2012.6.21〜7.1

                                       

 1日目、2日目 成田〜パリ〜ニース ニース市内観光

 
・3日目 エズ、モナコへ1日観光 

 ・4日目 ニース〜リュベロン地方〜アヴィニョン

 ・5日目 アヴィニョン市内観光〜パリ

 ・6日目 モン・サン・ミッシェル観光

 ・7日目 モン・サン・ミッシェル〜サン・マロ〜パリ

 ・8日目 ベルサイユ宮殿、パリ市内観光

 ・9日目 パリ市内観光

 ・10日目、11日目 パリ〜帰国
日目(6/28 THU)   ベルサイユ宮殿、パリ市内観光

 今日はヴェルサイユ宮殿の見学だ。朝食は、娘が近くでパンを買ってきて、持参した珈琲を淹れて、ホテルの部屋で済ます。9:00にホテルを出発、サン・ミッシェル・ノートルダム駅まで歩いて、RER(高速郊外鉄道)C5線で、ベルサイユへ向う。およそ30分で終点のヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅に到着。
 駅前の道を、市庁舎のところで左に曲がり、パリ大通りを入ると、正面に宮殿が見え、駅から10分ほどで正面アルム広場に立つ、ルイ14世の騎馬像が出迎えてくれる。

ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅 ヴェルサイユ市庁舎


 ヴェルサイユ宮殿は、ルイ14世が自らの権力の象徴として造らせたヨーロッパ最大級の宮殿。2つの離宮がある約100万uもの広大な庭園も含めると、総面積は800万uにもなる。宮殿と庭園はブルボン王朝の絶対王政時代の栄華を伝える貴重な遺産として、1979年世界遺産に登録されている。

ヴェルサイユ宮殿


 ルイ14世在位中の1682年からは国王一族が暮らし、パリに代わって王政の中枢となる。以降100年間、毎日のように開催される晩餐会まど、きらびやか宮廷文化の舞台となった。1789年フランス革命が勃発し、宮殿に市民が乱入し、ルイ16世、マリー・アントワネットらをパリに幽閉してしまう。革命後は放置されていたが、1837年に博物館として開館した。

 フランス王家の紋章が乗っている豪華な中央格子門をくぐり、正面中庭を通って、金色に塗られたゲートの脇から王の中庭に入り、北翼棟1階の見学者入口より宮殿内に入る。ここで、日本語にセットされたオーディオガイドを貸してもらう.。(入場料に含まれている)

ヴェルサイユ宮殿
 フランス王家の紋章が乗っている豪華な中央格子門。 王の中庭


 入口を入って最初に観られるのが、王室礼拝堂。マンサールの設計により、1710年に完成、ルイ14世時代最後の建造物である。宮廷礼拝堂独特の2層様式で、国王たちは上層の特別席からミサに参列したという。

ヴェルサイユ宮殿 宮廷礼拝堂とその回廊


 2階に上がり、ヘラクレスの間へ。1736年に完成した宮殿内で最も大きな部屋で、ヘラクレスを題材にした約321uの巨大な天井画「ヘラクレスの神格化」は、ルイ14世時代後期の最高傑作と言われている。

ヴェルサイユ宮殿 ヘラクレスの間とその天井画


 次いで、王室の人々や貴族たちが飲み物や軽食を嗜んだ、豊穣の間から1668年に完成したバロック調のヴィーナスの間へ。天井には、愛と美の神ヴィーナスを中心として、様々な神が描かれている。

 ルイ14世時代の夜会で、ビリヤード室として使用されたディアーヌの間、衛兵の控え室として使われ、後に夜会のレセプションや音楽とダンスの部屋に変わり、舞踏会の間と呼ばれたマルスの間、かつてルイ14世の寝室として使われたメルクリウスの間を観て、太陽神アポロンが描かれたアポロンの間へ。ルイ14世が自己を投影した太陽と芸術の神、アポロンに献じられた部屋で、かつては王の玉座が置かれていた。玉座の後ろには、総錦糸のタピスリーが飾られ、天井の飾りには金が施され、宮殿内で最も豪華な装飾である。

ヴェルサイユ宮殿
ヴィーナスの間の天井画 アポロンの間


 次いで、戦争の間へ。マンサールとル・ブランが手がけた大理石とブロンズの間で、軍事勝利がテーマで、ル・ブランが神話と戦いをテーマに描いた天井画が美しい。壁にあるルイ14世のレリーフは、「ヴェルサイユのばら」のオスカルのモデルになったといわれている。戦争の間を抜けると、宮殿見学のクライマックスでもある鏡の回廊へでる。

