2012.6.21〜7.1

                                       

 1日目、2日目 成田〜パリ〜ニース ニース市内観光

 
・3日目 エズ、モナコへ1日観光 

 ・4日目 ニース〜リュベロン地方〜アヴィニョン

 ・5日目 アヴィニョン市内観光〜パリ

 ・6日目 モン・サン・ミッシェル観光

 ・7日目 モン・サン・ミッシェル〜サン・マロ〜パリ

 ・8日目 ベルサイユ宮殿、パリ市内観光

 ・9日目 パリ市内観光

 ・10日目、11日目 パリ〜帰国
日目(6/27 WED)   モン・サン・ミシェル〜サン・マロ〜パリ

 今日は、海賊で知られる港町、サン・マロを観てパリへ戻る予定だ。ホテルのレストランで食事をし、8時にホテルを出発。モン・サン・ミシェルは、ガスがかかり、島の上部の修道院が隠れて、幻想的な姿をしている。

 まず、バスで15分ほどの、最寄り駅、ポントルソンまで行き、9:15発の列車でドル・ド・ブルターニュへ行き、そこで乗り換えてサン・マロへ10:30に到着。レンヌ発16:03のTGVを予約してあるので、14:30まで、サン・マロの観光をすることに。


ポントルソン〜ドル・ド・ブルターニュ
 ポントルソン駅  列車内に自転車が置ける。

ドル・ド・ブルターニュ駅 サン・マロ駅


 サン・マロ(Saint-Malo)は、イギリス海峡に面したフランス北西部ブルターニュ地方の城壁に囲まれた港町である。13世紀には、凶暴な海賊の根城として悪名高くなり、16世紀には4年間独立国家だったこともある。

サン・マロ
 旧市街の前にあるヨットハーバー。  バスターミナルを降りた正面の城門、サン・ヴァンサン門。


 サン・マロ駅からバスで、周囲を高い城壁で囲まれた旧市街の入口まで行き、サン・ヴァンサン門から旧市街に入ると、シャトー・ブリアン広場。カフェなどが賑やかに並んでいる。狭い石畳の道の両側には、レストランやカフェ、みやげ物屋、港町だけあり、魚介類を売る店などが並んでいる。

サン・マロ 旧市街
 サン・ヴァンサン門を入ったところのシャトー・ブリアン広場
 狭い石畳の道の両側には、レストランやカフェ、みやげ物屋などが並んでいる。


 街を歩いていると、中心へと道が集まっており、そこにサン・ヴァンサン大聖堂がある。この聖堂は、12〜13世紀にかけて建立されたのだが、第2次世界大戦で破壊され、戦後、修復され現在に至っている。内部は、現代的なステンドグラスが美しい。身廊は12世紀ロマネスク様式、内陣は13世紀半ばのゴシック様式を残している。

サン・マロ サン・ヴァンサン大聖堂
 ジャック・カルチェ(サン・マロ出身)がカナダを発見したことに対して、ケベックからのオーナメントが床に埋め込まれている。 大聖堂内の美しいステンドグラス


 聖堂を見学した後、シャトー・ブリアン広場に戻り、そこのレストランで昼食をとる。シーフードが美味しかった。

サン・マロのレストランにて
 レストラン内のカウンターには魚介が並んでいる。 シーフードの盛り合わせ


 食後は城壁の上を散策、西側の南にあるオランダ塔の広場には、フランソワ1世の命により、1534年の最初の航海で、ニューファンドランド島、プリンス・エドワード島、ガスペ半島を探検。1535年の2回目の航海では、イロコイ族の村スタダコナ(現在のケベック)に到達し、その周辺を「カナダ」と命名した、ジャック・カルチェの像が立っている。

サン・マロ 旧市街
 城壁の上は遊歩道になっている。  オランダ塔の広場に立つジャック・カルチェの像
城壁上から見る美しい景色 城壁上を散策する観光客


 また、北西の角の城壁上にあるケベック広場には、「海賊王」と呼ばれた、この街出身の最も有名な海賊ロベール・シュルクフの銅像がある。沖に浮かぶ大島、小島の遥か彼方はイギリスである。

サン・マロ 旧市街
 ケベック広場に立つロベール・シュルクフの銅像。 沖に浮かぶ大島、小島


 城壁の上を散策を終え、バスでサン・マロ駅へ戻り、14:50発の列車でレンヌへ行き、16:03レンヌ発のTGV8046にて、パリ・モンパルナスへ。モンパルナス駅からはバスでシャトレまで行き、ホテルにチェックイン。

 一休みして、夕食を食べに出る。近くの、シャトレ広場の勝利の泉や、パスカルが1648年にこの塔で水銀を用いた気圧の実験を行い、気圧が高さによって変わることが証明されたことでも知られている、サン・ジャック塔を見て、そして、ルネッサンス様式とベル・エポック様式が混在する壮麗な造りのパリ市庁舎を見たあと、近くの日本料理店で夕食をとる。

シャトレ広場 勝利の泉 サン・ジャック塔
 ナポレオンがイタリア・エジプトに勝利したのを記念して建造(1806−1808年)された。  塔の高さは彫刻を入れると62mある。

パリ市庁舎
 1770年頃には現在の市庁舎の中核をなす部分は出来上がっていたが、1871年にパリコミューンにより焼失。1882年に再建され、これが現在の建物で、ルネッサンス様式とベル・エポック様式が混在する壮麗な造りの建物である。




                                               <8日目につづく>

                           
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