2014.6.18〜27


 1日目 イスタンブールへ

 
・2日目 イスタンブール市内観光〜アンカラ

 
・3日目 ボアズカレ遺跡観光〜カッパドキアへ

 
・4日目 終日カッパドキア観光

 
・5日目 カッパドキア観光〜コンヤ市内観光

 
・6日目 コンヤ〜パムッカレ観光

 
・7日目 エフェソス観光〜アイワルクへ

 
・8日目 トロイ観光〜ダータネル海峡クルーズ〜イスタンブール

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9日目、10日目 ボスフォラス海峡クルーズ・イスタンブール観光〜帰国

第9日目(6/26 THU)   ボスフォラス海峡クルーズ・イスタンブール観光〜帰国

 今日は観光の最終日、午前中はオプショナルツアーのボスフォラス海峡クルーズだ。今日もまた晴れて、8:00にホテルを出発。

 ガラタ橋近くの桟橋より貸切の観光船でボスフォラス海峡クルーズにスタート。旧市街のイェニ・ジャーミィを見ながら、金角湾に架かるガラタ橋の下をくぐり、ヨーロッパ側の新市街に沿ってボスフォラス海峡を進む。

ボスフォラス海峡クルーズ
ボスフォラス海峡クルーズの観光船  イェニ・ジャーミィは1598年にムラト3世の妻、サーフィエ・スルタンによって建造がはじまり、火災など工事の中断があったが、1663年のメフメット4世の時代にようやく完成した。
 イスタンブールの金角湾に架かる地下鉄専用橋で、2014年1月に開業したばかりである。海上の橋の長さ460メートルである。ウンカパヌとアザプカプの橋脚を入れた長さは936メートルに達する。主塔の高さは65メートル、橋桁の高さは海面13メートルで、5つの橋脚が支えている。   ガラタ橋 イスタンブールの金角湾に架かる可動橋(跳ね橋)。初代の橋は1845年に開通した。現在の橋は1994年12月に開通した5代目である。
長さ490m、主橋脚間80m、幅42mで片側3車線と歩道を備え、市街電車も通る。船が通行する中央部以外は上下二層になっており、上層が車道、下層がレストラン街となっている。 


 オスマン帝国の王宮として利用されていたドルマバフチェ宮殿を左手に見ながら進むと、ヨーロッパ大陸とアジア大陸を結ぶボスフォラス大橋が近づき、橋のヨーロッパ側の袂には、バロック様式の優美な姿のオルタキョイ・メジディエ・ジャーミィが見えてくる。

 ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」と言う意味で、オスマン帝国のメフメト2世によって造成された庭園に、1843年にアブデュルメジト1世の命によって、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられ、1856年に完成した。以降、1922年に最後の皇帝メフメト6世が退去するまで、トプカプ宮殿にかわってオスマン帝国の王宮として利用された。

 ボスフォラス海峡クルーズ
旧市街(左側)と新市街(右側)を結ぶガラタ橋 
イスタンブールの市街 
 ドルマバフチェ宮殿 バロック様式と伝統のオスマン様式を折衷した豪華な宮殿で、外観や装飾は近代西洋風であるが、建物の内部は男性向けの空間と女性のみの空間(ハレム)に二分割され、ハレムには多くの侍女や宦官も勤務した。 宮殿の面積は45,000m2で、285の部屋、46のホール、6の浴場(ハマム)、68のトイレがある。
 オルタキョイ・メジディエ・ジャーミィ
 海峡に面して建ち、バロック様式の優美な姿のモスク。元来この場所には1721年に建てられたジャーミィがあったが、1853年にスルタン・アブデュルメジドの命により建て直されたものである。 


 ボスフォラス大橋をくぐり暫らく進むとボスフォラス海峡に架かる2つ目の橋、ファーティフ・スルタン・メフメット大橋が見えてくる。

ボスフォラス海峡クルーズ
 ボスフォラス大橋 ボスフォラス海峡の長さは30km、幅は最も狭いところで約700m。ボスフォラス大橋とファーティフ・スルタン・メフメット大橋がかかっている。 
ボスフォラス大橋をくぐる。  ファーティフ・スルタン・メフメット大橋が見えてくる。
 ファーティフ・スルタン・メフメット大橋 日本の政府開発援助のもと、石川島播磨重工業(現IHI)や三菱重工業などにより建設され、1988年に完成した。第二ボスポラス橋の通称でも知られる。


 クルーズ船はここで折り返し、今度はアジア側に沿って進んでいく。モスクや教会の建物などを観ながら進んでいくと、オスマン帝国のスルタン、アブドゥウルアジズにより夏の離宮として建てられたベイレルベイ宮殿がボスフォラス大橋の手前に見えてくる。

ボスフォラス海峡クルーズ
アジア側に沿って進むクルーズ船 アジア側にあるモスク
 ベイレルベイ宮殿 1860年代、オスマン帝国のスルタン、アブドゥウルアジズにより夏の離宮として建造。バロック様式を採り入れたオスマン建築の宮殿になっている。「ベイレルベイ」は「王の中の王」を意味する。
アジア側のモスクや教会の建物