ヴェルサイユ宮殿 戦争の間
 左下に見られるのが、ルイ14世のレリーフ 天井画


 鏡の回廊は、正殿と王妃の居室をつなぐ、全長73m、幅10.5m、高佐12.3mの庭園を正面に望む回廊で、1866年に完成した。窓と向き合う17のアーチ型の開口部に357枚の鏡がはめ込まれている。
 室内の装飾は一貫してルイ14世の歴史的偉業がテーマであり、30枚の天井画はル・ブランによるルイ14世の栄光をたたえる絵画である。マリー・アントワネットと王太子(将来のルイ16世)の婚礼舞踏会がここで行われた。

ヴェルサイユ宮殿 鏡の回廊

ヴェルサイユ宮殿 鏡の回廊
 天井画 金色に輝く燭台  沢山のナベで作られた巨大なハイヒールのオブジェが展示されている。(期間限定の展示物)


 1701年に作られた控えの間で、宮廷人たちはここで王の寝室に入る許可を待っていた牛眼の間を見て、王の寝室へ。1701年に宮殿の中心に置かれたこの寝室は、王たちが朝の引見と就寝前の接見式を行なった場所である。

ヴェルサイユ宮殿
牛眼の間 王の寝室


 その隣りに、国王(もしくは国務会議)の大執務室がある。鏡の間の中庭側にあたる。もとは胸像柱の間と、国務会議の間をルイ15世時代につなげたもので、豪華さ、軽妙さなどで フランス・ロカイユ様式の傑作といわれる。

ヴェルサイユ宮殿
 王の寝室のところから、大理石の中庭、王の中庭、正面中庭を望む。 大執務室


 鏡の間に戻って、「戦争の間」と対をなしている平和の間へ。この部屋は主に王妃の遊戯室として使用されていた。その隣りは王妃の寝室、歴代の王妃がこの場所で王位継承者となる19人の子を出産した。出産は一般公開されたという。ルイ14世が王妃マリー・テレーズのために作り、最後にマリー・アントワネットが使用した。

 マリー・アントワネットにより大規模な改装が行われ、王妃の謁見の間となった貴人の間、王と王妃が公式に食事をした部屋で、着席が許されたのは王族のみだったという大膳式の間、王妃の護衛を務める兵士たちが待機するための衛兵の間を見て、戴冠の間へ。

ヴェルサイユ宮殿
王妃の寝室  戦闘の間の手前から、南花壇を望む。


 戴冠の間は、初期(1676〜1682ごろ)は衛兵の大広間として利用されていたが、ルイ・フィリップ王がダヴィッドの名作「ナポレオン一世の戴冠式」の絵を発注し、これをかけるために改装された。この絵はダヴィッド本人によるレプリカで、オリジナルはルーブル美術館で展示されている。

ヴェルサイユ宮殿 戴冠の間
「ナポレオン一世の戴冠式」の絵  ダヴィッドが1810年に描いた「鷲の軍旗の授与」。


 見学コースの最後は、戦闘の間(戦史の回廊)。もともとここは王子達の部屋で間仕切られていたのをルイ・フィリップ王がルーブルの回廊をイメージして改装したものである。長さ120m、幅13mとここも鏡の回廊と共に堂々たる広さを誇っている。広大で細長い広間には496年のトルビアックの戦いから1809年のワグラムの戦いまでフランス軍の歴史が描かれている。さらに82の軍人の胸像が展示されている。これで、宮殿内の見学を終え、庭園へ。

ヴェルサイユ宮殿 戴冠の間


 庭園は、ルイ14世おかかえの造園家ル・ノートルの設計により、1700年に完成した幾何学模様が特徴の庭園で、100万u以上の敷地に、十字架状の大運河や遊歩道、噴水、池などが配されている。

ヴェルサイユ宮殿 庭園からの外観


 庭園の導入部にある、池の縁にフランスの河を表す4体のブロンズ像が配されている水の前庭を抜けると、ラトーヌの泉がある。太陽神アポロンの母、ラトーヌを中心に配した泉水。神の怒りに触れて村人がカエルに変えられたという話に基づいた造形で、王に従わないものは許さないというルイ14世の考えを示しているといわれる。夏季の土・日曜日には噴水ショーが行われているのだが、曜日が合わず残念。

ヴェルサイユ宮殿 庭園
水の前庭、池の縁のブロンズ像
ラトーヌの泉


 ラトーヌの泉を見たあと、庭園内を巡るプチ・トランが走っているので、これに乗って、グラン・トリアノン、プティ・トリアノン、大運河を見ることにする。宮殿の裏からスタートし、まず、グラン・トリアノンへ。

 グラン・トリアノンは、1687年から88年にかけてマンサールの設計により建設されたルイ14世の離宮。離宮は欄干で飾られた平らな屋根を持つ一階建てのイタリア様式の建築で、バラ色の大理石の透かし柱が、ファザードにリズムを与えている。現在は迎賓館として使用されている。

