2012.6.21〜7.1

                                       

 1日目、2日目 成田〜パリ〜ニース ニース市内観光

 
・3日目 エズ、モナコへ1日観光 

 ・4日目 ニース〜リュベロン地方〜アヴィニョン

 ・5日目 アヴィニョン市内観光〜パリ

 ・6日目 モン・サン・ミッシェル観光

 ・7日目 モン・サン・ミッシェル〜サン・マロ〜パリ

 ・8日目 ベルサイユ宮殿、パリ市内観光

 ・9日目 パリ市内観光

 ・10日目、11日目 パリ〜帰国
日目(6/29 FRI)   パリ市内観光

 今日も晴天だ。朝食は、娘が近くでパンを買ってきて、ホテルの部屋でとり、近いので歩いてルーブル美術館へ。ルーブル美術館の起源は、1190年に建造の始まったパリの街を守護するための要塞であり、その後、1546年よりフランソワ1世の統治下で、宮殿へと姿を変え、1678年、ルイ14世が権力の中心をヴェルサイユに移すまで、王宮として使われていた。

 1982年にはミッテラン大統領の「大ルーブル整備」という近代化を目的とした計画が始まり、1989年にガラスのピラミッドが誕生。1993年、かつて大蔵省だったシュリュー翼が加わり、現在の空間が完成した。リヴォリ通りに面したリシュリュー翼、東塔のシュリー翼、セーヌ河岸沿いのドゥノン翼の3棟が、ガラスのピラミッドを中心に「コ」の字型に立つ。館内は4フロア、6万uの展示スペースで構成、約30万点の所蔵のうち随時2万6千点が展示されている。


 ピラミッド中央入口より入場。時間が早いためか並ばずにスムーズに入れた。

ルーブル美術館
 ピラミッド入口を入り、上を見上げる。  ピラミッド下のナポレオン・ホール。


 ドゥノン翼の半地下にある彫刻群と、グレゴール・エアハールト、1510年作の、聖マグダラのマリア像などを観たあと、シュリー翼1階にあるミロのヴィーナスを観に。

ルーブル美術館 ドゥノン翼半地下
 ドゥノン翼の半地下にある、彫刻群。  聖マグダラのマリア像。


 ミロのヴィーナスは、紀元前2世紀末頃に作られ、1820年にエーゲ海で発見された古代ギリシャの代表的な彫刻。人も少なくゆっくりと鑑賞できる。1964年東京で会って以来、48年ぶりのご対面である。

ルーブル美術館 ミロのヴィーナス


 次いで、ドゥノン翼の1階から2階に上がる途中にある、紀元前190年頃の作で、1863年に発見された、船のへさきに置かれていた女神像サモトラケのニケを観る。2階に上がり、 ラファエロ・サンティの1507年作、イエスの受難を予告した美しき女庭師を見て、モナリザが展示されている部屋へ。

ルーブル美術館 ドゥノン翼
 サモトラケのニケ  ラファエロ・サンティ作、美しき女庭師  モナリザが展示されている部屋。流石にこちらは人が多い。


 かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ、1503〜06年頃の名作、モナリザにご対面である。1974年に東京で会って以来38年ぶりだ。

ルーブル美術館 モナリザ


 隣室には、キリストの奇跡を題材に、名士たちに宴会を表現した、ヴェロネーゼ1563年作のカナの婚礼が展示されている。同じフロアには、ドミニク・アンクル、1814年作の、曲線美を強調した代表作、グランド・オダリスク、ジャック=ルイ・ダヴィッド、1806〜07年作の、ナポレオンがパリのノートルダム大聖堂で皇帝として戴冠した直後に皇后に冠を授ける歴史的な場面を描いている、ナポレオン1世の戴冠式、ウジェーヌ・ドラクロワ、1830年作の、1830年に起きた7月革命の3日間を劇的に描いた、民衆を導く自由の女神、テオドール・ジェリコー、1819年作の、実際に起きた海難事件を題材にした大作で、ロマン派の代表作、メデューズ号の筏などが展示されている。

ルーブル美術館 ドゥノン翼2階
 ヴェロネーゼ作、カナの婚礼 アンクル作、グランド・オダリスク
 ダヴィッド作、ナポレオン1世の戴冠式とその絵などが展示されている部屋
ドラクロワ作、民衆を導く自由の女神 ジェリコー作、メデューズ号の筏


 このあとは、14〜19世紀のフランス絵画を中心に、オランダ、ドイツ、ベルギーの画家たちの作品が展示されているリシュリュー翼の3階へ。はじめは、オランダの巨匠ヨハネス・フェルメールが1669〜70年に描いたレースを編む女と1668年に描いた天文学者を観る。人も少なくじっくりと観ることができた。

