災の後に再建されたが、3世紀、ガリア人の侵入で破壊されて以降は、修理もされずに荒れ果て、今は基部が湿地に埋もれている。夏にはコウノトリが円柱の上に巣を作る。

エ フ ェ ス
アルテミス神殿跡


 アルテミス神殿跡を見た後、車窓より聖ヨハネ教会を見てエフェス遺跡の南ゲートへ。

エ フ ェ ス
 聖ヨハネ教会 エルサレムを追われたキリスト12使徒のひとりヨハネは、この地で過ごした。ヨハネは、このアヤソルクの丘に埋葬されたといわれ、後の6世紀ごろに教会がたてられた。


 エフェス(エフェソス)遺跡は、小アジア最大の古代都市遺跡群で、ギリシャ時代には小アジアの最大の都市国家として君臨していた。当時の繁栄ぶりを伝える、野外劇場、図書館、アゴラ、浴場などの遺跡が見られる。

 南ゲートを入るとすぐ、2世紀に造られたヴァリウスの浴場跡がある。その先にはパシリカ(列柱廊)が並び、その奥にはオデオン(小劇場)がある。

エフェス遺跡
南ゲート  ヴァリウスの浴場跡 2世紀に造られたもので、床下暖房という典型的なローマ風呂の形(ハマム)を残している。


 
 オデオンの中を通って、現在は数本の列柱が残るのみの市庁舎の前を通り、集会や宗教行事、商取引などに使われた広場だった上のアゴラに上がると、クレテス通りから続くケルスス図書館などの遺跡群が眺められる。

エフェス遺跡
 オデオン(小劇場) 屋根つきの小劇場で、収容人数は1400人で、全市民が参加する議会を大劇場で行ったのに対し、こちらでは人数に少ない代表者会議やコンサートなどに使われた。
パシリカ(列柱廊)  市庁舎 現在は数本の列柱が残るのみだが、かつてはここに聖火が灯され、火は消えることがなかったという。
 上のアゴラ(集会や宗教行事、商取引などに使われた広場)から見た、クレテス通りから続くケルスス図書館(右写真)


 クレテス通りを進むと、右手にメミウスの碑、左側にはドミティアス神殿、アーチを持つポリオの泉のある広場があり、重要な商業センターだったという。その一角には 勝利の女神ニケのレリーフもある。

エフェス遺跡
 メミウスの碑 メミウスはポントゥスからエフェスを奪還したローマの独裁官スッラの孫である。  2本の柱の後ろがドミティアヌス神殿の基礎部。ここには皇帝ドミティアヌスを祀る50mX100mの神殿が建てられていた。現在は土台部分を残すのみとなっている。 
  ドミティアス神殿の左側にある、アーチを持つポリオの泉。97年にセクティリウス・ポリオという人物により建てられた。この建物は商店として使われていて、広場は重要な商業センターだった。   勝利の女神ニケのレリーフ。本来はヘラクレスの門のアーチとして飾られていたものだ。
 スポーツ用品のナイキのマークは、この形からきている。


 ヘラクレスの門を抜けると右側にトラヤヌス帝に捧げられたという トラヤヌスの泉ハドリアヌス神殿が、左手はクレテス通りに沿い幅5mほどの多色モザイク床の歩廊がある。そしてその先右手に古代の公衆トイレ娼館がある。

エフェス遺跡
 ヘラクレスの門 クレテス通りの端にあった、ヘラクレスの彫刻を施した左右対の門。4世紀にどこかから運ばれ建てられたという。実際は2階建ての凱旋門で、現在ある柱は、アーチの上にあった6本のうちの2本である。  トラヤヌスの泉
 102〜104年に建てられ、トラヤヌス帝に捧げられた泉。
 クレテス通りに沿った幅5mほどの多色モザイク床の歩廊。 4〜5世紀に造られたもの。
公衆トイレ


 クレテス通りの突き当りにはケルスス図書館がある。2世紀中期、アジア州総督ケルススを記念し息子が父の墓室の上に建てたもので、正面には知恵、運命、学問、美徳の4つの意味をそれぞれ象徴する女性像がある。内部は平屋だが、ここには1万2千巻の書物が所蔵されていたという。

エフェス遺跡
ケルスス図書館  ケルスス図書館の内部
 正面の左、知恵、運命の意味を象徴する女性像。   正面の右、学問、美徳の意味を象徴する女性像。


 ケルスス図書館の前から、大理石の道マーブル通り大劇場まで続いている。この道は、アルテミス神殿へ続く聖なる道の一部でもあったそうである。

エフェス遺跡
マーブル通り  マーブル通りにある古代の売春宿の広告。この足より小さい足の人は利用できなかったという説もある。 


 マーブル通りを行くと右手に野外大劇場が見えてくる。1〜2世紀にピオンの丘の斜面に築かれ、ローマ時代に各部分が拡張され、2万4千人を収容できる大劇場となった。観客席は直径154m、高さ38mの半円形である。

エフェス遺跡
野外大劇場


 大劇場の前からは、マーブル通りに直角に港まで、アルカディアン通り(港通り)が続いている。

エフェス遺跡
大劇場の全景 北ゲート


 遺跡群の見学を終え、北ゲートから退出、南ゲートの方から回送して待っていてくれたバスで、コンヤの宿泊地アイワルクへ向かう。

エフェス エフェス〜アイワルク
 アヤソルクの丘にある城塞。6世紀のビザンティンによる建で、セルジュクにより再建されたもの。城壁だけが残る。 車窓にはオリーブ畑が広がっている。


 高速道路31、30号線(O.31、O.30)を走り、イズミル市を通過し、エーゲ海沿岸のアリアーの街の少し先のGSでトイレ休憩、そしてベルガマ市のトルコ石のお店で目の保養とショッピングをして、18時前にアイワルクのリゾートホテルに到着。

アイワルク
 
ホテルの部屋よりエーゲ海が望める。 
ホテルよりの眺め  ホテルの専用ビーチの桟橋に係留されているボート。


 夕食前にエーゲ海の専用ビーチを散策する。夕食はホテルのレストランでビュッフェ。


                                                      <8日目につづく>

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