ヴェルサイユ宮殿 グラン・トリアノン


 見学コースに入り、鏡の間へ。大きなフランス窓と、壁につけられた鏡の明るい大広間。室内装飾はアントワネットがデザインしたという。後に、ナポレオンが使用することになり、閣議などに利用された。次いで、マリー・ルイーズの寝室。ルイ14世の寝室だったが、ナポレオンは、皇后マリー・ルイーズの寝室に改装した。現在は、国賓を招いての晩餐会などに利用されている。

ヴェルサイユ宮殿 グラン・トリアノン
鏡の間 マリー・ルイーズの寝室


 左翼棟から柱廊を通り、家族の間へ。ルイ14世の時代は控えの間と寝室、その後ブルゴーニュ公爵夫人の控えの間となり、ナポレオン時代は皇帝の王子の間と重鎮の間であった。

ヴェルサイユ宮殿 グラン・トリアノン
柱 廊 家族の間


 そして、ヴェルサイユの庭園とトリアノン宮の風景画がずらりと飾られているコテルの回廊へ。白を基調としたこざっぱりとした回廊で、ヴェルサイユ宮殿の絢爛豪華さとは違った美しさである。このあと庭園をチョッと観て、プティ・トリアノンへ。

ヴェルサイユ宮殿 グラン・トリアノン
コテルの回廊
庭 園


 プティ・トリアノンは、ルイ15世が愛妾ポンパドゥール夫人のために建設した館で、ルイ16世の即位後は、マリー・アントワネットに贈られた。王妃は劇場や里村を建造し、少数のお気に入りの取り巻きや家来とともに、のどかな田園生活を楽しんでいた。

ヴェルサイユ宮殿 プティ・トリアノン
正面外観  庭園の奥に見えるのは白大理石で造られた愛の神殿、マリー・アントワネットが愛人のフェルゼンと逢引した場所といわれる。


 二階にある小会食の間にある調度類は本当にアントワネットが使ったものだそうである。部屋の中央にはアントワネットが得意だったと言われるハープが置かれている。

ヴェルサイユ宮殿 プティ・トリアノン
中庭(見学コースの入口)
小会食の間


 プティ・トリアノンを観たあとは、再びプチ・トランで大運河に行く。ルイ14世は水脈も池も無いヴェルサイユに、10km離れたセーヌ川からここまで水を引かせ運河や池を作ったのである。大運河は十文字の形をしている。

ヴェルサイユ宮殿 庭園
大運河 大運河から見た庭園


 再びプチ・トラン宮殿まで戻り、ヴェルサイユの観光を終わり、ヴェルサイユ・リヴ・ゴーシュ駅からパリ市内に戻る。

 シャン・ド・マルス・トゥール・エッフェル駅でRERを降り、エッフェル塔へ。フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた第4回万国博覧会のために建造された塔。エッフェル、ソーヴエストル、ケクランらの設計によるもので、エッフェルが著作権者となり、この塔の名前の由来になった。

エッフェル塔
右上:第2展望台。 右下:第2展望台までの階段。


 建設当時の高さは312.3m(旗部を含む)で、1930年にニューヨークにクライスラービルが完成するまでは世界一高い建造物であった。現在は放送用アンテナが設置されたため、324mとなっている。

 展望台は3つあり、高さは57.6m、115.7m、276.1mである。第2展望台までは階段でも昇ることが可能だ。エレベーターの待ち時間がかなりあり、かみさんと娘は登らないというので、ひとりで、第2展望台まで階段で登ることにした。外階段なので風が強く、何より高所恐怖症のHiroとしては怖いのだ。何とか700段の階段を登りきり、第2展望台からはエレベーターで第3展望台へ。金網だけのオープンデッキからはパリ市内が一望できる。素晴らしい眺めだ。

エッフェル塔
地上276.1mの第3展望台
 南西方向の眺め、真下を流れるセーヌ川。
 東の方向に見えるアンヴァリッド(国立廃兵院)。負傷兵の看護センターとしてルイ14世が建設。ドーム教会の地下はナポレオンの墓所となっている。  シャイヨー宮。1937年のパリ万博に合わせて造られた宮殿。ネオ・クラシック・スタイルの湾曲した双翼を持つ。
 北西方向の眺め、中央奥は新凱旋門のあるラ・デファンス(右)とモンマルトルの丘(左)。  南東方向の眺め、エッフェル塔から続く、ジャン・ド・マルス公園


 下りはエレベーターを第2展望台で乗り継ぎ地上まで下りる。

エッフェル塔
 第2〜第3展望台のエレベーターより  第2展望台までの階段  エッフェル氏の胸像


 ここからはバスにてシャトレまで戻り、ホテルに。今夜の夕食は近くの、イノサンの泉のある広場に面したレストランでとる。


イノサンの泉
 設計者ジャン・グジョンにより、1549年に造られた。パリでは、唯一残っているルネッサンス期に造られた泉。



                                               <9日目につづく>

                           
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