ルーブル美術館 リシュリュー翼3階
フェルメール作、レースを編む女 フェルメール作、天文学者


 続いて、生涯に60枚を超える自画像を描いたといわれるレンブラントの自画像が展示されている部屋を観る。

ルーブル美術館 リシュリュー翼3階
 レンブラントの自画像が展示されている部屋画架の前の自画像


 ルーベンスのホールへ。ここには、ピーテル・パウル・ルーベンスが、1622〜25年に描いた24枚の連作、王妃マリー・ド・メディシスの生涯が部屋一面に展示されている。圧巻だ。

ルーブル美術館 リシュリュー翼3階
ルーベンスのホール  中央の絵が王妃マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸


 そのあとは、浴槽のガブリエル・デストレとその妹、ヤン・ファン・エイクが1434年頃描いた、宰相ロランの聖母、そして、シュリー棟のジョルジュ・ド・ラ・トゥールが1642年頃に描いた、大工聖ヨセフ、カミーユ・コローが1868〜70年頃描いた、真珠の女やアングルの1862年作、トルコの浴場などを観て、およそ3時間、駆け足であったが、素晴らしい名画や彫刻を堪能することができた。

ルーブル美術館 リシュリュー翼3階
 エイク作、宰相ロランの聖母  ラ・トゥール作、大工聖ヨセフ  作者不明、浴槽のガブリエル・デストレとその妹

ルーブル美術館 シュリュー翼3階
 カミーユ・コロー作、真珠の女  アングル作、トルコの浴場  シュリュー翼3階から見下ろしたピラミッド。

 ピラミッドの下のナポレオン・ホールに直結したショッピング街、カルーゼル・デュ・ルーヴルの広場には、上から鍾乳石のように逆さ吊りになった巨大な天窓、逆ピラミッドの下を通って、パレ・ロワイヤル・ミュゼ・デュ・ルーブル駅より地下鉄でルドゥリュ・ロラン駅(バスティーユ駅で乗り換えて)まで行き、シャロンヌ通りにあるベトナム料理のレストラン「パリ ハノイ」で昼食。

ルーブル美術館パリ11区 シャロンヌ通り
逆ピラミッド  奥に見える塔は、バスティーユ広場に建つ、7月革命の記念柱。


 昼食後は、また地下鉄でソルフェリーノまで行き、オルセー美術館へ。1900年のパリ万博に合わせて造られたオルレアン鉄道のオルセー駅が美術館の前身で、1939年に駅舎としての役目を終えた後、駅舎時代の面影を残して修復され、現在の建物が完成。1986年美術館として開館したのである。
 印象派の巨匠作品が揃う人気の美術館で、1848年から1914年までのフランス美術が集められており、絵画、彫刻、写真、装飾など約2万点が所蔵されている。

オルセー美術館


 まず、ゴッホやポスト印象派や近代装飾などが展示されている中階を観て、上階(5階)へ。ここには、モネやルノワール、セザンヌなど印象派の巨匠たちの名作が勢ぞろいしている。マネの1863年作、草上の昼食、ルノワールの1876年作、モンマルトルのダンスホールを舞台に、光の描写が斬新な作品、ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット、セザンヌの1890〜1906作、リンゴとオレンジなどをゆっくりと鑑賞。(オルセー美術館は展示室での写真撮影が禁じられているので、残念ながら写真の掲載ができません)

 上階にあるカフェの横から、屋外テラスに出ることができ、真下にセーヌ川が流れ遠くにはモンマルトルの丘が見渡せる、見逃せない場所のひとつである。

オルセー美術館
 大時計の間からルーブル美術館を覗く。  屋外テラスからセーヌ川とルーブル美術館を望む。


 地上階(0階)に下りる。かつてプラットホームだった場所で、中央通路に彫刻その左右に絵画の展示室が並んでいる。1880年頃までの古典主義、印象派などの作品が多い。モネの1899年作、睡蓮/緑のハーモニーやミレーの1857年作、落穂拾いなどを鑑賞する。

 オルセー美術館をでて、すぐ側のサンゴール歩道橋(前身は、1861年にナポレオン3世によって開通したソルフェリーノ橋で、1961年に歩行者専用の橋に架け替えられ、現在の橋は1999年に完成したもので、2006年に改名された。)を渡って対岸に。橋の欄干には、2人の永遠の愛を込めた「愛の錠」をイニシャル付きで取り付けるのが流行となっているとかで、沢山の錠が掛けられている。

サンゴール歩道橋(ソルフェリーノ橋)
 橋上からオルセー美術館を覗く。  沢山の錠が掛けられている橋の欄干。


セーヌ川にかかる橋
 ボン・ヌフ橋は、シテ島の先端を横切る短い橋であるが、16世紀に建設されたものであり、パリに現存する最古の橋である。  ロワイヤル橋は、ポン・ヌフ、マリー橋に次いでパリでは三番目に古い石造アーチ橋で、17世紀にルイ14世によって造られた。
 コンコルド橋は、コンコルド広場とオルセー河岸を結んでいる。名前がルイ16世橋、革命橋、コンコルド(調和)橋と二転三転したことで知られている。コンコルド橋と呼ばれるようになったのは1830年からである。