 再びボスフォラス大橋をくぐり、江利チエミの歌唱で知られたトルコ民謡の「ウスクダラ」(「ユスキュダルへ(行ったら)」という意味)の舞台であるユスキュダルの街を左手に見ながら進むと、ボスフォラス海峡入口のアジア側にある小島に建つ乙女の塔が見えてくる。

ボスフォラス海峡クルーズ
 アジア側 ユスキュダルの街 トルコ・イスタンブールの一地区であり、アナトリアの西端に位置する。ボスポラス海峡を介して東西に分かれるイスタンブール市のうち、東側となるアジア側に位置し、人口集中地域となっている。 
 ボスフォラス海峡入口 アジア側にある小島には「乙女の塔」と呼ばれる城塞が建っている。かつては灯台として使われていた。  ある日皇帝は娘が蛇にかまれる夢を見て、この塔に避難させた。しかし寂しい思いをさせている娘に送った果物の籠の中に蛇が潜んでおり娘は予言通り死んでしまった、という伝説から「乙女」の塔と名付けられたという。


 
 およそ1時間のボスフォラス海峡クルーズを楽しんだ後は、旧市街のガラタ橋のたもとの近くにあるリュステム・パシャ・ジャーミィへ。大宰相リュステム・パシャ(スレイマン1世の娘の1人、ミフリマー姫の婿)のために、オスマン帝国の建築家ミマール・スィナンが設計し、リュステム・パシャの死後の1561年から1563年頃にかけ建築されたモスクである。

イスタンブール リュステム・パシャ・ジャーミィ
 このモスクは商店街の2階に建てられており、Hasircilar通りに面したアーチをくぐり、細く、曲がりくねった階段を上ると、モスク横の広い中庭へと続いている。2つあるモスクの入口には、5つのドーム状の庇がある。
 リュステム・パシャ・モスクは膨大な量の優美なイズニックタイルで知られている。多種にわたる美しい花柄や幾何学模様によって、ポーチの前面だけでなく、ミフラーブ、ミンバル、壁、円柱、ポーチの外側にいたるまで覆われている。 
ドームの天井 イズニックタイル 


 自由行動を楽しんだメンバーと合流して最後の観光である、小さなお店が無数に集まっている屋根つきの市場のグランド・バザールへ。

 グランド・バザールは、1455年から1461年にかけ、当時のオスマン帝国皇帝のメフメト2世の命により建設され、16世紀のスレイマン大帝の時代に大幅に拡張され、1894年の地震で損傷したが修復されて現在に至っている。
 広さ30,700平方メートルで、66の街路、4000の店舗がある。宝石類、陶器、香辛料、絨毯類を扱う業者が、業種ごとに同じ街路に集中して出店している。

イスタンブール グランド・バザール
ヌルオスマニエ門 ベヤズット門
 グランドバザール(カパルチャルシュ)の中  カパルチャルシュは「屋根付き市場」を意味する。
現地のお嬢さんたちと“はいチーズ”  ヤズット門の前の広場で、焼き栗を売っていたので買って食べてみる。(100g5TL)


 ウインドー・ショッピングやお土産物の買い物などを楽しみ、今回のトルコ旅行の観光は終了。

 最後にガラタ橋のたもとにある老舗ケバブ専門店「ハムディ」でシシケバブを楽しみ、空港へ。

イスタンブール
 ガラタ橋を渡るトラムヴァイ(路面電車)  ヴァレンス水道橋(車窓より)
 ローマ帝国時代の378年に完成した水道橋。イスタンブル旧市街のおよそ中央部、ファーティフの丘とエミノニュの丘の間にかけられており、北西郊外の森にある水源(湧水)を宮殿や地下貯水池に運んでいた。高さ20m、全長はおよそ1kmあったが、現存するのは800mほどの部分である。


 イスタンブール・アタテュルク空港にて、9日間お世話になったガイドのサルチャルさんとドライバーのカディルさんとお別れをして、出国審査並びにセキュリティー・チェックを済ませ搭乗口へ。

 TA0050便 B777−300は定刻の17:10に離陸。



第10日目(6/27 FRI)   〜帰国

 ほぼ満席のTA0050便は順調に飛行し、およそ11時間、コンフォートクラスで快適なフライトで、定刻の10:25に成田空港に着陸。通関後、NEXで新宿へ。14時過ぎに無事、我が家へ到着。お疲れさま!!

 今回の旅行は、ちょっと贅沢をしてコンフォートクラス利用し、スケジュール的にもゆったりとしてよかったが、イスタンブール市内で、もう少し見たいところがあったが、半日X2回の予定ではちょっと無理なのだろう。

 しかしながら、全日程晴という天候に恵まれ、カッパドキアの奇岩群や、パムッカレ、エフェス遺跡、トロイ遺跡などの世界遺産をを楽しむことができた。トルコ料理は世界三大料理のひとつといわれているが、どうなのであろうか。しかしながら、同行の方々とも和気藹々で、楽しい旅でした!! 

 同行の方々および添乗員の今井さん、お世話様でした。お陰で楽しい旅をすることができました。いつかまたどこかでお会いできるかもしれません。楽しみです・・・・・・。


                                                            おわり

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