 バスでシャトレへ行き、一旦ホテルへ戻り、一休みしたあと、凱旋門の見学に出掛ける。

サン・ミッシェルの噴水 オラトワール・デュ・ルーヴル教会
 シテ島のすぐそば、サン・ミッシェル広場のシンボルである。ナポレオン3世の時代に建設されたもの。  1811年からプロテスタントの教会(ただし、もとはオラトリオ会だったらしい)。ノエル(クリスマス)の時期にはコンサートなども行われる。


 地下鉄でシャトレからシャルル・ドゥ・ゴール・エトワールへ。出口を出ると目の前に凱旋門が聳えている。シャンゼリゼ通りの最西端にそびえ立つエトワール凱旋門はフランス軍の象徴。1806年、アウステルリッツの戦いに勝利したナポレオンは、凱旋門の建設を命じたが、門が完成するのはそれから長い年月を経た1840年。ナポレオンはこの時既に生きておらず、遺体がこの場所に運ばれ落成を祝うことになった。

エトワール凱旋門
 第二次世界大戦でパリをドイツ軍から解放したシャルル・ド・ゴール将軍が、ここで凱旋パレードを行なった話は有名である。
 壁面のレリーフ、『1810年勝利』:ナポレオンが勝利の女神から月桂冠を授かる場面。コルトーの作品。  追悼の炎:門の真下には、第一次世界大戦で果敢に戦った一人の無名戦士の墓を建て、ほかの兵士たちの魂も追悼する意味でパンテオンからここに埋葬した。墓標には「祖国のために死んだ一人のフランス人兵士ここに眠る」と刻まれている。  壁面のレリーフ、『1792年出発』:マルセイユから志願した義勇兵の出陣は、オーストリア、プロセイン軍を退かせ、祖国の危機を救った。リュードの作品。


 高さ45.54mの門の最上部は展望台になっており、272段の螺旋階段を昇るのである。ガラスなどで遮られておらず、屋根もないので爽快にパリの眺めを楽しむことができる。

エトワール凱旋門
展望台に上る螺旋階段  展望台から見下ろしたシャンゼリゼ大通り。
 展望台よりエッフェル塔方面の眺め。
 展望台よりのモンマルトルの丘の遠望。寺院はサクレ・クール寺院。  展望台よりのラ・デファンス(新副都心)の遠望。中央は新凱旋門。


 凱旋門を見学したあとは、コンコルド広場まで通っている、幅約100m、長さ2kmの大きな並木道、シャンゼリゼ大通りを散策し、カフェでお茶でもと思ったが、時間も8時を過ぎており、止めにして、タクシーでエッフェル塔に下まで行く。

シャンゼリゼ大通り
 もともとはアンリ4世の王妃マリー・ドゥ・メディシスのために造られた、チュイルリー公園からの遊歩道だった。19世紀になってから、ガス灯や歩道が整備され、ダンスホールやカフェが次々とオープンし、貴族や上流階級の人々で賑わうようになった。


 エッフェル塔の近くのレストランで夕食をとっている間に、日も沈み、エッフェル塔もライトアップされている。正面のイエナ橋を渡り、シャイヨー宮のテラスから眺めるライトアップされたエッフェル塔は美しい。

ライトアップされたエッフェル塔


 ここで、パリの夜景を少しばかり紹介しておきます。

パリの夜景
 パリ・オペラ座:1875年に完成、設計者の名から「ガルニエ宮」と呼ばれている。外観および内装はネオ・バロック様式の典型と言われ、豪華絢爛たるものである。  オペラ大通り:正面にオペラ座がある。
 ラ・ペ通り(平和通り):オペラ座前から、ヴァンドーム広場の記念柱(円柱)を望む。
 ヴァンドーム広場:ルイ14世の騎馬像を置くために造られ、1720年に完成した広場で、革命後に騎馬像は壊され、その後、ナポレオンが記念柱を建てた。塔の突端にはナポレオン像が立つ。
 チュイルリー公園に臨時に設置された遊園施設。  ピラミッド広場からルーブル宮に向かって立つ黄金のジャンヌ・ダルク像。
 ルーブル美術館中庭にあるガラスのピラミッド。  カルーゼル凱旋門:元テュイルリー宮殿だった公園内のカルーゼル広場にある。 1806年から1808年にかけて、前年のナポレオンの勝利を祝するために建設された。
コンシェルジュリ パリ市庁舎
セーヌ川 ボン・ヌフ橋とエッフェル塔
シャイヨー宮 トロカデロ広場のフォッシュ元帥騎馬像



 綺麗にライトアップされたエッフェル塔に満足したが、大分遅くなり、タクシーで帰ろうと思ったが、つかまりそうもなく、やむなく地下鉄でホテルへ戻る。



                                               <8日目につづく>

                           
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